クラウンプリンセスの家庭教師
父と娘
 王妃の起こした事件から、一ヶ月、ミーネは国家反逆の罪を問われて、今は監獄にいる。遠からず、死罪となるはずだった。今は驚くほど穏やかで、時々自分の腹に向かって話かけているらしい。彼女の記憶は、トリスを産む前に戻っていた。彼女は永遠の妊婦で、腹には王の子が、王子が宿っていると信じきっているのだそうだ。元気な男の子を産むのだと、彼女が侍女と信じて疑わない、看守に対して微笑むのだそうだ。

 トリスはそんな母を一度見舞ったが、冷ややかな顔でこう言われた。

「いらっしゃい、グレイシア」

 彼女に娘は存在しない。目の前にいるのは夫の姉。ミーネは未来の王の母になる夢を見続け、夢の中で生きる。その首を、はねられる瞬間まで。

 そして、信じられない事に、病弱だった国王は危機を乗り越えた。病の元が、思いがけず取り除かれたのだった。王妃は、長らく王に少量の毒を盛り続けていた。毒の出処は、彼女の生家。いずれ司直の手が及ぶだろうが、おそらくは前当主、ミーネの父親が、全てを抱えこむのだろう。一族全てを、罪に問う事はできない。
 池を干上がらせて、全ての水を入れ替えるというのは大変な労力がともなう。少しずつ、浄化していく他ないのだ。

 トリスは、事件以降多忙を極めていた。王妃に加担した隣国大使の捜査や、賠償について。奇跡的に死者が出なかった為、裁判や補償についてなど、当事者自ら先頭に立って、動いた。隣国は、大使を切り捨てる事で、外交上の問題にはしなかった。隣国とて、一枚岩ではない。内政に力を入れたい者もいれば、侵略で、領土を広げたいと考える者もいる。全ては調整、調整だった。

 わずかなバランスを取る為に、細心の注意を払う事。王の仕事も、政治も、決して楽な事では無い。しかし、誰かがやらなくてはならない。
 国王の回復と共に、グリチーネ家の力は削がれていき、空いた席には、象牙の塔や、学院から出てきた若者がその席を埋めていく。次代の為の体制作りは、既に始まっている。

 国賊の娘である、トリスの立場は微妙だったが、事件の収拾や、その後の動きを知る者は、彼女の王としての適正を疑わなかった。

「苦労をかけたね、トリス」

 父のねぎらいの言葉に、トリスは苦笑する。

「いえ、父上が復帰されて、良かったです。……まさか、母上が……」

 言葉を濁す他無い。王妃の事件対応に忙殺される間、彼女の話は(その処遇について話し合われる以外は)避けられていた。

「少し、話をしようか、いや、私の話を聞いてくれるだけでいい」

 病から回復したとはいえ、老いをより色濃くした父に椅子を勧め、自身もいつもの椅子に腰掛ける。
 父が語った母の話は、今まで聞いたどの話とも違っていた。そこにいたのは、快楽に弱く、奔放な母では無かった。父が見ていた、母の姿だった。

「私とミーネは、産まれた時から、結婚することが決まっていた。グリチーネ家は、初代女王の頃から王家に仕えていて、私の祖母、お前のひいお祖母様だが、からの信頼も厚かった。私の母方の祖母も、グリチーネ家の女性だったしね。あまりにも幼い頃から一緒に居過ぎて、私はミーネを妹のように思っていたよ」

 幼い頃の母は、どちらかといえば大人しく、物静かな少女だったのだという。

「しかし、グレイシアが、姉が即位した時からかな、ひどく彼女を意識しているようだった」

 姉が即位せずに、幼いながらも、私が王位についていたら、もう少し違う未来もあったのかもしれない。先に立たないからこその後悔。父はどうにもならない事であるのはわかりながら、それでも自分を責めているのだ。

 しかし、トリスはもう知っている。人が一人でできる事には限りがあり、自分の力のみで制御できる事などは、わずかでしかないのだという事を。自分の一人の力でどうにかなるというのは、傲りだ。

 父に責めるところがあるとするなら、母を自由にさせすぎた事だろう。しかし、緩やかに自分を殺そうとしている相手と、今思えばどう対峙していたらよかったというのだろう。

「ライヒ達からの重圧もあったのだろう、王子を産むこと。皇太子妃として世継ぎを産む事を」

「ミーネはまっすぐに、ひたむきに、期待に応えようとしていただんだよ。……私は、そんな彼女から逃げた」

 父が側室を置いた時に、母は何を思っただろう。王族や貴族が側室を持つ事はめずらしい事では無い。自分の父親もそうだったはずだが、母の性格を思えば、耐えられなかったのかもしれない。『皆がそうなのだから』といって、自分がそれに倣わなくてはならないと、あの人が納得できていたとは思えない。

 ただ、彼女が納得できなかったといって、父にできたのは、母が納得するよう努力するだけだったろう。人の考えを変える事はできない。自分の意志は、自分のものであるが、他人に対してできる事は、自分の意志を伝える事だけだ。それを元に、相手がどうするかは相手次第なのだから。

 父は父の考えを母に伝え、彼女の意志を確かめる必要があったはずだ。表に出さないからといって、感情が無かった事にはならない。

「父上は、母上を愛しておられたのでしょうか」

 父は寂しそうに笑って、答えた。

「愛しているよ、……信じてもらえないかもしれないが。 ミーネは、私を愛してはいなかったかもしれない。……でも、殺したいほど憎まれているとは思わなかった」

 母も、父を愛していたのだと思いたい。そうでなければ、深い憎しみは生まれない。愛情の反対は無関心だ。そういう意味では、トリスも愛されていたのかもしれない。

 あなたなんて、だあいっ嫌い 耳に残る母の言葉。私は、母に憎しみすら返さなかった。黙って受け流した。関心を持たなかった。母は、愛されたがっていた。肉体のつながりが、愛情だと信じていたから、父以外の男と通じた。満たされない心の飢餓感を埋める為の手段として、それは正しい方法ではなかった。結局、彼女の餓えは満たされなかったのだから。

「……トリス、本当に、すまなかった」

 母が愛されたがっていたように、父だって、愛されたかったに違いない。愛した妻が、自分を裏切っていた事。自分をゆるやかに殺そうとしていた事を知って、哀しくないはずがない。

 だが、多分父はそれを誰にも言わない。母と姉から大切に繋がれた王位を受け継ぎ、自分の立場と責任を全うする事を一番に優先させた人。父にとっては、それが母よりも大切だったのだから。

 トリスは、父の言葉には答えず、ただ黙って側にいた。
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