転職先の副社長が初恋の人で餌付けされてます!
【1】社長面接に現れたのが初恋の人でした
 十六歳の夏の思い出は美しく、もしかしてあれは初恋だったんだろうか、と、芦名李江(二十六歳)は思い返す。

 しかし、結局、約束は果たされなかった。李江が高校を卒業する直前、父が社長を退任したからだった。祖父である会長が亡くなり、父である社長一派と、会長の腹心であった専務一派で社内が分裂。専務は、祖父とともに会社を育ててきた創業スタッフの一人で、途中から加わった父とは人脈の厚みも違っていた。社長を退いても、系列会社への出向など、救済措置もいくつかあったのだが、『若社長』と、自分を引き立てていてくれたとばかり思っていた専務達の手のひら返しに、李江の父はすっかり気落ちし、母と共に、母の実家近くへ転居。夫婦で、小さいながらも食堂を営む事にしたのだった。

 李江は、進学予定だった私立大学への入学を辞退し、一年浪人して国立大学に入学した。学生寮に入り、極力親にかかるであろう負担を無くしたかったのだ。父は、社長を退任はしたが、元々借財も無く、蓄えはそれなりにあったのだろうが、弟の進学を考えると、少しでも余力を残して欲しいと李江は思ったのだ。
 高校を出てすぐに働く事も考えなくは無かったが、その時点での自分にできる事は少なく、また、両親も、元々が進学希望であるならあきらめてくれるなと言う。

「父さんのせいで、李江や桃弥の人生を曲げさせるわけにはいかない」

 という、父の言葉もあって、とった妥協点がそこだった。

『二年後にオリオン座の流星群を一緒に見よう』

 そう言っていた拓武との約束は、結局果たされる事は無かった。元々、個人のメールアドレスや携帯電話の番号は交換していなかったし、父は社長を解任されてから、つきあいをかなりせばめてしまっていた。実は桃弥と拓武で連絡先を互いに知っているようではあったが、李江は自分から弟に尋ねたりはしなかった。

 元々、拓武とのつきあいは父の縁故だった。拓武の父も、『双方の会社にメリットが』と、言っていた。だから、あれは、酒の席での戯れ言にすぎず、拓武は李江の正式な婚約者では無い。

 ……初恋の人、ではあったかもしれないけれど。

 大学時代に付き合った男性もいたにはいたが、長くは続かなかった。何となく、相手の打算的な部分がかいま見得ると冷めてしまうのだ。

 李江なりに、拓武と縁が消えてしまった事がショックだったのかもしれない。

「……なんか、メリットとか、デメリットとか、そういうのが透けて見えるのが、イヤなのかも」

 失恋だったのかな、あれは。まだ、始まってもいなかったけれど。と、時折、李江は思うのだった。

 どうして十年も経ってそんな事を思い出したか、といえば、今、再び、李江の目の前にいるのが、脇田拓武その人であったから。

 大学を卒業後、就職した先がまさかの倒産。失職し、転職の為の面接、社長面接でのことだ。

 IT系ベンチャーである(株)ライジェル社長の三鷹逸生(みたかいっせい)は、業界社長がよくそうするように、SNSのアカウントを持っており、趣味に仕事に充実している様子を頻繁にネットにあげていた。面接を受ける先の社長で、二回目の面接にあたる今回は、社長面接がありそうだという転職エージェントの助言に従い、ざっと目を通してきていたが、少なくとも、今目の前にいるのは、イケメンIT系社長の三鷹では無い。

 十年ぶりに会った拓武は、かつて会った彼とはだいぶ雰囲気が変わっていた。長身ですらりとしている様は相変わらずだが、シャツはよれていて、どことなくネクタイもくたびれている。顔にも疲労が浮かび、あごにはそり残しの髭も残り、『徹夜作業の真っ最中に抜けてきた』ような様相だった。

「私は副社長の脇田です。社長の三鷹は、本日出張の為不在でして、今回の面接は私が行います、……芦名李江さん、どうぞ、着席してください」

 拓武は履歴書に目も通さず、言った。やはり芦名李江が、あの時会った李江だと気づいているようだ。

「はい」

 少し間を置いて、李江が着席すると、向かいの椅子に拓武が座った。

「……技能的な部分につきましては、既に担当者が面接させていただいておりまして、私から確認する事はありません、ひとつだけ、いいですか?」

 耳に心地よく響くテノール。疲れた顔ではあったが、視線はまっすぐ李江を見つめている。やはりこの人は十年前に会ったあの人だ。と、李江は思った。

「はい」

「八年前、どうして来なかったんですか?」

「……は?」

 一瞬、李江は何を言われているのかわからなかった。八年前といえば、受験勉強の真っ最中だった。浪人をする事にしたものの、予備校には行かず、通信教育のみの受験勉強で、家に引きこもり、夏といえば、模擬試験以外、ほぼ遠出をしていない時期だ。

 二年後、オリオン座流星群を一緒に見ましょうと言った、その年を、もちろん李江も忘れてはいなかったが、場所も、時間も、決めてはいなかったのだ。

 しかし、彼からしたらそんな事は知ったことではなかったんだろうか。

 もう、この面接は絶望的だな、と、李江は腹をくくり、素直に話す事にした。

「受験生だったんです。父が社長を解任されて、学費の高い私立では無くて、国立大学を受験する為に、一年浪人していました。八年前、私は自宅浪人生で、ほとんど家から出なかったんです。それに、二年後のオリオン座流星群を見ましょう、というお約束でしたが、場所も時間も決めていなかったじゃないですか」

「私は……」

 そう、言い掛けてから、拓武は、言い直した。

「俺は、待ってた。二年後、オリオン座流星群、極大日、というのがあるんだね、その日、あの、芦名さんの別荘のあったあの海岸で」

「でも、それは……」

 返答しようとしたところを、拓武が遮って、言った。

「時間も、場所も、決めていなかった。だから、あれは俺の勝手な思いこみ。……すまない、でも、君は覚えていてくれたのか、『約束』の事を」

「……それは、でも、もうあの頃の私は、社長令嬢でも無かったですし、脇田さんにとってメリットのある相手では……」

 李江は、そこで言いよどんだ。

 李江と拓武の間に、沈黙が流れる。

「……ありがとう、面接は、以上です」

 拓武のその声で、面接は終了した。

 アクリルの透明な壁でかこまれたエントランスを出て、エレベーターを降りる。感じのよいオフィスは、少し駅からは歩くが、途中、並木道などもある、なかなかよい環境にあった。

 オフィスに来るのは二度目だったが、ここで働けたら素敵だな、と、思っていたのに……。

 歩き始めてすぐに、転職エージェントから着信があった。

「どもー、カニスエージェントの黒木ですー。面接、どうでした?」

 担当の黒木は口調も態度も見た目も大変軽いが、レスポンスは早いし、こちらの希望にそった案内を出してくれる。優秀……か、どうかは、まだ成果が出ていないので何ともいえない。しかし、対応の悪さで李江ををいらつかせるような事は無かったが、タイミングの悪さについては一言物申したいものがあった。

「あー……ダメだったと思います」

 李江は多くを語らなかったが、口調の暗さから何かを察した黒木は、特に態度を変える様子も無く、続けた。

「んじゃ、次の候補をお送りしておきましたので、チェックよろしくお願いしまーす」

 至って軽いが、すぐに次と言ってくれる前向きさは、今はありがたかった。(もっとも、面接についてのアンケートは書かなくてはならないのだけれども)

 そうだ、落ち込んでばかりはいられない。次だ、次、と、李江は、せっかく普段来ない街に来たのだから、何か美味しいものでも食べて行こう、と、気を取り直して、力強く歩き始めた。
< 3 / 18 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop