いちごのきもち
§3:あの人の気持ち
体育館倉庫の掃除の一件以来、
大希くんの、私に対するハードルが下がったらしい。
もう、大掃除は終わっているので
関わることもないのに
教室で見かけると、やたらと声をかけてきてくれる。

「おはよう」

とても遠慮がちで、紳士的な態度で接してくるこの人は
気遣いの仕方も、立ち居振る舞いも、イケメンの鏡だ。

「おはようございます」

だから私は、この人の誠実な態度に
全力投球で真摯に応える。
直立不動からの最敬礼でもって
彼に敬意を表する。

体育館掃除の時に頑張った、私の気持ちが
少しでも伝わってくれていたのなら
この変化は、ちょっとうれしい。

教室の片隅、わざわざ声をかけてくれるなんて
あの人との距離感が
すこし近くなったのかも。

そう思うだけで、
この早まってしまう胸の鼓動が
他の人には絶対に聞こえませんように

頭を上げたとき
合わせた視線の先のあの人の顔が
とても戸惑っているように感じるのは
もしかして、私のこの気持ちが
迷惑か、負担に感じているからなのだろうか?

……片思いが、バレた?

それだけは、困る。

いつもこの人に群がっている
はた目からも充分に大希くん狙いと分かる女
高梨愛美が、こっちを見てる。

そんなににらまれても、
あなたに、かなわないことは分かっているので
私のことは放っておいて下さい。
挑むつもりも、ありませんから。

大希くんは、挨拶だけをすませて
また遠慮がちにおずおずと退いていく。

体育の授業中、女子だけの時間でまったり休憩していると
私の唯一の親友、紗里奈が隣に座り、
変な顔をして心配そうに聞いてきた。

「ねぇ、体育館掃除の時、
 川本くんと、何かあった?」

「えっ? なんで?」

「だってさ、みなみ、あからさまに態度悪いから」

「態度って、なんの態度?」

紗里奈は、眉を思いっきりよせて
私に顔を近づける。

「なんか、変なことでもされた?」

「されてない、されてない、されてない!」

「ふーん、ならまぁ、いいんだけど」

紗里奈は、私の返事に納得がいかないようで
怒ったまま、顔を前に向けた。

「だって、すっごい嫌がってるじゃない。
 めちゃくちゃ嫌ってて。
 なにかあったのかなーなんて、思ってさ」

……紗里奈がそう思うのならば
きっとあの人にも、
この気持ちがバレているということは、ない。
よかった・・・・・・の、か?

「なんか困ったことがあったら
 すぐに相談するんだよ」

「うん、ありがとう……」

運動場の向こう側、男子は走り高跳び。
青春の塊みたいな光景。
あの人は、そんな風景のなかにいる。

体育の授業が終わって
教室の廊下にある蛇口で手を洗おうとしたとき
大希くんの姿が見えた。

同じタイミングで、蛇口に向かう。
こんな時は、わざと歩調をゆるめて、この人のすぐ後ろに並ぶようにする。
そうして、順番を待つふりをしながら、広い背中をながめているのが、
ちょっとした、秘密の楽しみ。

けど、この日はちがった。

いつもなら、私なんかは気にもとめず
視界にすら入っていないだろう勢いで、
さっさと手を洗って立ち去るこの人が、
蛇口に到着する前に立ち止まった。

「お先にどうぞ」

しかも、順番を譲ってくれる。

どういうこと?

私は、脳内を混乱させたまま、手を洗う。

やっぱり、この気持ちがバレた?
避けられてるのかな?
迷惑だった?

「なんだよ、大希、
 横山さんには、親切なんだな」

この人といつもツルんでいる一樹が、
からかうように、彼の脇腹をつつく。

「ちがうよ、そんなんじゃないって」

真横から聞こえる声!
じゃあなんですか!!
やめろ、一樹、
そんなにじゃれついて、
この人をからかうんじゃない!

こんなにも高潔で、まぶしいくらいに輝く、
この空間の、この人と同じ空気が吸えなくて、
私は慌てて背を向ける。

「なんか俺、嫌われてるみたいだから」

「横山さんに?」

「うん」

あの人と一樹の視線が、
自分の背中に注がれているのを感じる。
その視線に強力に後押しされて
全力競歩でその場から逃げる。

「なんかしたんじゃね? 気に障るようなこと」

「あー、そうかもね」

「ま、どうでもいいけど。
 早く着替えに行こうぜ」

私が女子教室に入ると同時に
彼らも男子部屋に消えていった。

そうか、私に嫌われていると、勘違いされたのか。

そうか

でも、この気持ちがあの人にバレるより
よっぽどマシだ。
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