クラウンプリンセスの家庭教師
氷の女王
 かつて、中継ぎとして女王に即位した父の姉、今は退位した前女王であるトリスの伯母は、王都の外れ、湖の近くの静かな離宮に、隠棲していた。彼女に子は無く、静かな日々を送ってる。
 即位前の忙しい合間をぬって、トリスは伯母を尋ねた。即位してしまっては、今以上に会いに来る事はなくなるだろうと、無理をして時間を作り、通称、『氷の離宮』に一泊する予定だった。
 伯母は、久しぶりの姪の訪問に喜び、自ら出迎えるほどだった。
「伯母様!」
 共もつけずに一人でやって来た姪に、伯母は少し戸惑ったが、暖かく迎え入れ、自室へと導いた。
「即位前の忙しい時期にどうしたの? 手紙をもらった時は驚いたわ」
 暖かなお茶で手を暖めながら、トリスは言った。
「できれば、即位する前に、伯母様に色々聞いてみたい事があって」
 とは言うものの、二の句を継げずにいるトリスに、まずは夕食にしましょうと、彼女を夕食に誘った。食事を終えてから、それは少しお酒を必要とする話かもしれないと、前女王は思った。

 前女王グレイシアは老女というにはまだ少し若い。即位後、並み居る求婚者をすべて退け、最後まで結婚はしなかったのは、弟の即位の邪魔になるとの配慮であったのであれば、退位後に、と、世間は思ったようだが、退位後、少しの期間弟を補佐した後、長女のトリスが生まれ、ほどなくして王宮を出て、今の氷の離宮に移った。

 美しく、しかし冷徹な女王を、人は氷の女王と呼んだ。そんな彼女が移り住んだ事で、湖そばの離宮は、氷の離宮と呼ばれるようになった。そのように、世間からは氷の女王と呼ばれるグレイシアも、姪であるトリスには優しい伯母だった。甘やかす事は無かったが、穏やかで、柔らかな物腰はトリスの憧れで目標だった。

「……伯母様は、男性を好きになった事はなかったの?」
 夕食を終え、トリスにあてがわれた客間で盃を重ねた後、思いつめたようにトリスから尋ねた。
「聞きたい事というのはその事だったの……」
 やはり、と、思っていたのか、グレイシアは、柔らかなほほ笑みを崩さない。
「あなたと私では立場が違うわ、トリス、あなたは自由に伴侶を選んでよいのですよ?」
 中継ぎではない、初めての女王であると、グレイシアは言いたいのだとトリスは思った。
「……伯母様、私は誰とも結婚するつもりはありません」
 きっぱりと、トリスが言う。
「私に準じる必要はありません。 ……トリス、あなた、好きな人ができたんでしょう」
 ひねりの無い問いであった事もあって、トリスの意図は容易に見破られた。そのまま黙りこんでしまう。
「……少し、昔の話をしましょうか」
 口の重い姪を慮って、伯母はつらつらと、昔語りを始めた。

 百年前にあった、王位争いの話から、それは始まる。

 かつて、今のグリチーネ家のように、王家と血縁関係を結び、権勢を持った家があった。王家をないがしろにするその一族を諌める為に、当主と跡継ぎが粛清された。当事者は、王子の一人。彼は世継ぎの王子では無かったが、兄、皇太子の即位後、自らの甥達を押しのけて、最終的には王位に着いた。どういう経緯がそこにあったか、歴史書には残されていない。しかし、彼は王家を救った英雄として、王者になったと記されていた。
 流された血は、因果となって、再び王家に暗い影を落とした。王は、自身の長男を世継ぎに指名したが、ここで争いが起きた。王の弟が、次代の王になろうとしたからだった。そもそも、兄から弟への譲位の後のこと。先例に習うという事であれば、間違いでは無い。王弟は、兄と共に立った勇者の一人だったからだ。手を汚した者が王になるのであれば、自らがふさわしいとした王弟は、甥を殺害した。甥は殺されたが、姪達は救った。姪の一人を妻として、次代につなげる事で、血統を一つにしようとしたのだった。
 王弟は血の粛清より始まる王朝の二代目となった。しかし、三代目を指名しないまま、二代目は死に、継ぎに立ったのは、二代目の妻。つまり、初代の娘だった。彼女は、自分以外の血統が王位につくことを認めなかった。二代目には側室も多く、三代目候補は数多くいた。その中には、二代目同様、血の粛清に加わっていた王子もいた。しかし、彼の母は身分が低かった。

 血の粛清で始まった王朝、自らの手を汚したものが二代続いた後、三代目に即位したのは女王だった。

 兄から弟へ渡った王位は妻に継がれたが、考え方によっては、父から娘へ継がれたという事でもある。しかし、四代目についたのは、女王の息子では無かった。女王が息子に代を譲る前に、王子が先に死んでしまったからだ。

 二代目の王子は数多くいたが、女王の息子はたった一人。しかし、女王には孫がいた。孫が王位に着くまでは、と、女王の治世は長かったが、孫の成長を待たずに、女王にも終わりが見えてくる。四代目は、孫の母親。つまり、急逝した息子の妻が立った。彼女もまた、初代の娘、女王にとっては、腹違いの妹だったのだ。皮肉にも、初代王の娘が次々女王となって国を繋いだ。そして五代目。あと少しで、というところで、もう一度女王が立った。

 それが、グレイシアだった。祖母、母、姉。三代の女王の手によって、たった六代目の王がトリスの父だった。

 そこまでして、繋いで来た二代目の血統だったのに、六代目には男子が無かった。血によって粛清された名門一族「ロトブルク」が祟っているのではないかと噂する者もいた。

「血でつなげようとすると、どこかに歪みが出るのですよ。 ……尤も、私もその血で繋げようとした者の一人ですけれどね」
 そう言う、伯母の表情には、曇りが無く、己の人生を悔いているようには見えなかった。
「選択せず、己に課せられた、期待された役割を全うするというのは、案外気楽なものなのです。選ぶ事、自分で決める事には、勇気がいるし、責任も伴うの」
 そして、まっすぐにトリスを見た。
「私のお祖母様も、母も、私も、ただ先送りにしてしまった。繋げなくてはと言いながら、『繋ぐ事』しかしなかった」
 トリスの頬に、グレイシアの手が触れた。温かい手だった。
「……ごめんなさいね、トリス、あなたは選ぶ事ができる。 自分を信じなさい、失敗してもいいの」
「……伯母様……」
 グレイシアが、ぎゅっとトリスを抱きしめた。
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