先生、息の仕方を教えてください


 その日から保健室に通い始めた。
 まずは顔と名前とクラスを覚えてもらうところから始めて、数日でそれをクリアしたら、雨谷先生の個人情報の収集を始めた。

 でもガードの固い先生は「休みの日は何をしてますか?」なんて聞くと「元気なら教室戻れ」と心底嫌っそうな顔で言う。
 だからここ一ヶ月で仕入れた雨谷先生の情報は、「雨谷圭斗」というフルネームと、わたしより十歳年上だということ。甘い物は「嫌い」で、好きな飲み物は「酒」で、兄弟は「いない」ということ、だけ。それ以外の質問には「べつに」「どっちでも」と答えるだけで、知りたいことは何も教えてくれなかった。

 それでもめげずに質問をしていたら、あからさまに大きなため息を吐かれてしまった。

「そんなため息吐かれても、わたしはこの一年、雨谷先生を追いかけるって決めたんです」

「廣瀬……学生の本分は勉強だって知ってるか?」

「それは初耳ですね」

「そーかそーか。なら今教えてやる。学生は勉学に励め。教師と恋愛しようなんて考えるな」

「そんなこと言われても困ります。先生を見た瞬間息が止まったんです。好きになってしまったんです。この人しかいないって思ってしまったんです」

「困るのはこっちも同じだ。毎日毎日、特に用もないのに保健室に入り浸って。本当に保健室を必要としてる生徒の迷惑も考えろ。勉強漬けで息が詰まるっていうなら、引退までの残り数ヶ月部活に励んでみるとか、アルバイトをしてみるのもいい。週末ボランティア活動をしてるっていう生徒も結構いるだろ」

 正論だった。でも、毎日保健室に通い続ける理由が必要と言うのなら、……。

「先生、息の仕方を教えてください。先生のことを考えると、わたしはどうやって息をしていいかも分からなくなるんです。先生なら、それを教える義務があると思います」

 雨谷先生は、答えてくれなかった。目を反らしてもう一度ため息を吐いて「元気なら教室戻れ」と。いつも通りのセリフを言う。

 こんなの堂々巡りだってわたしも分かっている。学生の本分は勉強で、それをしつつ部活やアルバイトやボランティア活動に励んでいる同級生が大勢いるっていうのも知っている。先生と生徒の恋愛は禁止だっていうことも、勿論知っている。
 でも、それじゃあわたしのこの、雨谷先生が好きだという気持ちは、いったいどうすればいいのだ。これを解決できるのは、先生しかいないというのに……。

 保健室を出て、雨谷先生と同じように、大きなため息を吐いた。
 でも、最初はこれでいい気がした。恋なんて楽しいことばかりじゃない。苦労があって手に入ったら、喜びもきっと大きい。吐いた息を思い切り吸い込み、歩き出した。


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