彼女の居場所 ~there is no sign 影も形もない~
私は驚きのあまり口をパクパクさせていた。
今日1日の展開の早さに付いていけない。

父は表情を緩めた。
「久保山さん、娘があなたと結婚したいと言うのなら私達は反対しませんよ。でも、見たところ、まだ娘は承諾していないようですね。これからのことは娘の承諾をもらってからという事でいかがですか」
父は組んだ腕を外してにこやかに副社長に告げた。
母も笑顔だ。

あれ?何、この展開。これは外堀を埋める作戦ってこと?
だいたい、私はプロポーズはされていないよね。
この状況で婚姻届って?

「はい。ではこれからは遠慮なく早希さんにアプローチさせていただきます」
副社長は両親に向かって深々と頭を下げ、私を見て笑った。

ドキンと胸が弾ける。
それはいつもの優しい穏やかな笑顔ではない。
口元は笑っているように見えるけど、瞳の奥に光が灯った獲物を狙う男の顔だ。
ベッドの中で見る表情に近い。
数時間前の記憶が蘇り胸とお腹の奥がキュンとする。

私が副社長を見てきゅんきゅんしていると、副社長は
「でも、今夜はもう遅いのでこれで失礼します」
と帰り支度を始めた。

そうだ、今日は月曜日。明日からハードワークが待っている。明日は懇親会もあるし。
離れたくない気持ちが湧き上がってくるのを抑えてのろのろと見送りに立ちあがる。

玄関に向かう副社長の後に続いて歩いていると、いきなり副社長は振り返り両親に向かって言った。
「明日の夜の懇親会の後に早希さんをお借りしてもいいでしょうか?」
副社長のこんな発言に玄関で固まっていると、
「こんな娘でよかったら何日でもどうぞ、どうぞ」
母はニコニコと返事をする。

何日でもって…。

両親に挨拶をして玄関の外に出る副社長に私も付いて外に出た。もうすぐ呼んだタクシーが来てしまうことだろう。

「早希、本当はもっといろいろと話したい。残念だけど今日はこれで。明日またね」
隣に並んだ副社長は私の頬を軽く撫でた。
私だって再会していきなり婚姻届とか展開の速さにについていけないけど話したいことはたくさんある。
私が口を開こうとすると、ぐいっと顎を持たれて副社長の唇が落ちてきて塞がれる。

ずるい。

気持ちいい。

夜の住宅街に車のエンジン音が遠くから近づいてくるのが聞こえて唇が離れていった。

「明日までがまん」
私の耳元でそうそっと囁いて「おやすみ。また明日」と到着したタクシーに乗って行ってしまった。

彼の甘く低い声が耳に残り、私の顔は真っ赤だったことだろう。しばらく両親のいる家の中には戻れなかった。

もうっ。






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