MAZE ~迷路~
四 事実 其の二
 智(たくみ)の休日と言えば、お墓探しの一件が持ち上がって以来、リストの上から順番に寺院に電話をしては、『近江(このえ)家の墓』を探し回るのが過ごし方の典型になってしまっていた。
 いつもは、美波(みなみ)の家で過ごしたり、車でドライブする事が多かった二人も、お墓が見つかるまでの条件付で、ずっと電話の前に座って過ごすことが多くなっていた。
 さすがに、三回目の週末が訪れた時には、智のかけなくてはいけないお寺のリストもすでに最後のページを迎えようとしていた。
 土曜日はゆっくりと朝寝を楽しむ美波を驚かせようと、早起きした智は、リストの一覧に再び目を通した。

(・・・・・・・・それにしても、本当にこの中にあるんだろうか・・・・・・・・)

 智は一抹の不安を覚えながらも、受話器に手を伸ばした。
 リストの電話番号を見ながらかけ始めた智は、『先方にお問い合わせください』という、今では耳になじんでしまうくらい、何度も聞いたことのある返事を耳にした。

(・・・・・・・・たしかに、先方に訊くってのは、一理あるよな・・・・・・・・)

 智は考えると、コンピューターの電源を入れた。
 灯台下暗しとは、よく言ったもので、『近江病院』を検索すると、何の苦もなくホームページに行き当たった。
 念のため住所を確認すると、住所も美波が書いたとおりの住所だった。
「へえ、ここがそうなんだ。」
 智は思わず声に出して言うと、ページを探索し始めた。

 『近江病院』のホームページは、『始めて受診される患者さんへ』、『既に受診されている患者さんへ』それから、『受診を悩んでいらっしゃる方へ』という大きな三項目に別れており、その他に、『来院のご案内』、『診療時間のご案内』、『当病院の歴史』などといった、一般的な項目が用意されていた。
「受診を悩むって、どういう意味だろう。」
 智は呟くと、『受診を悩んでいらっしゃる方へ』と言うリンクをクリックしてみた。
 『心療内科とは、どんな病気を治療するところですか?』いきなり始まるQ&Aセッションに、智は慌ててホームページに戻った。

(・・・・・・・・心療内科? 普通の病院じゃないのか?・・・・・・・・)

 智は考えながら、『診療時間のご案内』と言うリンクをクリックしてみた。
『内科、婦人科、産科、小児科、外科、リハビリテーション科、心療内科、一般診療、朝九時より午後六時まで。外科、小児科、産科、救急二十四時間受付。また、当院では、妊婦さん、新米ママの育児に関するカウンセリング及び、心療内科の併診が可能になっております。』
「ずいぶん、手広くやってるんだ。」
 智は感心しながら、呟いた。
 次に、智は病院の歴史的な背景をチェックしてみた。
「初代院長は外科、先代の院長も外科。現在の院長は婦人科、産科が専門なんだ。・・・・・・この情報が正しければ、先代の院長は絢子さんが亡くなる三年前になくなってる。ってことは、ちょうど十三年位か。」
 智はメモに書き足しながら呟くと、『来院のご案内』のページをクリックしてみた。ページには、病院へのアクセスの仕方が丁寧に書いてあり、当然のことながら、連絡先の電話番号も記載されていた。
「一か八か、やってみるか。」
 智は景気づけに声に出して言うと、受話器を取り上げ、ページに記載されている電話番号をダイアルした。


『はい、近江病院でございます。』
 思わず、相手の笑顔が想像できてしまうくらい、明るく心地よい響きの声が返ってきた。
「すいません、ちょっとお伺いしたいんですが。」
 智は胸がドキドキするのを感じながらも、平静を装って話し始めた。
『受診のご相談でございますか?』
「あ、いえ。以前、祖母がそちらでお世話になっていたものですが。実は、祖母が先代の院長のお墓にお参りに伺いたいと。その、差し支えなければ、菩提寺のお名前を伺いたいと思いまして・・・・・・。」
 更に続けようとした智の言葉は、相手の声に遮られた。
『お名前をいただけますか?』
「あ、すいません。私、田辺と申します。」
『患者さんのお名前をいただけますか?』
 まるで人が変わったように、相手の声は冷たくなった。
「祖母は、青木、青木みつと言います。」
 智は慌てて、本棚に並ぶ本の作者名をつなぎ合わせて祖母の名前を考えた。
『お待ちくださいませ。院長におつなぎいたします。』
 相手の女性は、それだけ言うと電話を他に転送したようだった。呼び出し音がしばらく鳴り続けた後、低い響きの男性の声が電話に答えた。
『院長の近江でございます。』
 男の声は、病院の院長というよりも、もっと危ない響きを含んでいた。智は、いままで感じたことのない、得体の知れない不気味なものをその声に感じた。
「はじめまして、私、田辺と申しますが・・・・・・。」
 智が説明を続けようとすると、院長の近江は、智の言葉など聞いていないかのように話し始めた。
『どちらの取材の方か知りませんが、当医院では一切取材はお受けしておりません。院内の写真が掲載された場合には、当医院ホームページよりの未承諾転載として、法的措置をとらせていただきますし、医院内に許可なくカメラ等を持ち込まれた場合にも、それなりの手段を講じさせて頂きます。』
 突然の事に、智は唖然として、すぐに次の言葉を探す事が出来なかった。
「すいません、何か勘違いされているようですが。」
 智がやっとの事で言うと、相手は不敵な響きで『そうですかな』とだけ返事をした。
「私は、以前そちらで先代の院長にお世話になった祖母が、一度、先代の院長のお墓にお参りに伺いたいと、そういっているのでお電話しているのです。」
 智が言うと、すぐに院長が返事をした。
『それは何かの間違いでしょう。当医院には、アオキミツという患者さんはいらっしゃいません。』
 院長の言葉に、智は血の気が引くのを感じた。
『あなた方マスコミは本当にしつこい、いいかげんに病院の事も、娘の事もほうっておいて貰いたい。では、失礼する。』
 院長は言うと、智の返事を待たずに一方的に電話を切った。
 智は、あまりの事に呆然として、しばらくの間『ツー、ツー』と言う音を聞きながら、受話器を戻せずにいた。

(・・・・・・・・一体、いまの何なんだ? 普通の病院とは思えないぞ・・・・・・・・)

 智はやっとの事で受話器を置くと、気分を落ち着けるためにコーヒーを飲んだ。

(・・・・・・・・こうなると、残りの一ページ全部に電話かけて見る必要があるな・・・・・・・・)

 智は考えると、再びリストを元に電話をかけ始めた。


『まあ、鎌倉中のお寺にお電話されてるんですか?』
 何軒目かのお寺に電話すると、とても人当たりの良い年配の女性がそう答えた。
「ええ、そうなんですよ。祖母がお世話になった近江病院の院長にお礼参りをと言いまして・・・・・・。」
 智が言うと、相手の女性は話し始めた。
『近江病院の大先生は、それはそれは良い方でした。私もお世話になったことがございますのよ。それはもう、立派な方で。分かりますわ、おばあ様のお気持ち、私もお礼に伺ったことがございますもの。』
 女性の言葉に、智は手ごたえを感じた。
「もしかして、そちら様が菩提寺でらっしゃいますか?」
『いいえ、残念ですが、こちらではございませんのよ。』
 期待していた智は、ちょっと肩透かしを食らったような感じがした。
『お待ちくださいね。』
 女性は言うと、何かを調べているようで、紙をめくるような音が受話器の向こうから聞こえてきた。
『ありましたよ。』
 女性は言うと、お寺の名前と連絡先の番号、それに行き方まで丁寧に教えてくれた。
「ありがとうございます。とても助かりました。」
 智は言いながら、人の良い女性を騙しているような、罪悪感を感じた。もう一度、丁寧にお礼を言った後、智は受話器を置いた。
 女性が教えてくれたお寺は、智が電話をかけ始めた初日に電話をした中に入っていた。美波がつけたマークは『×』で、『先方にお問い合わせください』という返事を受けた事を示していた。

(・・・・・・・・もしかして、お寺から病院に報告があったんだろうか?・・・・・・・・)

 智は考えると、メモを清書して本にはさみなおした。

☆☆☆

 智から知らせを受けた美波は、買い物袋を片手に、足取りも軽く智の部屋のベルを鳴らした。
「荷物があるなら、迎えに行ったのに。」
 智は言うと、美波の手から買い物袋を取り上げた。
「智、ありがとう。」
 美波は言うなり、智の胸に飛び込んだ。
「美波。」
 智は器用に荷物を置くと、美波の事を抱きしめた。
「今日は、カレーね。遅くなるって言ってきたから。」
 美波は言うと、瞳を輝かせて智のことを見つめた。
「美波?」
 まじまじと美波を見つめた智は、美波の服装がいつもよりもかなりスポーティーな事に気がついた。
 黒のぴったりセーターに黒のスパッツ。首にまいたスカーフがなければ、夜の闇にすっかり溶け込んでしまえそうな雰囲気だった。
「美波、まさか・・・・・・。」
 智が口を開くと、美波はすばやく智から離れて台所に向かった。
「まさか、今晩・・・・・・。」
 智は、気のせいに違いないと、自分に暗示をかけながら問いかけた。
「カレーが出来たら、すぐに出発ね。暗くなったらすぐお墓を確認して、帰ってきたら夕飯ね。」
 すべて計画済みの美波には、何を言っても通じないようだった。
「何も、忍び込まなくても、昼間の明るい時間にどうどうと行ったら・・・・・・。」
「駄目よ。誰かに見られたら、私だって分かっちゃうかも知れないもの。」
 美波は、直ちに智の意見を却下すると、料理を始めた。
「美波、なにも今日行かなくても・・・・・・。」
 智は言いながら、自分に説得力のある理由が考えられない事に気がついた。実際、美波が早く納得してくれれば、早いほど、結婚式を日延べにする障害が取り除かれるわけであり、結果的に言えば、智には美波の計画を差し止める理由がないとも言えた。
「とにかく、お墓を確認するだけ、良いね。」
 智は言うと、美波の隣に立って鍋の支度を始めた。


 智のおなかの虫が空腹を訴え始めるのと、カレーの美味しそうな香りが部屋に立ち込め始めたのは、ほとんど同じようなタイミングだった。
「これで、火を消して。すぐに出かけられるよ。」
 美波は言うと、ガスの火を消した。
「美波、武士は食わねど高楊枝って言うけど、やっぱり腹が減っては戦ができない。それに、ここまで美味しい香りをさせといてお預けってのは、ちょっとフラストレーションが溜まるな。」
 智が言うと、美波はしぶしぶお皿にご飯を盛り付けた。
「もう。智ったら、もう少し時間を置いたほうが美味しいのに。」
 美波は言うと、カレーをたっぷりご飯にかけた。
 辛いものが苦手の美波が作るカレーは、お子様マイルドな甘口カレーだったが、辛いものが好きな智のために、美波は甘口カレーの辛味を最大限に引き出す裏技を使っていた。
「おいしい。やっぱり、美波のカレーは美味しいよ。」
 智は言うと、顔をほころばせながらカレーをほうばった。
 智が食べ終わったお皿を片付けてから、二人は智の部屋を後にした。
 効果があるかないかは別にして、美波の言いつけどおり、智も黒いズボンに黒のシャツを着て、黒のセーターを上から羽織った。
「絶対、途中で職務質問にあったら、泥棒と間違われるぞ。」
 智は茶化しながら言うと、車を発進させた。

☆☆☆
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