Real Emotion

遠くで弾けるような水音に、泥の様に覆い被さっていた眠気が押し流された。



シャワーの音?



朦朧と虚ろなまま、のろのろと意識が浮上するままに任せていたら
ふわりと温かな感触が髪を梳き始めた。



「気持ち、いーい」
「そうか?」


くすりと笑ったその声にまた身体の奥が小さく疼いた。
この声がすごく好きだと思った。


「よく眠っていたから、起こさないつもりだったんだけど」


ああ、そうか。そうよね。
行きずりの関係、なんてそんなもの。
お互い楽しむだけ楽しんだら、それでお終い。後腐れはルール違反。



「いいわ。わかってる。も・・・行って?」
「ああ、残念だが、そうさせてもらう。君はゆっくりしていけばいい。
何なら泊まってくれてかまわない」


チェックは済ませておくから、と額にキスが落とされた。
それがアフターケアだとわかっていても、少女の頃のようなときめきを覚えてしまう。


「いいから。早く行って」
「随分とつれないな」
「お願い。優しくしないで。そうでないと私・・・」
「ん?『私』 はどうなるんだ?」


男は答えを急かすように私の頬をそっと撫でた。


「・・・どうにもならない」



顔を見られたくなくて寝返りを打ってベッドの端に座る男に背を向けた。



「そうか。残念だな」



首の後ろと背中に一つずつキスを落とした男が立ち上がる気配がした。
これで終わりだ。この人はもう行ってしまう。
分かっていたはずなのにこの胸が締め付けられるような寂しさは何なのだろう。


「あ・・・でも、どうにかなった時には、教えてくれ」


男は私の胸元を覆っているシーツの間に小さな紙片を滑り込ませると
「待ってる」と耳元に囁いて、甘さの足りない香りを残して部屋を出て行った。



胸の谷間から抜き取った紙片には「久野英俊」の名前と
携帯の番号が並んでいた。



好きに呼べって言ったくせに。



バカね、と嘲笑して胸に抱いたその紙片は
今も大切に自室のデスクの引き出しにしまってある。
あれから3週間が過ぎた。
いつか連絡を取ろうと思っていたわけではない。
繰り返される平穏なモノクロの日常の中で
紙片の入ったそこだけがぽっと色づいて見えたからだ。
それを見ると疲れた気持ちが癒されるようで何だか嬉しかった。
それだけでよかった。非日常の一夜を思い出すと
物語や漫画を読んでときめくような気持ちになる。それで満足だった。
だから連絡をとるつもりはなくても処分することができなかった。



でもそれはこの日の為の予感だったのかもしれない。



『 ○月○日 成田着 NW×××便 』 


要点だけを知らせてきたメールは恋人であるアイツからだった。
私の怒りなどまるで気にとめてもいない不遜さを感じて
すーっと心が冷めていくのが分かった。
何をしても私が離れていくことはないとでも思っているのか。
そんな態度が嬉しい時も確かにあった。
でも今はその自信と傲慢さが気持ちを凍てつかせる。


私を熱く駆り立てるのはもうアイツじゃないのかも・・・



何かに突き動かされるように私はデスクの引き出しに手をかけた。

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