アレキサンドライトの姫君
「エーデル。ヴェルホルトに気を許すな」
「え…?」

傍からそう声をかけられて、エーデルはやっと金縛りから解れたように顔を向けた。

「ヴェルホルトは相手を懐柔する術(すべ)に長(た)けている」

実の弟だというのに、相手の性格を冷静に分析しているような淡々とした口調に悲しさが込み上げる。

「ヴェルホルトは生まれつき心臓が弱く体力がない。一度(ひとたび)発作が出ればそれは命に関わる。その為、第二王子という立場でありながら王位継承権第二位という地位は与えられていない」

衝撃ではあったが、心のどこかで道理で…と頷いていた。
ディルクよりも身体が小さく華奢で、色白の儚げな姿はその所為だったのか。
それと同時に、ヴェルホルトに付き纏っていた違和感の正体が何となく分かった気がした。
明るく親しげに振舞うのは、彼の自己防衛の手段なのかもしれない…と。
人に嫌われない為、健康に見せる為、兄と比べられないようにする為ーーー。

「その所為か、ヴェルホルトは幼い頃から私に劣等感を抱いているのだ」

瞳を伏せて呟いたディルクの手にエーデルはそっと手を重ねた。
体力も知力も風格もその全てが王太子に相応しい輝かしいばかりの兄と、身体も弱く王位継承権すら与えられていない弟。ヴェルホルトはそんな遜色を取り繕うように本心をひた隠しているのかもしれない。
羨望、嫉妬、優劣。兄弟なのに、二人の間にある深い溝に心が痛んだ。

「体力も健康も王位継承権も…全てが私に奪われたとヴェルホルトが思っているのだとしたら、貴女だけは私から奪取したいと考えているかもしれない」

夢か現か分からない中で聞いた『狡いよ、兄さん』『僕も彼女に求婚する』という科白。
それが彼の本音なら…。
その本音が、ディルクの中で強く翳りを落としているなら…。
いや。もし、そうだとしても。

「ディルク様。私はディルク様のものです」

重ねた手に力を込めて、エーデルはまっすぐに彼を見つめてそう言った。
ーーーヴェルホルト様に同情はしない。
劣位にいる者にとって同情はより一層苦しめることになるものだと知っているから。

「ありがとう…エーデル」

ディルクは静かにそう微笑んでエーデルの手を強く握った。

「ディルク様、あともうお一方…ご兄弟がいらっしゃるのではないですか?」

謁見の間で王族と対面した際、疲労と緊張と恐怖で霞む視界の中、国王の脇に立っていたもう一人の王子らしき人影を見た気がする。しかし、それはとても小さかったような…。

「ああ…、それはグランツだな」
「グランツ様…ですか…?」
「ああ。グランツは国王の第三夫人の子息で、我がハインリヒ王国第三王子、そして王位継承権第二位の者だ。私とヴェルホルトとは異母兄弟ということになる。歳はまだ十になったばかりだ」

ーーー第三夫人…。
その存在が何故か重く心に押(の)し掛かった。

「そうなの…ですか…」
「あとは、第二夫人に私たちよりひとつ年下の姫がいるがーーー私とヴェルホルトにとっては妹となるが、彼女は半年ほど前に公爵家へ降嫁した。私たち兄弟はそんなところだ」

多妻制が認められていないヴァルトニアとは違い、それが当然という風習が根付いているこのハインリヒで生きていくならこれに慣れなければ…とエーデルは思っていた。
いつか年月が流れ、心変わりしたディルクが他の女性を娶る可能性も否定できないから。
先程は自分がその存在でも良いと豪語したというのに、逆の立場になることを考えた途端 胸に鋭い痛みが走り、妙な焦りにも似た感情が渦巻く。
自分でも嫌になる程の我が儘と身勝手さに腹が立つ。
そこへ、窓越しに鐘の音が響いてきた。

「あ」

雑念を払ってくれるかのような、心地よいその響き。
いつも心に静穏を与えてくれる鐘の音が幼い頃から大好きだった。
途端に窓の外に目を向けたエーデルに気付き、ディルクが訝しげに顔を覗き込む。

「どうした?」
「鐘の音が…。近くに鐘楼があるのですか?」
「ああ。この王宮の敷地内に王家専用の聖堂が建てられている。夕食の時刻までまだ少しある。行ってみるか?」
「はい。ぜひ」
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