臆病者で何が悪い!
「一番も何も、俺は誰にも言っていなんだ。誰より先に沙都に言うつもりでいた。あんた、まさか沙都に勝手に言ったのか?」
いつもいつも、この男に振り回されて。
それよりもなによりも――。
沙都がもう俺の赴任を知っている。
そして、あのはがきを見た――。
それですべて理解する。沙都の行動のすべて。俺を避けているその理由が一気につながる。
「ああ、先週ね。別におまえと僕で何か約束していたこともないし。僕の自由だろ? おまえの許可もいらないよ。恨むなら自分を恨めよ。彼女を苦しめたことをね。相当苦しんでるよ。それでもうおまえのことは吹っ切ったんじゃないの?」
相当苦しんでるよ――って、いかにも沙都の今の状況を知っているような口ぶりだ。
「――何を知ってるって言うんだ。沙都と何か話してるのか?」
「それも僕の自由だし、おまえに答える義務もない」
俺は沙都と全然話せていない。電話だって繋がらない状態のままだ。
廊下で待ち伏せて無理やりに捕まえても、俺からは逃げるようにしてまともに向き合おうともしない。
それなのに、田崎とは話してるのか? 会ってるのか――?
そんなどうしようもない思考が俺を支配しようとする。でも、沙都はそんなことする女じゃない。俺の知らないところで田崎と会うようなことしたりしない。
この男の狂言になんかに惑わされてたまるか。
「生田係長は心置きなく出世コースを歩んでください。あなたはそうなるようになっているんだ。自分が強く望まなくても、なんとなくしているだけでも、そうなるようになっている!」
突然田崎の口調が強くなる。
「おまえはいつだってそうだ。採用試験だって『試験に受かったから』キャリアになった。仕事だって『ただやることだけやっていた』ら上司に評価されていた。そして、『なんとなく希望を出していた』だけだけど海外赴任。いるんだよな、そういう人間が」
気付くと俺のすぐ真正面に向き合うように田崎が立っていた。
「強く願わなくてもすべてを手に入れられる。思う通りの人生を歩める。何か一つくらいうまくいかないからって喚くなよ」
その目が痛々しく歪む。
そう言えば、田崎にも出会った頃に聞かれたことがあった。
『どうしてキャリア官僚になろうと思ったのか』と。
その時もいつもと同じ答えをしたはずだ。
田崎にとって俺は、俺が考えている以上にずっと長い間、気に入らない人間だったのか。
「そんなアンタの感情の矛先は俺にだけ向けてくれ。沙都は――」
「バカだな。もう、俺のそんな劣等感なんてどうでもよくなったんだ。本当に彼女が欲しいんだよ」
その目を射抜くように見つめる。
でも、どれだけ食い入るように見ても、その本心が分からない。
「ふざけるな――」
「おはようございます……って、お二人ともどうしたんですか?」
田崎に怒りとも恐れとも分からない感情をぶつけようとしたその時、田中が出勤して来た。
「いや、別になんでもないんだよ。生田係長が目にゴミが入ったいうから見てやっていたんだ」
その表情は恐ろしいほどになんでもなかったようにいつもの爽やかな笑みを湛えている。
俺一人が表情をこわばらせたままで。
「そ、そうですか」
田中は頭をかしげながらも自分の席に着いた。
田崎も俺から離れた。
俺の心は千々に乱れていた。
沙都と話さないと――。
ずっとその答えを求めるのをやめていた。思考を停止していた。
でも。
沙都は、やっぱり俺と別れようとしている――。
その答えが、俺を叩きのめそうとする。
でも、そんなはずない。とにかく沙都と話をしないと――。
自分を必死に鼓舞する。