私の人生覚え書き
私を取り巻く親戚
1998年。私はこの世に生を受けた。

父方の祖父母にとっても、母方の祖父母にとっても初孫。

父方の祖父母にとっては初めての女の子で、特に祖母はとても喜んだのだとか。

父は祖母、祖父、6つ下の弟の伯父(キョウちゃん)の4人家族。

母は祖母、祖父、2つ下の妹の伯母(ヨシカちゃん)の4人家族。

キョウちゃんの奥さんがミナちゃん。キョウちゃんの息子(カズくん)も私の2ヶ月弱後に生まれた。つまり、同級生。

ヨシカちゃんの旦那さんがケイジくん。

ヨシカちゃんは私が生まれるのをそれはそれは楽しみにしていたらしく、当時おもちゃ屋さんの店長を務めていたのにも関わらず、出産に立ち会った。

なんでも、母が「痛い!もう無理!」と弱音を吐いたところに高校3年間空手部だったヨシカちゃんが喝をいれて出てきたのが私だとか。

どんな喝だったか見てみたい気もする(笑)。

そして、なんて言って仕事を休んだのかも尋ねてみたい気がする(笑)。

母方の祖父母は戦争経験者。祖父は当時小学生。祖母は3歳くらいだったらしい。

祖母は10人兄弟の長女。中学を卒業してすぐ兄弟を育てるために1人家を出て都会へ出稼ぎに行ったらしい。

祖母の兄弟は日本全国に散らばっている。

何度か勢揃いしているが、祖母の事をすごく尊敬しているのが幼い私にも伝わってきて「うちのばぁはなんでこんなVIP扱いなんだろう」なんて思ったことがある。

一方、母方の祖父は2人兄弟。祖父のお兄さんには何度もあったことがあるが、その子供、つまり、祖父の甥っ子や姪っ子にあったことがない。

多分、祖父は兄弟関係がうまくいってないのだろう、と今になって思う。

祖父の甥、姪にはあったことないと上記したが、祖父の従兄弟(モーちゃん)とその奥さん(ヨシミおばちゃん)に私はすごく可愛がられて育った。

初めてひらがなで書いた単語が『もーちゃん』だったくらいすごく可愛がられて育った。

なんでも、母とヨシミおばちゃんがすごく仲良しで、母とヨシカちゃんはヨシミおばちゃんの娘たち(ミホ姉ちゃん・なっちゃん)と姉妹のように育ったらしい。

妹が生まれる前、保育園を登園拒否していた私を受け入れてくれたのがここの夫婦だった。

父方の祖父も同じく小学生のときに戦争を経験している。しかし、祖母は終戦時にもまだ生まれていなかった。属に言う、歳の差婚というやつ。

父は参観日の度に「お前の母ちゃん若いな〜」と言われていたそう。

祖父は家族構成が複雑で、私も最近ようやく理解できた。

祖父は曾祖父とずっと暮らしていたのだが、その曾祖父がバツ1で、生みの母と育ての母がいるらしい。

生みの母もそもそもバツ1で、連れ子が2人いた。その2人が祖父の兄(祖父は『オヤジ』と呼んでいた)と姉(フミコさん)。

生みの母は曾祖父と離婚した後、そこそこ裕福な男性と結婚した。

曾祖父は新しく別な奥さん(育ての母)をもらうのだが、その育ての母には2人の連れ子がいて、更に曾祖父との間に1人の子供が生まれた。つまり、祖父は4人兄弟で育った。

しかし、1人だけ他人から生まれた息子である祖父を差別して育てていたらしく、祖父は学校帰りに生みの母のうちへ上がっておやつを食べたりして帰っていたそうだ。

閉めていたはずの棚の戸が空いていたりすると生みの母やお兄さん、お姉さんは祖

父が来たのだと思っていたそう。

そんな差別された生活が嫌で、高校を卒業したら家を出ると決めていたそうだ。

高校は定時制の高校に通いながら、水道会社で技術を学び、卒業と同時に上京し東京の水道会社に就職したそうだ。

上京して何年か経って祖父の兄(オヤジさん)から、連絡が入った。

「地元で企業するから、力を貸してほしい」と言われたそうだ。

10歳も歳が離れており、親父みたいだったから祖父は自分の兄を『オヤジ』と読んでいたそうだが、「オヤジはとにかくせっかちだった」と前に言っていた。

なんでも「飯食ったっか(ご飯は食べたのか)?」が口癖で早寝早食いのThe せっかちだったらしい。

そんな大好きな兄に呼ばれて飛んでいかないと言う選択肢は祖父の中にはなく、地元へ帰ってきた。

オヤジさんの会社を手伝い初めて何年か経って高校を卒業したばかりの祖母が入社した。2人はそこで知り合ったらしい。

(ちなみに母方の祖父母はお見合い結婚らしい。)

今、オヤジさんが起業したその会社は地元では有名な工業会社となっている。

父方の祖母は8人兄弟の下から2番目。とはいえ、末っ子は男の子なので祖母は曾祖父にとても可愛がられて育ったらしい(祖母が亡くなった後に祖母のお姉さん達からきいた)。

祖母の学生時代のモテ伝説を聞かされてなんとも言えない気持ちにもなった。

モテたといえばうちの父も自称学生時代学年で1番モテてたらしい。

○○商業のマッチと呼ばれていたらしい(自称)。

どうやってその1番を測ったのか是非教えてほしい。

生まれてからずっとその自慢をされているが私は未だに信じていないし、その話をされる度「今が全然ダメだからダメでしょ。マッチは現在進行形でかっこいいから。」と返す。

そういえば、父は元甲子園球児。と言っても、ポジションはベンチ。伝令係。

「□□選手と同じ会場にいたんだぞ」なんて言われるけど、野球をしていない私には価値もわからず空返事を返す。

父の家系はいわゆる名門大学出身の人が多く、父も『やればできる』といった感じだったらしいが、野球の強かった○○商業へ入学した。

なんでも祖母に「成績が悪い」と言われ続けていたらしいが、高校入学後すぐの家庭訪問で「なぜ普通科高校を受けなかったのですか?この成績だったら受かっていたのに。」と担任の先生に言われ、有頂天になって舞い上がったらしい。

父が小学生になったころ伯父のキョウちゃんが産まれた。

6つ歳が離れていることもあったのか、祖父母はキョウちゃんを比較的チヤホヤ育てたらしい。

父の話しかきいていないのでいろんな人にきかないと真実はわからないが、私は自分の父にそれほど興味もない。

それに、自分が親になったとき同じような過ちを繰り返すならそれは負の連鎖と言えると思う。

私が言うのもなんだが母の実家は絵に描いたような山奥にある。

人口も少なく中学校までは複式学級だったらしい。

母と伯母(ヨシカちゃん)は2つ違いで双子のように育ったらしい。

今では2人とも素晴らしい中年体型だが、昔は母が小さくヨシカちゃんが大きかった為双子のようだったらしい。

自分の母をこんなこと言いたくないのだが、母は少々、いや、大いに頭が悪い。

なんでも父と同じ○○商業を受験したのだが不合格となり地元でたった2つのうちの片方の私立高校へ流れた。

もし、母が○○商業に合格して、両親の運命が違っていたら私は生まれなかったかもしれない。

ヨシカちゃんも同じく○○商業を受けたが不合格。母と同じ私立高校へ入学したが、成績は常に上位。

ヨシカちゃんの子供、つまり、私の従兄妹をみて思うのだが、きっとヨシカちゃんはできるのに面倒臭くて勉強しなかったのだと思う。

私にとってヨシカちゃんとケイジくんはお姉ちゃん、お兄ちゃんといった感じでいろんな愚痴や相談を吐ける相手。

いつか恩返しをしたいとも思っている。
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