臆病者で何が悪い!


「そろそろ起きろ……」

「ん……。もう少し……」

「朝食の時間に間に合わなくなる」

「やだ……。まだ、寝たい」

抱き枕にしがみつくように抱きつく。
いつもと抱き心地が少し違う気がするけど、そんなことに構っていられないほどに眠くて。
そして何より抱き枕が温かくて離れがたい。

むぎゅーっと、潰してしまいたくなる。

「おまえ、俺を挑発してんのか? 俺の理性の限界でも調べてんのか」

この抱き枕、何をしゃべってんだ?

街を歩いていたら目に付いた、いかにも触り心地がよさそうなもふもふの抱き枕。
何度も触りまくって、結局購入に至ったもの。
そうしたら、やっぱり人を廃人にしてしまいそうなほどの気持ちよさで。
こんなもの買うんじゃなかったと後悔して。
だって、朝が余計に辛くなった。冬の朝なんてなおさらだ。

「はぁ。気持ちいい……」

「おい……。もう俺は何の責任も持たないぞ」

「ん? 責任……?」

目の前の何かに頬を摺り寄せる。なんだか、心地いい匂いだ……。

「どれだけ信頼されてるのかは知らないけど、あいにく俺の理性はそんなに鉄壁じゃない」

「うわっ」

急に肩を掴まれる。

え――?
あれ――?
抱き枕――。

「ひぃ……っ」

急に目を開けたから、自分が今どういう状況なのか飲み込めない。

確か、抱き枕を抱き潰しながら寝ていたはずだけど――?

鎖骨のあたりに生暖かいものが何度も触れて来る。

な、なに!?

視線を彷徨わせると、生田が私の肩を抱きながら首元に唇を這わせていた。

「い、生田っ? わ、ちょ、ちょっと待って――」

「おまえが挑発したんだろ」

「ご、ごめん。夢、見てて」

そうだ、夢だったんだ。抱き枕を買ってその抱き枕に抱き付きながら寝る夢だったんだ。

「そんなもん、俺の知ったことか。そんなエロい格好でくっついてきやがって。朝は、それでもいろいろとあるってのに……」

「エロ……って。ね、ねえ、わあっ!」

生田の頭が私の顔のすぐ下にある。
慌ててそれを見ると、恐ろしい状態にあることを次第に認識して来た。

だから、浴衣は――!

あんなにしっかりと胸元をしめて帯もきつめに結んだというのに、私の姿と来たら、帯はゆるゆる、かろうじて着ていた浴衣は胸元が大きく開いていて今にも肩から滑り落ちそうになっていた。

「こんなの、誘ってるとしか思えない。なんだよ、これ。裸よりよっぽどエロいだろ」

「エロいエロいって連呼しないで……って、あ……っ」

完全に”肉食獣生田”モードになってる!
早く、モードがマックスになる前に止めないと――。

「ちょっと待ってーっ!!」

「……ぷっ」

声の限り叫ぶと、生田が吹き出したように笑った。

「え……」

「そんなに悲壮感たっぷりに叫ばなくても」

生田の肩がぷるぷると震えている。

笑ってる――?

「少し、脅しただけだよ。おまえが、どれだけ危険な状態で俺に抱き付いて来ていたかを分からせてやろうと思ってな」

「わ、わざと……?」

ぶわっと顔が熱くなる。

「でも、おまえが普通の状態だったら、間違いなく最後までしてた。それくらい、可愛くて。寝ている沙都は、起きている時の素直になれないおまえの何倍も可愛いな。甘えて来る姿なんて、超レアものだ」

「バカ!」

「――嘘。起きてる時のおまえも、可愛いよ」

だから――! そういうことじゃなくて。

生田と話していると、もう考えることを放棄したくなってくる。



旅館で朝食を食べてから、生田は、せっかくだからと一人部屋の露天風呂に入っていた。
『傍で見ててもいいぞ(ニヤリ)』なんて言っていたが、丁重にお断りしておいた。

そして、チェックアウトした後、再び生田の運転でドライブをしている。

「体調、大丈夫か?」

「うん、少し身体が重いくらいだから。いつものことだし、大丈夫だよ」

「そうか」

本日の生田さんは、タータンチェックのシャツにネイビーのニットカーディガン。
ねえ、タータンチェックってそんなに素敵に着こなせるものなんだっけ。

チェックにもいろいろある。その中でも、センスの良さを感じる柄だ。

冷静に考えてみようよ。

表(いつもの)生田→無表情。無口。冷静沈着。冷たい長身イケメン。有能。

これだけでも十分カッコいいんだよ。だって、周囲の女性たちはこの一面だけであんなに寄って来ているんだから。

それなのにだよ。

裏生田→甘い。甘くて甘くて甘い。野獣(あちらの方も凄腕の持ち主(秘密))。色気ダダ漏れ。俺様の部分と優しさのバランスが絶妙。

裏生田までを垣間見てしまったら……。
女なら、やられちゃうよね? 鼻血ものだよね?

宮前さんとか、倒れちゃうよね。

裏生田を知っているのは、私だけでいい。

そうじゃないと――。

想像しただけで恐ろしくなって、頭をふるふると振る。

「頭、痛いのか?」

ハンドルを握りながら、ちらちらと私の様子をうかがっていた。

「違う。これは、違うの。こっちの話」

「こっちの話って、何が?」

「あっ、いや。何でもない、です」

「変な奴」

おっしゃる通り。変な奴です。

私をこんなに惚れさせて、どうするおつもりで――?

自分でも意味の分からない溜息を大きく吐いた。



引き続き、この日も快晴だった。
雪でも降ってしまったらこの道も通行止めになるだろうから、晴れていて本当に良かった。
冬の晴れた空は、空気が澄んでいるせいか青の透明度が高い。
車の窓から見える空の青と山にかかる雪の白さのコントラストが、鮮やかだ。

「旅館の朝食、多めだっただろ? だから、昼は軽食を取れるところに行こう」

「うん。そうだね」

旅館の朝ごはんというものは、自分の家でいつも食べているものの何倍も出て来る。
朝ごはんにしておくには立派過ぎて、なかなかお腹が空かない。

後部座席に置いた私の鞄の中身について頭に過る。
今日はクリスマスイブだ。
こんな私でも、ちゃんと生田へのプレゼントを用意して来たのだ。
どうせ、沙都のことだからそんなことしていないと思われているだろう。
残念でした。ちゃんと買いましたよ。
男の人に何かを贈るの、初めてで。
一人で買い物しているだけなのに、異常に緊張した。

気に入ってくれるといいのだけど――。

私は姉妹で男兄弟もいないし、全然分からなくて。
迷いに迷ってやっと買えたものだ。

軽食が取れるところだと生田が言っていたから、てっきりちょっとしたカフェにでも入るのだと思った。

でも、車が停車した場所は、大きな白亜の一軒家レストランだった。

「映画とかに出て来そうな雰囲気だね……」

東京にだって素敵なレストランはたくさんあるけれど、周囲が自然で溢れているのがここの良さだろう。何一つ建物は見当たらない。
そんな静けさも、雰囲気を醸し出している。

「こうなったらとことん追求しようと思ってさ」

家に帰りつくまで、私に夢を見させようとは――。その徹底ぶりにぽかんと口をあけてしまっていた。

「じゃあ、行こうか」

白亜の建物には正面に大きな階段が伸びている。
それを登って行く生田は、ここの住人かのようだ。

まさに、王子!
私は――。その王子に雇われている使用人ってところか。

『ご主人様は貧相メイドを愛し過ぎている』

そんな本も持ってたな、確か。

「ほら、何ぼーっとしてんだ。行くぞ」

「はいはい」

いかいかん。ついつい別世界に一人行ってしまう。

案内された席は、山々を見渡せる窓側の席だった。
ここも、ちゃんと予約していてくれたんだ。

仕事が出来る男は、こういうこともさっとやってしまえるんだろうなぁ。

それにしても、あの激務の日々の中で、一体いつやっていたんだ?

席に着いて向かいに座る生田の顔をまじまじと見つめてしまった。

「何食べる? ここ、コース料理もあるけど、軽食もあるから。腹のすき具合と相談して」

手渡されたメニューを開く。

「私は、このクラブサンドとコーヒーくらいにしておきます」

朝は純和食のご飯だったので、パンが食べたくなった。

「分かった」

目の前で、ウエイターに注文をしている生田をまたじっと見る。
注文を取り終えてウエイターが立ち去ると、生田が私を正面から見つめて微笑む。

「これ――」

白いテーブルクロスのかかったテーブルの上に黒い箱を差し出して来た。

「クリスマスプレゼント」

「えっ。そんなの、旅館だって全部、生田が払ってくれてて。それで十分で……」

思いもしなかった物が生田から出て来て、私は慌てた。

「それはそれ、これはこれ。それに、そんなに驚くほど高額ってわけでもないし。気軽にもらってくれ」

「そうは言っても……」

やっぱり恐縮してしまう。

「これは、俺の自己満足だから。沙都のためってのもあるけど、多分半分以上は俺自身のため。だから、もらって」

生田がニッと口角を上げた。

「あけてみて」

「う、うん」

そのつやつやに光る黒い四角い箱に、そっと手を伸ばす。
おそるおそる開いたその中には、銀色のシンプルなブレスレットが入っていた。

「素敵……。大人っぽくて、私にはもったいないくらい」

「そんなことないだろ。俺は、沙都に似合うなって思ったんだ。だからそれを選んだ」

生田が真顔でそんなことを言う。

「してみろよ」

手に取ると、ひんやりとして気持ちいい。
プラチナの細いチェーンが手首を華奢に見せてくれる。
大人っぽくて、そして女らしいデザインだった。

「ほら、やっぱりおまえにぴったり」

目を細めて見つめられるから、照れてしまう。

「遠山の結婚式の二次会で沙都の姿を見た時、まさにそういうイメージだったよ?」

「そ、そうかな」

褒めないで。褒めないで!
褒められると、むず痒くなるんです。

「それ、たまにはして来て」

「そうする。ありがとう」

私はそれでも懸命に微笑んだ。嬉しいって気持ちは本当だから。

「どういたしまして。ブレスレットって、贈る方からするといいものだな。だって――」

生田がニヤリとする。警戒するべき表情が、私を意地悪く見つめる。

「ネックレスと違って、常におまえの視界に入るだろ?」

生田が笑ってる。
笑い事じゃありませんよ。



その後、生田のものに比べたらちゃちいものに思えて、非常に出しづらくなったけれど、私が準備したものをテーブルの上に出した。

「……え。おまえも、準備してくれたの?」

ほらやっぱり。失礼なほどに驚いた顔をしている。

「あたりまえでしょ? 『付き合っている恋人』にクリスマスにプレゼントの一つも準備しないような高飛車な女じゃありませんよ」

『付き合っている恋人』という部分を、わざと強調して言ってやった。

「ありがと……。かなり、いや、相当、嬉しい」

感動し過ぎでしょ。まだ、中身も見ないうちから。
私は苦笑して、生田にその箱を差し出した。

「気に入ってもらえるか、こちらも分からないんだけど。生田のスーツ姿を見ていることが多いから、そういものしかイメージできなくて。よければ、使ってクダサイ……」

準備して来たものを見られることに緊張して、変なイントネーションになってしまった。

「これ……ネクタイピンか。ありがとう。使わせてもらう」

子どもが待ちにまったおもちゃを手に入れたような表情をするものだから、私はまた胸がきゅんとしてしまう。
いつも表情がない人がそういう顔をすると、破壊力抜群なんだよな。

「クリスマスプレゼントなんて、もらって喜んでいたのは子供の頃までだったから、すげー新鮮」

よかった。喜んでくれているのは本当みたいだい。
目の前で無防備なくらいに喜んでくれるから、私まで嬉しくなる。
生田って、本当はこういう人だったのかな。

日ごとに知って行く。
一日、一日と、一緒に過ごす時間が増えていくたびに、生田のことを好きになって行く――。

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