屋上のあいつ
「俊弥、何そのノート」
 テストがあけて席替えをした。わーわー言ってくじをひいて、わーわー言って自分の席を確認する。教室の前のほうの席になっても後ろのほうの席になっても、悲鳴を上げるのは変わらないが、後ろになるとそれにもれなくガッツポーズがついてきた。さらに、仲の良い奴が近くの席になるとハイタッチも。俺の場合悲鳴とガッツポーズとハイタッチの豪華三点セットだった。なんと、あのうるさいうるさい(そういう点ではきっと俺も大差ないが)升田が横の席となったのだ。
「ん? 秘密」
 危ない危ない。升田がノートの中味を見る前に俺はそれを閉じてかばんの中へとなおした。
「最近そのノートばっか見よる。気になる」
「気になる? 教えてやんねぇよ」
 さ、次の授業は何かな、と歌うようにして机の中をあさる。テスト前に片付けたにもかかわらず、もうぎっしりと物がつまっている。うん、汚い。
「えー、もしかして交換日記とか?」
「はあ?」
「彼女と、交換日記!?」
 まずい、これはまずい。
 升田がどんどん一人で盛り上がっていく。これは危険信号だ。
「ないない、彼女おらんもん」
 手をびゅんびゅんふって否定するが、升田はもう聞いてはいない。
「いやっ! 片倉君隅に置けないねっ!」
 くしゃりと笑い、俺の背中をばんばんたたく。
「いやいやいやいや」
「孝樹ぃー、やっぱり俊弥彼女おったらしいぜ」
「そこにまわすかっ!」
 升田は教室の端(反対方向だ)に向かって叫ぶ。
「あー、やっぱりおったんか」
 とたん孝樹がニヤニヤと笑いながら話にのってきた。
「いや、まて、のらんでいい」
「しかも交換日記しとるらしい!」
「こら升田もそんな根も葉もないことを」
「おー、純愛やな。あっつあつ」
「あっついあっつい」
 そしていつの間にか、ニヤニヤと笑う二人に取り囲まれているのだ。いつもだったらこうやって囲まれていじられるの、孝樹のはずなのに。はあ、もう本当こいつら、つかれる。孝樹が離れた席になったから、なかなか絡まれずにすむかなと思ったけど、どうやらその考えは甘かったらしい。教室の端と端なんて、そう遠い距離じゃあないもんな。
「彼女いません。したがって交換日記も相手がいません」
「えっ、じゃあ何?! 一人で交換日記しとるん?」
「馬鹿、それただの日記やん」
「ちがう、升田。きっと俊弥は一人二役しとるんっちゃ!」
「え!? 相手は妄想?」
「妄想妄想! うわー、片倉君予想以上にヤバイ子」
「妄想してんのはお前らの頭ん中で、ヤバイのはお前らだろっ! ほら、俺ロッカー行くからどけっ!」
 なかば強引に二人を押しのけて教室の後ろへと歩き出したら、授業開始のチャイムが鳴り響いた。次の時間は漢文、真面目に授業をうける生徒がほとんどいない教科だ。教科書とノートをとり、席に戻ると同時に先生が教室に入ってきた。号令がかかって、授業がはじまる。
 あの日。
 智奈さんはすぐにメールを返してくれ、何人かの同級生を紹介してくれた。怪しまれないように二人で口裏をあわせて、出したメールにも二、三日で返信がきた。今まで一人ぼっちだったけど、温のことを話し合える人ができたことが、素直にうれしかった。智奈さんから昔の温のことを聞いて、俺は今の温のことを伝える。今温は屋上にいるということを伝えた時は、「屋上から落ちたわけやないのに何でそんな所におると!?」と泣き笑していた。そんなささいな情報共有でさえ、喜びを感じた。
 新聞が残っているはず、という温の言葉も思い出し、地元の図書館で記事を探した。そうやって、あの夜話を整理したノートに、情報を書き込んでいくうちに、冷静になった俺の頭には様々な思いがうかんできた。
 まずは温の性格に驚いた。むちゃくちゃに勇気がある。俺だって、先生にストレートに意見を言うほうだけど、彼ほどの物言いはできない。そして、尾野って奴はものすごく無責任な奴だと思った。生徒を殺しておいて、死んで償うなんておかしい。死ぬ前にもっとやることがあったろうに。七年前にこの学校で実際に起こった事故。それがほとんど今の生徒に知られていないということも、驚くべきことだ。すぐに何もかも、消えてしまう。だから幽霊で、変なうわさがたつんだ。
 害はないのに不可解な存在というだけで、害があるように思われてしまう。理解しようとして、でもできないから、いさかいが起こる。 
 調べれば調べるほど、疑問がわいてきた。何で温はそこまで尾野が気に入らなかったのか。何で友達が遠ざかっていくのをひきとめなかったのか。何で智奈さんをつきはなしたのか。なんで死んでしまったのか……。
 温のことを考えるほど、情報を書き込んだノートを開く時間が多くなった。だからさっきみたいに、升田に目をつけられ、孝樹とともに騒がれることになるのだ。
そんな時間を過ごす中、一つ感じたことは、どこか温が俺に似ているということだった。全てがそっくりというわけではない。けれど、断片的に重なる部分があるように思えるのだ。だからなんとなく、気になってしまったのだろうか。
 複雑でドロドロの人間模様なんて、見てて苦しくなるだけだから、普段は首を突っ込もうとしないのに、今回は自分でも驚くほど、ズブズブと深みにはまっていっている。温という人物を、知りたい。ただこの一念で、突き動かされているのだ。
 さっと頭の中に温との出会いがよみがえる。青い空の下、それに不釣合いな幽霊である、彼。確かに印象的な出会いではあった。けれど、ほかに何かある気がする。自分をこうまでさせる、何かが。
 でも、それも勘ぐりすぎなのかな。ぼんやりと、なんとなくの感覚だけが先走って、ぴたりとした答えがでない。はあ、最近このぼんやりとした何かにまどわされっぱなしだ。わかりそうで、わかんなくて、突き詰めていこうとしたらばーっと拡散しちゃう、そんな感じ。温のことを、ただ知りたいだけなのに。
 彼のことから、このもやもやは始まったのだ。だから、彼のことを知っていきさえすれば、いつか終着駅が見つかるはずなのである。しかし結局、いくら情報を集めてもそれは客観でしかない。温の本当の気持ちは誰にもわからないのだ。直接、本人に問わなければ。
 でも、今となってはかなり聞きづらい。何で死んだの、とたしかに聞いたこともある。だけれど、ここまで事情を知ってしまった今、彼に再度そのことを聞くのはいくらなんでもはばかられた。しかし、温に会って彼の口から直接話を聞くしか、真実を知る術はない。それに、会って智奈さんの思い、俺の思いを伝えたかった。
温は十分に愛されていた。彼が遠ざけていただけで、彼には心から信頼を寄せてゆるぎない絆をもってくれる人がいたのだ。智奈さんが温に恋愛感情をいだいていたのは、そんな根っこの所からの信頼もあったと思う。
 俺には、そんなに信頼できる人がいるだろうか。何人かの顔が、うかんでは消えた。みな友達である。けれど、いちばんはっきりと残ったのは、勇の姿だった。
 彼のことを親友と思っている。親友と思ってはいるが、俺は彼に全てをさらけだすことができているだろうか? 彼に身をゆだね、頼ることができるだろうか?
『携帯だよ、携帯。これで話しとったと』
 数週間前、勇に言った言葉を思い出した。温のことが、勇にばれそうになったときのこと。俺はあの時、勇に信じてもらえないと思って、真実を話さずにごまかした。誰かにずっと相談したいと思っていたのに、一言も彼に相談しなかった。
 俺、そう言えば今まで勇に寄りかかったこと、あるんだろうか? なんとなしに、彼は危なっかしいと思って一緒にただわーわー騒いでいるだけの仲だったような気が、しないでもない。
『俊ちゃんさー、志望校決めた?』
 ふと、再び、ため息混じりの彼の言葉を思い出す。そうだ、大学のことだって、俺は進路について何回も相談されて、勇の志望校を知っていた。なのに、俺ははっきりとしたことを、今も勇に言っていない。
あいつはいつも、俺に悩みをちゃんと言ってきている。だけれど、俺はと言ったら。これははたして、信頼をよせてるって、言えるんだろうか。信頼をよせてるんだったらもっと、悩みや不満を、遠慮なく言い合えるもんだと、思う……そう言えば俺たちは、互いの不満を互いにぶつけたことがない気がする。
『お前ら、金魚のフンやん』
 ひと時も離れることなくくっつきまわっている。孝樹も言っていたように、俺たちは一度もケンカなどをして仲が悪くなったことがない。クラスが離れた今でも、すきあらば彼は俺のクラスに遊びに来ているし。それは単に、すごく仲がよいことの証だと思っていたけれど。小学校からずっと一緒で、一回もまともにけんかしたことが無いだなんて、よく考えれば逆に不自然だ。
でも嫌なところが無いわけではないのだ。勇の全部が全部、大好きってわけじゃ、もちろんない。こっちがぐったり疲れていても、とめどなく話しかけてくるところとか、頼まれて教えてやったのにテストで全く結果をださないところとか、ちょくちょく嫌なところもある……じゃあ何で、俺はそれを見逃してきたんだろう? 嫌なところもあるけれど、面白いほうが勝っていたから、文句を言わなかったのだろうか? 楽しければそれでよいと、思っていたのだろうか?
 いや、多分違う。答えははっきりとはわからないけれど、直感がそう告げていた。ただ楽しいから、一緒にいるだけの友達もいることにはいるけれど、勇は違う。よくわかんないけど、違う。
 また頭の中にもやもやと霧のような異物がうかぶ。ああもう、温のこと、自分のこと、さらには勇とのことまでなんて……このもやもやは、相当始末が悪い。
 勇と俺、何でこんなに仲がよいって、言える仲なんだろう……というか、勇は俺のこと、俺が思うぐらいに仲良く思ってくれているのだろうか……全く、わからない。相手の気持ちなんて、本人に聞いてみない限り本当のことはわからない。いや、聞いてみても分からないのかもしれない。だけれど、そんなことはよっぽどのことがない限り、聞けない。みんな相手の気持ちを直接には確かめずに友人としてつき合っていく。それぞれのものさしで、相手の気持ちを推し量りながら。だから、それぞれのやり方で友人を大切に扱っていく。
俺は今、そのものさしがよくわからなくなっているんだ。
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