徹生の部屋
夕方になり、桜王寺邸はまた訪問者を迎える。

「会場まで車でお送りします。それと寿美礼さんから、これをお届けするように言われまして」

上司が一緒でないせいか、元同級生の家を訪れた楢橋さんは、口調も物腰も少し砕けた様子だ。持ってきた風呂敷包みをふたつ、リビングのテーブルに置く。

ウコン色のそれを一瞥した徹生さんは、嫌な顔をしてそっぽを向いた。

「開けてもいいですか?」

「もちろんです」

了承をもらい結び目を解くと、女物の浴衣一揃いが現れる。エンジの浴衣とクチナシ色の帯はもちろん、下着や下駄など必要なものがすべて用意されていた。

白抜きの撫子の花が咲き、あちこちで小さな兎が跳ねる。子どもっぽい意匠のようにも思えるけれど、地の色が落ち着いているから気にならない。

文句なしのかわいらしさに、自然と口元がほころんだ。

そしてもう片方の包みには、男物の浴衣が同じように揃えられていた。

「ぜひこちらを着てお越しください、と。楓さん、着付けは? 差し支えなければ、お手伝いいたしますが」

「えっ? いえ、たぶん……」

もう何年も着ていないけれど、地元の盆踊りには毎年浴衣を着て参加していた。なんとかなるはず。しなければ。
徹生さんと同じ年の男性に着付けてもらうなんて、そんな恥ずかしいことはできない。

私の少し頼りない返答にも楢橋さんは優しく微笑んで頷き、もうひとつの風呂敷包みを徹生さんの前に移動させる。

「俺は着ないぞ、そんなもの。寿美礼の酔狂に付き合ってやる義理はない」

「徹生さん、着ないんですか? だったら私も……」

ひとりだけ浴衣姿だなんて、いい年して張り切っているみたいで恥ずかしい。風呂敷を結び直して返そうとした。

「楓は着ればいい」

「でも……」

助けを求めるように、楢橋さんの眼鏡の奥にある穏やかな色をした瞳を見つめる。

「それでは、徹生……さんは不要とのことですので、私が楓さんの着付けを。さあ、その前に汗を流しましょうか」

楢橋さんは包みを手に取り、私の背中に掌を添えてバスムールへと促す。
彼には他意がないのだろうけれど、どうしたらいいのか焦る。背に回された手の力は思いのほか強くて、首をひねって今度は徹生さんにSOSの視線を送った。

ソファから大きなため息が聞こえて、ゆっくりと徹生さんが立ち上がる。

「俺が先だ。基紀、ちょっとこい」

乱暴に包みを掴んで、同じように楢橋さんの腕も引っ張っていく。

リビングにぽつんと置いて行かれた私は、徹生さんがシャワーを浴びている間に携帯で浴衣の着付けを検索して、必死におさらいしていた。









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