God bless you!~第3話「その価値、1386円なり」
「1386円♪」
試験の最終日。
睡眠不足は、ピークを迎えた。
1時間目のトリッキーな化学式で頭を叩き起こされ、2時間目の現国で1度、落ち着きを取り戻す。
そして3時間目。恐らく、今回中間テスト最大の難関、数学の選択授業の試験が迫ってきた。
ぐったりと教室を移動する。パーフェクトとはいかなくても、どうにか及第点が取れるといいんだけど。そんな事を考えながら廊下を行くと、何故か、右川が独りポツンと窓の外を眺めていた。
通りがかった女子に、「な~に余裕カマしてんの」と突かれて、「てゆうか、すでに燃え尽きた感じなんですけど♪」と笑っている。大した余裕だな。
あれ以来、久しぶりに見る右川だった。
仲間を見送って、そこで初めて俺に気付いた、と思う。秒殺で笑顔が消えた。
〝壁〟と見なすほど無視も決めていない。怒っているとも違う。
恐らく……軽蔑。
右川は、ただただ、俺をジッと見ている。
すると、教室の中からスッと重森が現れた。廊下を横切り、右川に近づいて何やら呟いている。
こんな所でまた何かヤラかすつもりなのかと、俺は渋々、2人に近づいた。
「あたしが勝ったら、お金くれない?」
まず聞いたのが、右川のコレだった。
「おまえは、オレの顔見りゃ金金金って、それしか言わねーのかよ」
重森は、横の俺などまるで無視して、「んで、おまえが負けたらどうしてくれんの」と、右川に迫った。
聞いてると、何かの勝負を挑んでいるらしい。
「負けたらあたし、吹奏楽部に入ってやろーかな♪」
「フザけんな。何で、おまえみたいなクズの面倒みなきゃなんねーんだよ」
「んじゃ、浅枝さんに入ってもらおうか」
重森の目に、何気に温度が感じられたように見えたのは気のせいか。
浅枝って……ウソだろ。
「ま、それは冗談として」と、右川はサラリと流し、重森に見えない所でケケケ♪と笑う。こいつ、根っからの悪魔だな。
「一体、何の話だ?」
俺が事情を聞くまで立ち去らない態度に出ると、重森が面倒くさそうに、
「これから始まる選択試験。点数の多い方が勝ち。負けたらどうするか、今決めてる所だ」
って、ここでまさかの頭脳バトルなのか!
「で、おまえ、一体いくら欲しいの」と、重森が尋ねた。
「1386円♪」
「面倒くせーな。何だその中途半端は」
「1300……」と、呟いているうちに、俺はピンと来た。その値段。まさか。
「1386円。アクエリアス7本分ですけど、何か?」って、やっぱり!
「おまえそんな事で……」
「あたしが負けたら、重森くんにオトクな情報、あ・げ・る♪」
呆気にとられる俺を無視して、右川はこれ見よがしに、悩ましく見えなくもない(?)微妙なポーズを取った。「試験前に脳ミソが腐る。止めろ」 それはイタズラに重森を怯えさせただけに終わる。
「情報って、何だよ。フザけた事を教えてもらっても意味が無いんだけど」
明らかに疑いの目を向ける重森に、右川はワザとらしくにっこり微笑んだ。
「あたし、永田会長と沢村の弱みを握ってるんだよね」
俺はウッと詰まった。
重森の顔色も変る。
「さっすが重森。よくやった。次期会長、決定!……それぐらいの威力を持った爆弾、欲しくない?」
「本当なんだろうな。それほどの威力ってのは」
「保証する。それは絶対」
「右川それは……!」
俺は、慌てて割って入った。「あ?」と、右川は眉間にシワを寄せる。
「誰でもいいからバラ撒けって、あんた言ったよね?」
「いや、あれは……だってそれは!」
動揺している俺を眺めながら、重森がニヤリと笑う。しまった……と思ってからではもう遅い。右川の術中にハマり、結果、それだけの威力がある爆弾だと、俺が自ら裏付けてしまった。
しかし、俺の事情は別として、永田会長の弱みって何だ?それには好奇心が盛り上がる。
「目には目を。脅迫には脅迫を」と、右川は、上目遣い。あの時の事を根に持って……それだけの事を俺はしてしまった。それは認める。だが、こっちの事情は別として、永田会長に被害が及ぶのはマズい。何を掴んでいるのかしらないが。
「いくらなんでも重森だぞ。こいつがどんだけ頭いいか知ってんのか」
いくら数学がちょっと得意だからって、塾で日々研鑚している重森を相手に、右川に勝ち目は無い。どんなに諭しても、「戦うのは、あたしなの。あんたは関係無いの」 右川に軽く、あしらわれる。
「1000いくらとか面倒くせ。オレが負けたら1万円ぐらいポンとやるよ」
わお♪と、まだ勝負に勝った訳でも何でもないのに、右川は嬉しそうに飛び上がった。
「会長の尻尾掴んだら、確かに無敵だからな」
「沢村ネタはどうする?こっちも新鮮で活きがいいよ♪」
「それは周りに言いふらして、しばらく遊んでやろうか」
2人は声を合わせて、イヒヒと笑った。
2人揃って、生徒会を脅しているとしか思えない。
「待て」
俺は覚悟を決めて、重森の肩に手を乗せた。
「俺もやる」
個人的な事情は、さておき。俺が加わる事で、これで2対1。もし右川がダメだとしても、俺が1つの可能性として参戦していれば……それでも重森に勝てるかどうかは分からないけど。生徒会の危機とも言えるこの状況をどうにか阻止……てゆうか、黙って見ていられない。
「もし俺が負けたら、右川は弁償しなくていい」
貰う気はとっくに失せているが、右川には、そう言ってみた。
「そんならマクビティ・ビスケットも1ダース追加で♪」と、さっそくヘラヘラ来る。
「調子に乗んな」
「マカロンとチーズケーキって言わないだけ感謝してよ。あたしまだ怒ってんだからね」
「アクエリアスを吐けって言わないだけ感謝しろ。このクソ泥棒が」
重森をそっちのけでバトルをやり掛けると、「おまえら2人揃って幼稚か。食いもんの話なんかしてんじゃねーよ」と、重森に突っ込まれた。
「で、どうすんだよ。沢村が負けたら、オレには何してくれんのかな」
重森が迫る。
負けたら……俺は、大きく息を吸い込んで深呼吸した。それは溜め息に近い。
「負けたら、俺は、選挙で重森を応援するよ」
涼しい沈黙と、不埒な期待が漂った。「それは美味しいな」と、重森の口元が嫌らしく歪む。
試験結果が戻ってきたら互い見せあうという約束を交わして、3人教室に入った。
1位だけが総取りという、この勝負。
右川が勝ったら、恐らく泥棒を続行。更にビスケットを寄越せと脅される。重森も1万円を盗られる。
重森が勝って会長の弱みを握られたら、生徒会ごと、ごっそり吹奏楽に持ってかれるだろう。俺が、応援を条件に出すこと自体ムダかもしれない。
1万円と、爆弾情報と、俺の身も心も(それぐらいの価値はある)。同じラインに並べてみても、この3つ、ちょっと次元が違いすぎるような気もするが。
「てか、沢村は勝ったらどうすんの?」と、そこで唐突に、右川に訊かれた。
「俺?」
負けられないというネガティブな意識ばかりに気を取られて、それは考えていなかった。
「そうだよ。オレにも右川にも、おまえ勝ったらどうすんだ」
右川には……どうしよう。物を盗むな。生意気は禁止。そんな、くだらない要求ばかりがたくさん浮かんできた。純粋に勿体ない気がする。
重森は……どうしよう。重森と言うか、吹奏楽部には言いたい事が沢山ある。
少し考えて、閃いた。
「俺が、もし何か1つ頼んだら、その中身が何であろうと、必ず聞く事」
一瞬、右川も重森も、顔色を変えた。それだけで、この覚悟に報われたような気がする。
「それって、何も考えてないって事じゃねーか」
「そうだよぉ。やる気が無さ過ぎる。モチベーション、ドン引き♪」
何を言われようとも、とにかく負けられないという事は確実なのだ。成功報酬なんか、後でじっくり考えればいい。
重森に指図されて、俺、右川、重森の順に、3人で1番前の列に、横並びに座った。チャイムが鳴ってすぐに吉森先生がやってきて、すぐに試験問題が配られ始める。
「また何か、ずいぶんやる気になってるのね」
先生が、しきりに俺達を気にし始めると、
「どういう作戦かしんないけどさ。おまえら3人揃って怪しいぞ」
途端に黒川が牙を剥いた。
カンニング。そんな行為はサクッと暴露されるだろう。
右川と重森をムダに喜ばせるだけだ。
「答えだけでなく、そのプロセスもちゃんと書いてね。解答用紙の裏を使ってもいいから」
先生から、いつも言われる事だった。たとえ解答欄が間違っていたとしても、答えに至る過程で部分点を稼ぐことが出来る。だが今回ばかりは、そんな小手先の得点獲得は通用しないだろうな。何といっても、相手は重森と右川だ。〝努力の重森〟と〝一か八かの右川〟どちらも強敵。
勢いだけで参戦してしまったが、本当に大丈夫なのか。俺は、まるで試合前のサッカー選手のように、握った拳を胸の上、心の中で何度も祈って……先生の合図で一斉に、問題に取り掛かった。
問題は、問1の基本問題とも言えるべき易しい所から、下に行くにつれて難易度が上がっていく。最終問題になると、1度もお目にかかった事のない応用問題が控えているのだ。
恐らく、これが勝負を決めるカギになる。
他と違って、数学のテストというのは、往々にして時間が足りない。よっぽど能率良くやらない限り、見直すという事が難しい。それでも今回、問1から問6まで、俺は思いがけず順調に進んでいた。
そして最後、問7の図形問題に差し掛かる。……一見、思い当たる解き方が浮かばない。
さすがに冷えた。とにかく、あらゆる手掛かりを駆使して、俺は頭を働かせる。
すると、隣で右川が、ことん……シャーペンを置いた。
まさか、終わったのか!?
重森も驚いた様子を見せている。さすがというか、数学では重森にさえ引けを取らないのか。
右川は、ふふん♪という余裕の笑みを浮かべ、ワザとらしく背伸びをした。1度欠伸をして、机に突っ伏す。すぐにガバッと起き上がったので何かと思えば、「いっけね」と、解答用紙を裏返した。
それを隠すように、また突っ伏して……誰も見やしねーよ。
その時である。
いつかのあの時、あの模様が、俺の頭の中に突如として浮かび上がってきた。右川の腕の下に盗み見た、いつかのあの、複雑な図形の模様である。あちこちから引っ張られた矢印。その横に並んだ正体不明の方程式の数々。円とか線とか。何か、浮かびそうな気がする!
俺は問題用紙の余白に、その時見た、覚えている限りの模様、矢印と図を書き出した。そろそろ時間も終わりという頃に、シャーペンがやたら動いているのは俺だけかもしれない。いきなり書き出す音に驚いたのか、右川がひょいと起き上がり、その向こうで重森は唖然としている。
悪あがき、と取られてもいい。
俺は残り時間を忘れて、ただひたすら記憶を辿った。
あの時の模様は、目の前の試験問題と似てるような気もするし、違うような気もする。あの時の問5、確か俺が当てられて……。
図形模様のド真ん中、謎の空間に1本の線を引いてみる。すると思いがけず、いつだったか自分に当たった問題の片鱗が、ひとすじの光のように頭に浮かんできた。……そういう事か!
残り5分、あったのか。よく覚えてない。俺は解答用紙をひっくり返し、先生から声が掛かるギリギリまで思いつくままを書いた。色々書き過ぎて、どれがどれだか分からなくなったので、最終決定を四角で囲み〝これです!〟と記す。まるで宝のありかを示す暗号の記された太古の文字盤だ。
解答用紙の裏は、びっしり、問題とは無関係な数字と図形で埋め尽くされてしまった。吉森先生は理解してくれるだろうか。俺の、この地獄的な混乱を!
チャイムが鳴り、解答用紙が集められた。
俺は、机に潰れた。
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