魅惑への助走
 「だから今日は嬉しかったよ。武田さんとこうして普通に話ができるようになって」


 食事を終えて、ファミレスを後にした。


 会計の際、男の見栄か、上杉くんはおごってくれようとしたけれど。


 今は浪人生と正社員、私のほうが収入が多いので、端数だけ上杉くんに払わせて、お札二枚は私が支払った。


 「ごめんね。多く払ってもらって」


 「気にしないで。司法試験に合格して、一流弁護士になったあかつきには、フルコースおごってもらうから」


 出世払いを約束しておいたけど、この時点では翌年の上杉くんの司法試験の合格を疑いもしなかった。


 「武田さんは家はこの辺りだっけ?」


 「うん。歩いて十分圏内。上杉くんは電車で二駅だっけ? 同じ方向だし、駅の前まで一緒に帰ろう」


 いきなり私を家の前まで送るのはいきすぎだと上杉くんは思ったのか、電車の駅まで一緒に帰るだけだった。


 「昼間猛暑だったけど、だいぶましになったね」


 話が盛り上がって、結局夜の11時くらいまでファミレスに居座った。


 閉店を予告する「蛍の光」が流れ始めたのと、上杉くんの乗る電車の最終時刻が迫ってきていたので、ようやくお開きとなったのだった。
< 91 / 679 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop