「先生、愛してる」


唇を噛む。必死に築き上げてきた彼女との"世界"という壁に、亀裂が入ったような気がした。


秋奈が疲れたような表情をして図書室に入って来る。対して、僕は何でもないように「遅かったですね。今日はもう来ないかと思いました」と言う。


「いえ、ちょっと用があって」


秋奈は立ち止まることなく、読書スペースへ向かった。


カウンターと読書スペースの間には、本棚が向かって縦方向にいくつか並んでいる。その隙間に見える秋奈を、僕はしばらく観察していた。

鞄の中から『月光』を取り出す。本を開き、ページを捲る。しかし、ものの数分で彼女は本を閉じ顔を上げた。頬杖をつく。何を考えているのだろう。先程の男子生徒のことだろうか。


それから十五分程すると、残っていた秋奈以外の常連二人が帰宅準備を始めた。図書室を出る間際、本の展開がどうなったとか他愛もない会話をしたのち「さようなら」と入口の方まで見送る。


カウンターに戻り、周りに散らばった本をまとめると、僕は秋奈の待つ席の方まで歩いた。秋奈と向かいの椅子に腰掛けると、「今日はずっと上の空だね」と声をかけた。


「少し、考え事をしていて」


平然を装って秋奈は答えた。どうやら、僕にあの男子生徒のことを悟られたくないようだ。しかし、追い打ちをかけるように僕は続ける。


「ああ、あの男子生徒のこと?」


すると、秋奈の肩がピクリと跳ねた。居心地が悪いのか、少し俯いて目を落とす。
反応を見るに、どうやら図星だったようだ。

彼女は非常にわかりやすい。本人は上手くやっているとでも思っているのか、いつも何でもないように見せかける。僕が心理学を先行していていたのだということを知っているはずなのに、仕草や表情を隠そうとはしない。


根は頭が良いと思うのだが、時に馬鹿だと思うこともある。しかし、それもまた愛らしい点の一つでもあった。


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