「先生、愛してる」
それから数日後、秋奈に本を渡した。
それまでに、かつて先生が書き残したこれを本当に彼女に読ませていいものかと何度も考えたが、彼女が『月光』を"ただの本"だと思っていることを踏まえると、読ませないという選択は余りにも不自然だった。もっとも、僕はこれも何かの縁だろうと考えていた。先生の影を持つ秋奈が、先生の本を自ら読みたいと言ったのだ。より深く、先生らしさを秋奈から引き出せるかもしれない。これ以上拒む理由などどこにも無かった。
秋奈は『月光』を嬉嬉として受け取った。早速読書スペースに腰掛け笑みを浮かべながらページを捲る彼女を見つめて、僕はとても満足していた。しばらくして声をかけてみると、想像通り「面白い」と零した。
先生の書く文章は心から美しいと思う。擬人法や比喩を使いこなし、読者に自分の持つ世界観を可能な限り植え付ける。序章の出だしでは、僕も齧り付くように文字の羅列を追っていた記憶がある。
しかしそれでも、唯一の欠点は構成力に欠けるということだ。文章の美しさに反して、物語の内容こそが先生の長所を潰してしまっている。読み進めると現れ始める欠落点がどうにも勿体ないと、僕は思うのだ。
けれど、仕方の無いことだったのかもしれない。これは僕と先生の人生であり、二人の物語は不幸にも呆気なく幕を閉じることになってしまった。もっと幸せな結末があれば良かったのだが、現実は違い、余りにも酷すぎる転と結に収拾がつかなくなってしまったのだろう。言わば、"打ち切り"に近い形で物語を終わらせたと考えるのが良い。『月光』に結末がないように思うのは、恐らくそのせいかもしれない。結末を語るには、モデルとなる内容が足りなかっただけの話だ。
秋奈と話している間、しばらく彼女のことを見ていた。先生と近しいところ、なにか本を読んで変わったところはあったか。人間の目を見ていればその人の心も浮き出てくるというが、本当にそうだろうか。そんなことで心が見えてくるのなら苦労しない。気がつけば、見つめられていることに焦れた秋奈に目を閉じられてしまった。分かったことは、恥じらいの感情だけだ。