MAZE ~迷路~
十  エピローグ
 次の朝、目覚めた美波(みなみ)は、見なれない天井に慌てて飛び起きた。
「ここ、智(たくみ)の部屋だ。」
 美波は呟くと、足元の布団に抱き合うようにして寝ている、智と敦(おさむ)に目を留めた。

(・・・・・・・・二人とも、抱き合ってる相手が誰だか気付いたら、大騒ぎするだろうな・・・・・・・・)

 美波は思うと、笑いを堪えた。

(・・・・・・・・あの二人、絶対、抱き合ってる相手は、美波だって信じてるよ・・・・・・・・)

 そう言う絢子(あやこ)の声が、美波の頭に響いた。

(・・・・・・・・ティンク・・・・・・・・)

 美波は、心の中で呼びかけた。

(・・・・・・・・お待たせ。だけど、さすがに神官の一族ってすごいよ。一発で私の力を封じ込めただけじゃなく、こうして美波と融合させちゃうんだもん・・・・・・・・)

 絢子は、つくづく感心したというように言った。

(・・・・・・・・神官って、誰の事?・・・・・・・・)

 美波は、思わず問い返した。

(・・・・・・・・なんだ、美波、知らなかったの? あの智って男、神官の一族なんだって。敦さんが言ってた・・・・・・・・)

 絢子の言葉に、美波は、もう少しで敦に口付けしそうな智の姿を見つめた。

(・・・・・・・・ティンク、智の事、許してくれる?・・・・・・・・)

 美波は、恐る恐る問いかけた。

(・・・・・・・・許すも何も。もともと、巫女は神に嫁ぐか、神官に嫁ぐもので、相手が神官の一族なら、神様公認なんだし、文句は言えないじゃん・・・・・・・・)

 絢子は、つまらなさそうに言った。

(・・・・・・・・ありがとう・・・・・・・・)

 美波は心の中で呟いた。

(・・・・・・・・それは、こっちのセリフ。生きてるって信じてくれて、ありがとう。記憶の中に入ったとき、すっごく嫌な思い、いっぱいさせちゃって、ごめんね・・・・・・・・)

 絢子は言うと、黙りこくった。

(・・・・・・・・ティンク、気にしないで。ティンクが、私の身代わりになってくれたから、私、こうして、自由でいられたんだから・・・・・・・・)

 美波が言うと、『そんなことないよ』と、絢子は照れくさそうに言った。

(・・・・・・・・ティンク、愛してる・・・・・・・・)

 美波は、静かにそう言った。

(・・・・・・・・なんだよ、急に。照れるじゃないか。愛ってのは、もっとロマンチックなところで囁くもんで、こんな男同士のラブシーン見ながら、話すようなもんじゃないよ・・・・・・・・)

 絢子が叫んでいるうちに、敦と智の唇が重なり合った。

(・・・・・・・・やだ、ほんとにキスしてる・・・・・・・・)

 美波は言うと、目をしばたいた。

(・・・・・・・・愛してるよ、美波・・・・・・・・)

 絢子は、さりげなくそう言った。
 美波が呆然として、二人を見つめていると、敦が幸せな夢から現実に引き戻された。
「なんで、俺がお前とキスしなくちゃいけないんだよ!」
 敦は、隣まで聞こえそうな声で言うと、智の体を遠くに押しやった。
 次に、現実に引き戻された智は、不愉快そうに唇をぬぐった。
「布団まで貸してやったのに、こういう事するかね。」
 智は言うと、冷たい目で敦を見つめた。
「お前こそ、なんで俺にキスしたんだよ。」
 敦は言うと、シャツの袖で唇をぬぐった。
「お前がキスしてきたんだろ。」
 智が言い返すと、敦は『冗談!』と、言い返した。
「やだ二人とも。」
 二人の喧嘩を見ていた美波は、思わず声を出して笑い出した。

(・・・・・・・・この二人、本当に仲が良いね・・・・・・・・)

 美波が言うと、『男って生き物は、みんな馬鹿なんだよ』と、絢子は答えた。
「おはよう、美波。」
 智は言うと、久しぶりに見る美波の笑顔に、まぶしそうに目を細めた。
「美波、どっちがキスしたか、見てたか?」
 敦は言うと、いまいましそうに足に結ばれた紐を解いた。
「そうね。なんだか、二人ともひきつけられるようにキスしたよ。」
 美波が言うと、二人はがっくりと肩を落とした。
「誰にも言わないから、私とティンクの間の秘密にしておく。」
 美波の言葉から、敦は美波と絢子がちょうどいい具合に融合したのだと察した。
「美波、とっても元気そうだ。」
 智はうれしそうに言うと、美波の事を見つめた。
「美波、俺と結婚してくれる?」
 突然の智の言葉に、美波は躊躇することなく『もちろん』と、答えた。
 敦と絢子のブーイングが続いたが、どちらも智と美波の世界を打ち破る事はできなかった。
「マジかよ。勘弁してくれよ。」
 敦は、頭を抱えながら、その場にしゃがみこんだ。

(・・・・・・・・やだね、キザ男・・・・・・・・)

 そんな敦の耳に、絢子の声が聞こえたような気がした。

(・・・・・・・・え、絢子ちゃん?・・・・・・・・)

 敦は、驚いて心の中で呟いた。

(・・・・・・・・すごいや、敦さんとは話せる気がしたんだ・・・・・・・・)

 再び、敦の頭に絢子の声が聞こえた。

(・・・・・・・・敦さんだけは、私が美波の中にいること、忘れないでね・・・・・・・・)

 絢子の言葉に、敦は『もちろん』と、答えた。


 智の買い置きの食材を食べつくした後、四人は敦の車に乗って美波の家を目指した。
 迎えに出てきた有紀子(ゆきこ)は、三人の幸せそうな表情から、すべてがうまく行ったことを悟った。
 その晩、一年ぶりに帰宅した達海(さとみ)は、幸せそうな有紀子(ゆきこ)と、すっかり元気になった美波、そして、来年には新しい家族になる智と、居候のように粟野原(あわのはら)家にすっかり居付いてしまった敦の五人で晩餐のテーブルについた。

(・・・・・・・・おばさん、とってもおいしいね・・・・・・・・)

 絢子の嬉しそうな声は、ちゃんと有紀子の耳に届いていた。

 あの日以来、美波と絢子がスイッチングすることもなく。美波の力は、急速に衰えて行くように見えた。
 怒りに任せて、部屋全体がハミングする事も、意識を集中するだけで、物が動く事もなくなり、 次第に美波は、力のない生活に馴染んでいった。それでも、絢子と会話する事や、有紀子のような微かな力は失うことはなかった。
 時々、突拍子もない絢子の言葉に、美波が笑いを堪え、敦と有紀子が苦笑する、不思議な光景が見られる以外、誰も美波の秘密に気がつく者はいなかった。

☆☆☆

 屋上で風に当たりながら、宮本は片手で新聞を握り締めた。宮本を探していた園田は、ゆっくりと宮本の方へ歩いていった。
「宮本さん。」
 園田が声をかけると、宮本は新聞を手渡した。
「あの事件ですか?」
 園田が言うと、宮本は黙って頷いた。
「捜査本部も解散になりましたね。」
 園田の言葉に、宮本はゆっくりと振り向いた。
「せっかく夫人が金庫から会員名簿を提出してくれたのに、証拠は右から左へ雲隠れ。証拠が出るなり捜査本部は解散。おかしすぎるだろ。」
 宮本は言うと、タバコを探してポケットを探った。
「結局、あの近江って医者は、自分の息子も殺して、養女も殺して、早上徳恵という女性も殺した。それなのに、世間は騒ぐだけ騒いで、臭い物には蓋だ。病院はつぶれ、残された奥さんには、借金と息子の位牌しか残らなかった。自殺した夛々木(たたき)哲(さとる)だって、本当に自殺したのか。拘置所で自殺するのは、簡単なことじゃない。拘置所内部にも、手引きというか、自殺・・・・・・いや、夛々木哲を殺した犯人がいるのかもしれない。」
「宮本さん。」
 園田は、宮本の言葉に眉をひそめた。
「栗栖(くりす)万年(たかとし)だって、嘘を言っているようにしか聞こえないが、あのバラバラ死体、どう見たってまともな方法でばらした死体じゃない。養女になった、娘さんの両親の事故死だって、怪しいもんだ。」
「疑いだしたら、きりがないって言うか。証拠がなければ、どうにもならないですよ。」
 園田は言うと、新聞の見出しに目をやった。
「全部、近江(このえ)政(かず)臣(おみ)の単独犯ですか?」
 園田は、呆れたように呟いた。
「仕方ないだろう。捜査本部解散の時に、そう発表したんだ。新聞が記事にするのは当たり前だ。だがな、おかしいんだ、あの時と全く同じなんだ。」
 宮本は、悔しそうに言った。
「俺は駆け出しだったが、あの夛々木哲って青年の取り調べ、先輩について一回だけ立ち会ったことがあるんだ。」
 宮本の言葉に、園田は驚いたようだった。
「あの青年の瞳は、まっすぐだった。決して、嘘をついているようには見えなかった。あの青年は、『なんとしても、恋人を助けたい』って、言っていた。とても、自殺するようには見えなかった。あの青年は、恋人は実家に隠されていると、終始一貫して証言していた。いまでも、あの真っ直ぐな瞳が目に浮かぶ。」
「宮本さん、そんな前からこの事件に関わっていたんですね。」
 園田は、新聞を綺麗に畳んだ。
「結局、夛々木哲は正しかった。近江絢子さんは実家にいた。・・・・・・裏がありすぎるだろ。それなのに、全部お蔵入りだ。」
 宮本は、悔しそうに言った。
「上からの圧力ですか・・・・・・。」
 園田は、ためらいがちに問いかけた。
「さあな。今回の証拠がなくなったのと同じだよ。それ以外、分からない。ただ、これじゃ済まない気がするんだ。どこかで、同じような事件が起こるような気がしてな。そのうち、俺も口を封じられるかもな。」
「宮本さん・・・・・・。」
 園田は、心配げに呟いた。
「まあ、俺みたいな下っ端、殺す意味もないか。」
 宮本は言うと、何かを吹っ切ったような笑みを浮かべた。
「あの事件に巻き込まれたお嬢さん、粟野原美波さんって言ったな。幸せになれるといいな。亡くなった、近江絢子さんの分も。」
「そうですね。でも、また、こんな事件あるんですかね。」
 園田の声は、不安そうだった。
「そうならないように、頑張るのが俺たちの仕事だ。」
 結局、見つけたタバコが空だった宮本は、タバコの包みをくしゃくしゃにしてポケットに戻すと、先に立って歩き出した。
「行くぞ、園田。事件はあれだけじゃない。聞き込み、行くぞ。」
「はい。お供します。」
 園田は言うと、先を歩く宮本の後を追った。
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