アレキサンドライトの姫君
しばらくして、ドアのノックで我に返り放心状態から覚めたエーデルは返事もせずにただ扉を眺めた。

「エーデル…?」

返事のないことを訝しげに感じたような声音が名を呼びながら開かれた扉の空間から現れる。

「こ…っ、これは一体!?」

部屋の惨状を一目見、吃驚しながらエーデルに駆け寄ってくる。

「ディルク…様…」

ソファやテーブルに飛び散った黄金色の髪、無造作に床に転がっている短刀、袖の生地の裂け目から見える腕の傷の血。

「エーデル、どうした!? 一体何があった!?」

腕を引かれ傷口を凝視するディルクの表情はひどく焦燥しているようにも見える。

「ディルク様。大したことではありません」
「こんな傷まで作りながら、何が大したことないのだ」

ディルクは自分の襟元からタイを引き抜くとそれをエーデルの傷口に巻きつけてきつく縛り上げた。
何があったのかと聞かれて、どこまで話せばいいのかエーデルは悩んでいた。
正直に全てを打ち明けたとして…ディルクにとっては実の弟に関することだ。心を痛めたり激昂したり、益々兄弟の溝が深まってしまうに違いない。

「信じてください、ディルク様。私は貴方のものです。この身は自分で守ります」

問いに答えるのではなくただ自分の意志を伝えようとエーデルは懸命に訴えかけるようにディルクを見つめた。
あまりに力強く、そのアレキサンドライトの瞳が複雑な色を湛えて輝くものだから、ディルクは困ったように肩を竦めてからエーデルの身体を抱き寄せた。

「それはとても勇ましいが…、貴女の身体に傷を付けるのは私が許さない」
「申し訳…ありません…」
「ヴェルホルトがここに来ただろう。彼奴が原因か?」

頷いていいのか分からず、エーデルは黙り込んだまま広く逞しい胸にしがみ付いた。

「やはり入室を許可するべきではなかったな」

そう聞いた時、ヴェルホトルの言葉を疑った自分を恥じた。
人を信じるというのは難しいと改めて痛感した。

「貴女の美しい肌と髪がこのように…」

残念そうに悔しそうに呟かれたが、エーデルにとっては髪も肌も大したことではない。
腰ほどまでに伸びた長い髪のほんの一握りが切り落とされ、テーブルに散らばったそれを見る限りその長さはディルクの靴の大きさとさほど変わりがない。
腕の傷もすぐに塞がり、きっと痕も目立たなくなるはず。
それよりも、唇を守れて良かったとその安堵感でいっぱいだった。

「ミーナを呼んで、部屋の片付けと傷の手当てを急がせよう。医師に塗り薬を処方させる」

宥めるようにエーデルの背を撫でながら耳元で囁くと、

「少し待っているように」

ディルクは立ち上がって部屋を出た。
閉じた扉の外側から鍵の施錠音が聞こえた。
これでこの扉は、この部屋の内側と外側の合鍵を持つ者しか開けられないことになる。
なんとも異様な空気と複雑な心境にただ溜息をついて窓越しの日差しに目を遣った。
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