英雄は愛のしらべをご所望である
真っ黒な空を照らす月と今にも落ちてきそうな星々。さわさわと心地よい音色を奏でる木々。鼻をくすぐる土の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、セシリアは大きく息を吐き出した。

自然の香りを嗅ぐとハープを弾きたくなるのはなぜだろう。
いつも木の下で弾いていたせいかもしれない。

残念ながらハープは持っていないが、うずうずと高ぶる気持ちを抑えきれず、セシリアは迷惑にならないよう小さな声で口ずさみ始めた。


「ウィルの髪は絹糸のように綺麗。
ウィルの瞳は宝石みたい。
ウィルの口は時々意地悪。
ウィルの手は優しくて温かい。
ウィルの足は速くて強い。
ウィルは木の下がお気に入り。
本を読むのが好きだもの。
身体を動かすのも本当は好きね。
だけど優しいから一番は譲るの。
私はウィルの隣がお気に入り。
だってウィルが大好きだもの」


昔の記憶を引っ張り出し、セシリアは軽やかに歌い切る。修行のおかげで幼い頃よりも歌声は伸びやかだ。

覚えているものだな、と己の記憶力に関心していたセシリアの耳が微かな音を拾う。


「ーーくくっ、くくくっ、くくくく……」


空気を震わせる小さな音は次第に大きくなっていき、それが笑いを堪える声だとセシリアが気付いた時には、我慢する気のない笑い声へと変わっていた。

明らかに馬鹿にしているだろう声の人物は、庭を囲んでいる身の丈程の木の塀の裏にいるようで、セシリアは少しの恥ずかしさを隠し、不快感は露わにして、塀の近くへと歩み寄りながら声をかける。


「盗み聞きをしておいて笑うなんて、失礼ではありませんか?」


人がいるとは気付いていなかったので聞かれていたのは仕方ないにしろ、笑うのは酷くないか。そう思うと、セシリアの言葉にもついつい棘がこもる。

話しかけられた相手は、身を隠す気を失ったのか、塀から僅かに帽子を覗かせた。
その場から逃げる様子はない。それどころか、この状況を楽しんでいるようにすら思える。

セシリアの勘は正しく、相手は悪びれる様子もなく、あっけらかんと返事を返してきた。


「いやぁ、あまりにも純粋で可愛らしい歌詞だったものだから」


物は言い様である。
セシリアは呆れ半分、驚き半分でその返事を聞いていた。何故なら、その声は男のものだったからである。
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