うつりというもの
その二日後の夜の事だった。

23時半頃、SS(エスエス)というバンドのボーカルとキーボード担当のnor(ノル)という女性が、その日のライブを終え、世田谷区にある自宅マンションに帰ってきた。

もちろん、norはアーティストネームだ。

彼女は、5階でエレベーターを降りると、自分の部屋の方に歩いて行った。

彼女の部屋は3部屋過ぎた先の角を左に曲がって一番端の505号室だった。

その角を曲がると、廊下の明かりが消えていた。

こっちは点いているので、真っ暗なわけじゃない。

「明日、管理会社に連絡しなきゃ」

norは、ただ、そう思っただけだった。

そのまま部屋に向かおうとすると、前から来る女性とぶつかり掛けた。

なぜか顔の周りが暗くてよく見えなかったが、その顔は真向かいの部屋の女性だった。

「あ、すみません」

norは避けたが、彼女の顔が触れるくらいすぐ横を通った。

そして、肩と肩がぶつかるはずだった。

でも、なぜかぶつからずに、彼女はそのまま行ってしまった。

振り向こうとしたが、その前に、目の前に座り込んだ女性に目が行った。

「あれ?」

見知らぬ女性だった。

その暗がりの中で、まるで酔い潰れた様に、真向かいの506号室のドアに背中を預け、足を投げ出して座り込んでいた。

「あの~、大丈夫ですか?」

norは彼女の前にしゃがんで、声を掛けた。

反応はなかった。

顔とかよく見えなかったので、norはスマホのライトを点けた。

明かりに照らされたその表情は、何故か微笑んでいる様な感じで、良いお酒だったようだ。

「あの~、こんなところで寝てると風邪引きますよ」

norは彼女の肩を揺すった。

すると、目の前でその女性の首に赤い線が描かれていった。

「え?」

norは、その線に目が釘付けになった。

赤い線が端まで描かれた。

「な、何これ…」

norがそう呟いた途端、その首がゆっくりと手前にズレてきた。

「あ…」

ぽとりと落ちた首がスマホを持ったままのnorの手の上に乗っていた。

そのライトに左から照らされた表情は、さっきのまま微笑んでいた。

norはそのまま気を失って倒れた。
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