今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
 じんじんする鼻を抑えつつ相手を見上げる。

「おい、なにぶつかってきてんだよ」

 柄の悪い男に睨まれ、文句を言ってやろうと思っていたアリーナはぽかんと口を開けた。

「あぁ痛い痛い。おおっと、こりゃあ怪我しちまったなぁ、どうしてくれんだ、ああ?」

 何が起こっているのかと、アリーナは反応できない。それが面白くなかったのか男は舌打ちした。

「大人しく金を払ってもらおうか。こっちは大勢連れてきてんだよ、どういうことかわかるよなぁ?」

 ぞろぞろと物陰から出てくる男たち。5を越えたあたりで数えるのをやめた。

「金……?」

 何故自分にそんなものを集るのかと首を傾げてからはっとする。そういえば、自分は今はそれなりにいい格好をしているように見えるのだ。

「それが無理なら別に体で払ってくれてもいいけどなぁ、嬢ちゃんよく見たら美人じゃねぇか」

 下町ではなくてもこういう輩はどこにでもいるんだな、とアリーナは嘆息した。
 結局は自分の快楽を満たしたいだけ。どいつもこいつも同じなんだと思うと、何人だろうと怖くなくなる。

「ぶつかってきたのはあんたの方でしょ」

 きつく睨む。

「そうやって人数いないと怖いくせに。数を増やして強くなったって勘違いして、自分は小心者ですって言ってるようなものよ」

 男たちが青筋を立てたのがわかったが構わず続ける。

「金が欲しいなら自分で働いて稼いで、女の人と楽しみたいなら、どうぞご自分で稼いだお金でそういうお店に行ってください。あんたたちみたいなろくでもない奴を雇ってくれるようなところがあればの話だけど」

「言わせておけば……永遠に黙らせてやる、このアマ!」

 どこに隠し持っていたのか、各々ナイフを取り出した。

「図星だから気に障るんだってわかってる?」

「こっの……!」

 飛びかかってくるのもやはり大勢で一緒にだ。少女一人にこんなにいらないだろうとアリーナは呆れて嗤った。

 避けられない。まあ、自分で煽ったのだから仕方ない。
 命にも体にも、あまり執着はない。


 今でもふと意識を揺蕩わせれば、鮮明によみがえる、あの鬱々とする雨の音。

 まだ幼い、少年の声。

 “お願いします。彼女を見逃してください”


 自分は──『あの子』を『あの時』自分のせいで喪ってから、もうちゃんと生きてはいない。

 残ったのは、弄れて曲がって凝り固まって戻らない心だけ。そんなものでも自分にとっては大切で。何にも屈せず、他を攻撃して跳ね除けて、これだけを守って独りでどうにか歩いてきた。

「──アリーナ!」

 そのはずなのに。

 何故かこの声はするりと心に割り込んでくるから、だから嫌いだ。
 気を許してしまいそうになるから……嫌いだ。
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