あなたしか見えないわけじゃない
私も自分の気持ちを整理する時間が必要だった。
休み明けに師長に休暇のお願いをすると、すぐに許可が出た。
私がいない方がICUのためになるのだろう。

休暇は明日から1週間。
採血室業務を定時で上がり自分のアパートで休暇の準備をする。
久美さんに連絡した。
明後日の飛行機で北海道に行く。いきなりだったのに、久美さんは予定を合わせてくれるという。
初夏の北海道。
楽しもう。

旅行の前にする事があった。

翌日、彼の出勤後を見計らって私は彼のマンションに入った。
もちろん、彼の車が駐車場に無いことを確認した。
彼の部屋に残した私の荷物を持ち帰り、水槽の魚やサンゴに別れを告げるためだ。

用意した紙袋にバサバサと衣類を入れる。歯ブラシも。空の化粧ポーチも入れた。
彼の部屋のゴミ箱には何も入れない。
全て持ち帰り。
私の痕跡は残さない。未練があるように見られるのもいやだ。

2人で買った食器もペアの物は私のだけ処分。
これで本当に最後だから、彼のものの洗濯をしてきれいに部屋の掃除もした。
ここに朝から来て、もうすぐ夕方になる。

持ち帰る荷物とゴミを車に運ぶ。

『キミの車は荷物が少ししか積めない』と引っ越し前にしかめ面した彼を思い出す。
あの時はひとの車にケチをつけないでよとムッとしたけど、あれ、本当だね。
もう少しバゲッジスペースが欲しいよね。

片付けが終わり、いつものソファーに座る。
水槽のガラスが少し汚れていることに気が付いた。
水槽専用のクロスで拭き始めると私に向かって魚達がわらわらと集まってきていた。

いつも隠れている『かくれ』も『忍者』もいる。

君たちにも別れがわかるのかな。
ごめんね、ありがとう。さよなら。
涙が溢れて止まらない。

君たちにはもう会えない。会わない。
でも、どうか幸せに。

水槽から後ずさりしていたら、テーブルに身体をぶつけてしまった。
その拍子に山積みにされていたファイルや雑誌が雪崩を起こしてしまう。

やれやれ、
最後に失敗しちゃった。

雪崩を片付けていると、固いものに気が付いた。
これって…。

見開きになるように作られた写真台紙。
そっと開くと着物を着た女性がこちらを向いて笑っている。香取先生だ。
間に挟まれた便せんには
『こちらのお嬢さんは同じ大学の教授からの推薦だと聞いている。将来のことをよく考えて返事をしなさい 父』
そう書かれていた。

そうか。
そうだったのか。

少し前から彼は私から少しずつ距離を取っていた。
最後にキスしたのはいつだった?
身体を重ねたのは?

それでも私を完全に手放さなかったのは、メイドが欲しかったから?
もう私は恋人じゃなかった。

やっとはっきり気が付いた……。


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