あなたしか見えないわけじゃない
朝起きてスマホの電源を入れると着信5件。メッセージが10件。

彼からの着信はたった1件だけ。後は洋兄ちゃんから。
メッセージは洋兄ちゃんと早川と木村さんから。昨夜は2人とも夜勤で夕方出勤して私の騒動を知ったらしい。
何があったのかと私を心配してメッセージを入れてくれていた。心遣いに感謝だ。

洋兄ちゃんも騒ぎを知ったらしい。
洋兄ちゃんのは『忘れてない?』だった。

洋兄ちゃんにすぐに返信する。

『忘れてないよ。大丈夫だから』

そして、泣いて腫れた両目を冷やしながら早川と木村さんに短くメッセージを返した。

『悔しい』

木村さんからはすぐに折り返しメッセージがきた。

『腹黒女医にいいようにはめられたわね。あんた、ワキが甘いのよ』
と優しくないオコトバに木村さんらしさがこもっていて少し笑うことができた。




それから深夜勤務で出勤するけど居心地が悪い。
準夜勤の後輩はちらちらと私の様子をうかがっているし、あの内科の患者さんもまだ入室していた。

私は内科の患者さんから離れたベッドの患者さんを担当した。
どうして私が職場で遠慮したり居心地が悪くなったりしなきゃいけないの?
どうして私が。
今まで必死に頑張ってきたのに。
悲しみは怒りに変わる。


早く決着をつけよう。


夜勤をした後、翌日は休日だった。
今日は彼がこの病院で週1回の外来診療の担当日になっている。

あれから彼からの連絡は無かった。
香取先生に付きっきりで慰めているのかも。

今、お付き合いしている相手は私じゃなかったんだろうか。やっぱりハイスペックな元カノの女医の方がいいんだろうなとネガティブになる。

朝、彼に仕事が終わったら話がしたいとメッセージを送る。
昼過ぎに返信がきて、私たちは以前よく2人で行った個室の居酒屋で会う約束をした。

『19時半にあの店で』

彼は約束から10分程遅れてやって来た。

「藤野、伊織と何があったんだよ」

開口一番、そう言った。

ネクタイをゆるめながら私の向かい合わせに不機嫌そうにドカッと座った。
イライラして髪をかき上げる仕草も、その整った顔立ちも全てかっこいい。
私は付き合う前のように冷静な気持ちで彼を見つめた。

「3日前も言った通り。私からは何もしてない。初めから。
初対面はICUで。香取先生は私のことを探していたの。
何か用かと聞いたら『別に』っていわれた。
その後はやたらと私に突っかかるようになって……最後はあれ。私には何が何だかわからない。どうして私が敵視されるのかも、ね」

努めて冷静に声を出した。

「そうか」
そう言ったきり彼は黙ってしまった。

「……やっぱり私の言うことは信じてもらえないのね」

「いや、わからない。今日も伊織は膝を痛がっていたし。わからないから少し時間をくれ」

「先週も香取先生を部屋に泊めたんでしょ。あの人が元カノであの人の事が今でも好きなのね。忘れられない人だったんだ」

彼の目を真っ直ぐ見つめた。
彼はハッとして一瞬目を見開いた。

「わからない。わからないんだ」
私から視線をそらして、珍しく苦しげに顔をゆがませた。

「私の事は?」

「好き……だと思う…。でも、いや、だから少し時間をくれないか」
弱々しくため息をついた。

「何のための時間?」

「自分の気持ちに向き合いたい」

「でも、あなたは先週も香取先生を部屋に泊めた。以前泊めた後輩っていうのも香取先生のことよね」

俯いていた彼が顔を上げて私を見て、すぐに視線をそらした。


その表情を見て、サーッと気持ちがひいていくのがわかった。

「ううん、もういい。わかったから。帰ります。時間を作ってくれてありがとう」

財布から千円札を2枚取り出してテーブルに置いて席を立った。
「おい、待てよ藤野。待てったら」

私の腕をつかもうとした彼から間一髪で逃れる。

「あなたが私という存在がいたのに元カノを受け入れたこと、私のことを信じなかったこと、これでもう決まりでしょ。これ以上何を考える必要があるの?」

身体を引いたまま一気に話した。

「考えた末、やっぱり元カノが好きでしたって言われるのを待てって?バカにしないで」

私の言葉で固まる彼に「お疲れさまでした」とひと言残して個室からさっと出た。
プライドが高い彼は、人前で私を追いかけるなんてことは絶対にしない。
女を追いかけるような真似はしない。
絶対に。

自分の言いたいことを言って席を立った私に腹を立てていることだろう。

でも、もういいや。
私ももう戻るつもりはない。

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