クラウンプリンセスの家庭教師
母と娘
 我ながら、ちょっと色に溺れすぎていたかもしれないな、と、トリスは後悔していた。……油断した。と、石牢の中で目を覚まし、薄暗く、湿った空気の中で、どれほど時間がたっているかを考えていた。衣類の汚れ具合や、空腹度合いからして、それほど時間がたっているとは思えない。
 護衛の兵士達はどうなったのか、元々その為に選ばれた者達だったのか、始末されてしまっているのか、だとしたら悪い事をしたな、と、思った。
 象牙の塔から城へ戻る途中、賊に囲まれた。王宮の護衛が撃たれてしまったのだとしたら、かなり問題だし、できれば元々その為の人選であって欲しいと思いたかった。余計な血が流れるのは、いただけない。

 このまま餓死させるつもりなのか、ヴァルターに拉致されて以降、トリスは携帯食を身に付けるようにしており、幸いとられてはいないようだった。水と、少しばかりの戦闘糧食だが、数日であれば命を永らえる事は可能なはずだった。

 幸いにして、牢の頑丈さを信じているのか、手足は拘束されていない。武器もとられていないので、あまりこういう事に慣れていない人間の仕業ではないかと予想した。

 襲われた場所、今までの時間を考慮して、地下牢のある建物を思い返す。問題がひとつ片付いたところで、こちらもいっそ解決してしまおうかと思い、少し待った。予想通りであれば、本人が姿を表すだろうと思った。

 ガチャリ、と、除き窓の開く音がして、見慣れた紫水晶の双眸が覗く。

「あらやだ、元気そうじゃない」

 ……予想通り、それは、母、ヘルミーナ王妃だった。

「あー、おかげ様で、二度目ですし、だいぶ慣れました」

 長丁場になりそうな予感があったので、トリスは上着を敷いて、その上に腰を下ろした。愛人と、やり口が似るのか、元々似た物同士なのか、多分後者だろう。

「まさか母上に拉致監禁されるとは思いませんでしたが……。ひとつお聞きしたいのですが、護衛の兵士達はどうしました?」

「さあ? 私はあなたをさらってくるよう命じただけ、……ただ、まあ、妨害があったのなら、しかるべき方法で排除したのでしょうね、護衛を上回るだけの人数は出したはずだし」

 自国の民を、臣下を手にかけさせたか。性的に多少奔放だろうと、我侭だろうと、娘に対してひとかけらの愛情を示さなくても耐えられた。しかし、自分の目的の為に無辜の、しかも臣下を排除するとは……もうダメだ、この女性は。

「あなたの望みはなんですか? 母上」

「お前を殺して女王になる事」

 ……トリスは、一瞬母が何を言っているのかわからなかった。自分も殺す、というところまでは予想の範囲だったが、『女王になる』とは……。

「だって、お義母様だって、王妃でありながら女王になったじゃないの、あなたと、聖堂のリューネがいなくなれば、王位を継げるものはいなくなるわ、私が女王になって、陛下が崩御された後に、しかるべき夫の子を産めばよいのよ」

「お祖母様は、元は王女です。初代女王の異母妹です。あなたとは立場が違います」

「知ってるわ、そんな事、……でも、なりたいのだもの、しょうがないじゃない、私は この国の 一番の女に なりたいの」

「今まさにそうじゃないですか、王妃陛下、私が即位したって、あなたは今度は王太后だ、一番の女性です」

「でも、お前がいるわ」

 ダメだ、話が通じない。

「……女王になって、どうするんです」

 捨鉢な気持ちになって、トリスは聞いた。いつまでこのやりとりを続けなくてはならないのだろう。

「えー、まず、氷の離宮のグレイシア前女王を追放してー」

「陛下も……まあ、放っておいても長くはないでしょうけど、ステキな夫が見つかり次第お隠れいただいてー」

「あー、あと、王冠を、女王用に作り替えてもらおうかなー、あれ、元々国王用で、すこし形が無粋なのよねー、もっと、こう、女王の品位にふさわしい華やかなものにしないと」

 どうしよう、本気で頭が痛くなってきた……。トリスは、うつむいて、こめかみを抑える。

「他にも、色々お聞きしたい事はあるのですが、母上は、女王は、王は何の為にいると思っていらっしゃるんですか?」

「一番えらい人? というか、王の為に民がいるのではなくて? 民にはたくさん働いてもらって、たくさん税をとらないとねー、戦争になっても、武器や兵隊がないと困るし。あー、でも、もう何年も戦争なんて起きてないし、そんなに心配する必要はないかしら?」

 この女性は、父と共に何を見ていたんだろう。戦争が起こらない為に講じた策や、作物の収穫を上げる為に整えた制度や、人々が仕事を探しやすく、適材適所になるようにしてきた工夫など、父が苦労してきた事を見てはいなかったのか。
 王になって、何がしたいか、とは考えていない、(いや、考えてはいるけれど、それはあくまで個人的な欲望の為であって、国の為では決して無い)ただ、『王になりたい』ただそれだけなのだ。

 たとえば、ここで母が、国をよくする為に必要なもの、自分が即位する事で変わる何かについて語っていてくれたら、トリスは喜んでクラウンプリンセスの座を降りたろう。たくさん働いてもらって、たくさん税をとるのはいい。だが、「たくさん働いてもらう」為に何をするのか、考えるのが怖かった。

 嬉々として、自分を殺して女王になると、言い切る母が怖かった。自分はこの女性から産まれたのだ、唯一、確実に血をひいているとわかるのがこの女性だと思うと、暗澹とした気分になる。もしや、自分も、外から見たら「こう」なのだろうか。

「……それは、グリチーネの当主殿達もご存知なのですか? 母上の即位を」

 母だけならともかく、グリチーネ家が後ろ盾としてあれば、母の望みも実はそう実現不可能な事では無い。

「いいえ、お父様もお兄様も反対なの、あなたが今後産むであろう子供が幼いうちに即位させたいみたい。なんでかしらね、私が女王になった方がてっとりばやいのに」

 グリチーネ家の協力が無い? では、今回のこの拉致監禁は、誰の手によってなされたのか。母一人で、護衛兵を上回る人員を揃える事は難しいのではないか。協力者は……誰なんだ。

「だからね、お隣の国の力を借りたのよ」

 ニコニコと、母が語る。そういえば、隣国の大使と母は親しかった気がする。
 母の行動は、自分の想定の遙か上にあった。

「……馬鹿な、下手したら、それは」

 王家だけでなく、国そのものが……。隣国とは、海を隔てているゆえに、直接的な戦闘は多くは無い。しかし、海岸沿いの民が海賊の襲撃に合うなど、被害に合う事はあった。海賊も、隣国が黒幕だろうという話もある。

 では、我々を襲撃したのは隣国の兵士だったのか。傭兵の可能性もあるが、ともかく隣国の手の者が、王位継承者を拉致し、王妃がその手引をした、などと……。どうしてここまで、母は、国を滅ぼす事もいとわないほどに、私を嫌っているのか。

「母上は、そこまで、私を……」

「ええ、そうよ! あんたなんか、だぁ〜いっ嫌い! 私にちっとも似ていない! グレイシアそっくり! 賢しげで、私の事など、馬鹿にしているのでしょう?」

「伯母上に……似ている? 私が?」

 では、私は父上と母上の子という事か。知っているのは母だけだ。奇妙な安堵感だった。私はずっと怖かった。父の子でなかったらどうしようと。皮肉にも、今確信した。うれしかった。

「そうよ! あんな女! 子供も産めない石女のくせに!」

 少し妙だと思った。伯母は生涯独身だった。『子供を産まない』ならともかく『産めない』とはどういう事だろう。

「伯母上には、夫がいらっしゃったのですか?」

「正式に結婚はしていなかったわ! でも、通っている男がいたの! 恋人がいたのよ! ざまあみろだわ! 子供ができたら、きっと後を継がせるつもりだったんでしょうけど、産めなかった! 私は産んだの! 女として優れているのは私の方なのよ!」

「その、せっかく産んだ娘を、殺すのですね」

「私が産んだんだもの! 殺すのだって私の自由なはずだわ!」

 母は、錯乱状態だった。酒か? 薬か? ともかく、尋常では無い。トリスは立ち上がって除き窓の母の視線を伺った。
 予想に反して、母の視線は力強かった。酒や薬によって自分を失っているようでは無い。
 ……では、本心か。これが、素直な、母の気持ちか。どうしてこうなってしまったのか。私が母を追い詰めたのか。どうすればよかったというのだろう。

「母上自ら手を汚されるのですか? それとも、自ら毒をあおればよいですか?」

 母を刺激する事になりそうだったが、あえてトリスは挑発した。

「私が? お前を? 無理よ、力ではとてもかなわないし、……毒もね、まあ、いいのだけれど、私は、お前が泣きながら、母に許しをこう姿を見たいのよ」

「……幼い頃から、けっこうお見せしていると思うのですが」
 幼い頃、母にいじわるをされて、自分では意味がわからず、泣きながら母を呼んだことだってあったはずだ。

「そもそも、許しをこうたところで、もう私を殺める事は決めておいでなのでしょう?」
 不快ではあるが、こうして会話をしている間は、まだ命が繋がるという事だ。万が一の助けが来ると信じて、時間をかせごうと、母の言葉を引き出そうとした。その時だった。

 聞きなれない叫び声、怒号、甲冑の音がする。聞き慣れた、人の声。

「殿下!」

 それは、カイと、伯母の私兵達だった。
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