屋上のあいつ
「お前が行けよ!」
 二時五十三分。升田と孝樹と俺は三分前から屋上の前の階段で、押し合いへし合いをしていた。さっきの古典の時間、俺が教科書を読み終わるとすぐに、背後からメモが回ってきた。何事だ、と思ったら、升田の汚い字で「古典の後俺と俊弥と孝樹で屋上行くぞ! オバケ探しに!」と記されていたのだ。またこの三人か、と思ったが、三人の方が面白いかと思いなおし、孝樹にもメモを回しておいた。ただし、登る理由を告げた時の、孝樹の顔が見てみたいという升田の要望により、孝樹には「何故行くのか」をふせてある。
 そんなこんなで、授業終了のチャイムとともにベランダへと飛び出した。しかし、屋上に続く階段の前まで行ったのは良いのだが、誰を先頭にしてのぼるかでもめるハメになったのだ。
「孝樹いけよ」
「やだよ、何で俺が! 俊弥が行けよ、話の発端だろ!」
 この前我先にと、一人チロルまでして意気揚々とこの階段を登っていった孝樹はどこへ行ったのか――……目の前の彼は、先頭に立つことをにやにやと笑いながらも拒んでいた。
 教室を出る前に、あまりにも升田と俺でニヤニヤしていたら、何かあると分かったらしい孝樹は、なぜ行くのかをしつこく聞いてきた。まあまあ、とごまかしつつも、階段の下まで行き、ネタばらしをしたところ彼は一瞬顔をしかめ、「先頭は嫌!」と大きく叫んだのだ。そこから三人で押し合いへし合いの大騒ぎである。
「ちゃう、行こうっち言い出したの升田やもん」
「じゃあ升田行け!」
「嫌、孝樹この前一人チロルで登ってったやん」
 三人とも、顔ではニヤニヤ笑っているが、多分本心はちょっとだけ怖いのだろう。誰も率先して行こうとしないのが、よい証拠だ。
「そうやん、チ・ヨ・コ・レ・イ・ト! とか言ってさ」
「ほら、チ・ヨ・コ・レ・イ・ト!」
「わっ! お前おすなちゃ!」
 升田がふざけて掛け声をかけながらぐいぐいと孝樹の背を押す。俺もそれに便乗し、手をたたきながら掛け声をかけた。
「ハイ! チ・ヨ・コ・レ・イ・ト!」
「グ・リ・ン・ピ・イ・ス!」
「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル!」
 抑揚をつけ、ハイハイ、と軽く背を押す升田に、孝樹はちょっと階段を登る動作をして見せたが、ふっと俺たちの掛け声がやんだところで、
「誰がのぼるか!」
と升田の手を振り払い、きっと俺たち二人をにらみつけた。ほおを空気でぷくりと膨らまして、「怒っとるぞ」というポーズも忘れずに。その顔を見て、はじけたように笑い出す、升田と俺。
「お前顔気持ち悪っ!」
 笑いながら升田が孝樹を指差すと、さらに頬をふくらましてきた。
「それドン引きやわ! 友達おらんくなるばい!」
 冗談を言いながら、俺も孝樹を指差した。もちろん、笑いながら。
 しかしその瞬間、おどけていた孝樹の眼が一瞬さっと、冷たいものに変わった気がした。
 気がした、というのは次の瞬間孝樹が俺の顔めがけて頬にためていた息を勢いよく吐いたから、思わず目をつむってしまい、彼の姿が見えなくなってしまったのである。
「うるさーい! へーん、いいもーんだ」
 目を開ければ、ちょっと口をとがらした孝樹が、わざとらしくそっぽを向いていた。
「わかったわかった、三人一緒に登ろう」
 すねたふりをする孝樹の背をぽん、とたたき、升田が俺と孝樹をぐいとひきよせ無理やり肩を組んだ。体の大きい彼は、こういう時有無を言わせぬ圧力がある。
またあの目だったな。
 孝樹の視線に、一瞬感じた気まずさが腑に落ちず、鼻先に感じた孝樹のにおいをふんと鼻息で吹き飛ばそうとする。やっぱりこいつは、よくわからない。
 中学の時は、けっこう仲が良かったのに、高校に入ってから感じるようになった、孝樹との距離。今となってはいきなりあんな視線を浴びることには、慣れてしまっている。そしてその後、何事もなかったかのように接することも。
 ちょっと孝樹の様子を伺おうと横を見ると、彼は下を向いており、代わりに升田がこちらを向いていた。俺の視線をとらえると、彼はちらりと孝樹に視線をおとし、ちょっとあごを階段の上へ向かい動かした。そして、孝樹の背にあてた腕を、組みかえる振りをして、背を押す身振りをして見せる。
 OK? という風にこちらを見た升田に、俺はにやりと笑いかけた。どうやら屋上一歩手前で、孝樹だけを前に押し出すつもりらしい。升田は俺の笑みを確認し、自分もにやりといかにも悪ガキのような笑みをうかべた。それを見て、しゅるしゅると孝樹への気まずさが消えていく。代わりに、いたずら心がむくむくと湧きあがってきた。ああ、これだからこいつらと三人でいると、面白いのだ。
「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」
 誰からともなく言い出した掛け声に、三人声を合わせる。その声はだんだんと大きくなっていき、それにあわせて真ん中の孝樹の歩調もはずんできた。
「グ・リ・ン・ピ・イ・ス!」
 連動し、自然と升田と俺の足も、リズミカルにジャンプしだす。下手したら段を踏み外しそうだ。
「パ! イ! ナ! ツ! プ! ル!」
 そろそろだ、ちらりと升田を見ると、これから起こるであろう事態にもう耐えられない、とばかりに笑いが顔面にしみだしていた。それを見ただけで、つられて俺もダムが決壊しそうになる。だめだ、こらえろ!
「グ! リ―……」
 瞬間、すっとおじぎをして肩にまわされた孝樹の手から抜け、ぐっとありったけの力を左手にこめた。
「コ!」
 ひときわ大きく叫ぶと、ぐいと二つの力におされた孝樹だけが、前に出る。
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