アレキサンドライトの姫君

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その瞬間、銀色の刃が閃いて金色の髪がぱらぱらと宙を舞った。

「な…っ!?」

驚愕のあまり思わず怯んだヴェルホルトから身を離し、エーデルは彼を見据えた。

「私は…ディルク様のものです。他の男性に触れさせるわけには参りません」

これだけは言っておかなければ、と思った。

「エーデル…貴女は何てことを。貴女の美しい髪が…」

ヴェルホルトは呆然とそう言いながら手に握ったままのエーデルの長い髪の一房に視線を落とした。
エーデルの右手に握られているのは護身用の短刀。
いざという時のためディルクから渡されていたその短刀は、鞘と柄の部分に小さなアレキサンドライトと琥珀と黒曜石が埋め込まれていて、蔓薔薇のような模様が彫られているものだ。それは、二人の『約束』の証でもある。
貴族の娘は外出する際、ドレスの下に護身刀を忍ばせるのが一般的だった。
太腿あたりに携行帯で短刀を固定すればドレスが描く美しい膨らみの曲線がそれを上手く隠してくれ、拘(こだわ)りを持って着飾ったそれを一切崩すことなく携帯することができる。
身を守るための剣でもあり、自害の心得まで身につけている貴族の娘たちが自尊心を守るために己に刃を向けることもある。もし賊などに襲われるようなことがあった場合、身体を穢され奪われるくらいなら自ら命を絶て、と。本来それは神の教えに背く行為ではあるが、身を守る為ならば致し方ないとされていた。
ドレスの下のそんな剣の存在にエーデルはふと気が付いた。
片手で髪をもう片方の手で顎を掴まれていたエーデルは、幸いなことに自分の両手の自由は利いた。
力任せにヴェルホルトを突き飛ばすこともできたが、もしその衝撃で心臓の発作が出てしまったら…と思うとそれも出来なかった。
しかし、剣を取り出したところでヴェルホルトに刃を向けるわけにはいかない。
王族に刃を向けるなど反逆罪以外の何物でもなく、もしそれが正当防衛だとしてもそんな主張など認められるはずもない。
ーーーそれならば、この髪を…。
そう決意して、気付かれないようにするするとドレスの生地をたくし上げて短刀を取り出し、掴まれていたその髪を一気に切り落とした。
刃がヴェルホルトの方に向かないよう、もし手元が狂ったとしても傷がつくのは自分の方であるようにと配慮して。
力も勢いもつけなかったのが幸いし良く磨き上げられていたらしい鋭利な刃はちゃんと狙い通りに髪だけを切ったかのように思われた。
しかし、振り下ろした際にその切っ先がエーデルの左腕を覆うドレスの生地に引っかかりそのままそれを引き裂いていた。
肩の部分で幾重にも襞が作られて袖の部分はたっぷりと膨らんでいたにもかかわらず、その刃先は触れた皮膚をも裂いてそこから血が滲み出した。

「痛……っ」

幸いにも傷はさほど深くなく擦り傷程度らしい。出血量も少ないとはいえ、痛覚は非常に強く反応している気がする。

「エーデル…血が…っ」

ヴェルホトルは驚愕に目を見開いたまま、エーデルの腕を見入っている。
傷もシミも黒子(ほくろ)さえないエーデルの美しい白皙の肌に血液の赤がよく映える。

「大丈夫です、殿下…。驚かせてしまって……申し訳ありません」

全てを奪った兄への復讐としてエーデルを手に入れようとするかもしれないーーーディルクは全てを見抜いていたのだ。
ここまでの事態を想定して護身刀を身につけるようにと言ったのかは定かではないが、ディルクのために捧げると誓ったこの身体を穢されるわけにはいかなかった。
この程度の擦り傷と髪の一部くらい惜しくはない。唇を奪われるくらいなら。

「私の気持ちを理解していただけたなら…どうか…このまま静かに…ご退室ください」

傷口がものすごく熱くて焦げ付いてしまいそうな痛みと、滲んだ血が雫となり皮膚を伝う感触。

「参ったね。エーデル…まさか貴女にここまで見せつけられるとは」

驚愕の表情を崩すと蔑むような口調でそう言いながらも、眼差しはまるで眩しいものでも見るかのように細められる。

「これくらいで貴女を諦めるなんて思わないでね。今日のところは貴女に敬意を払って引き下がってあげるから」

そう言葉を残してヴェルホルトが部屋から立ち去ると、エーデルはその場に力なく腰を落とした。
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