不器用な僕たちの恋愛事情


 毎時間、見物客が来て、トイレに行くのも必死になる日が来るなどと、誰が想像しただろうか。

 少なくとも自分がそんな立場になり得るなどとは、想像だにしなかった。

 たった一日で憔悴しきった十玖に、目立つことこの上なく好物の晴日が、何でも奢るからと教室まで労いに来た。

 この状況では部に迷惑がかかるので、しばらく休むと苑子に伝言を頼むと、苑子もそうした方がいいと言って、太一と部活に行ってしまった。

 いつもつるんでいた二人と、しばらく別行動を取らなければならない事に、些かの寂しさを禁じえない。

 三人でいつまでも一緒なんて有り得ないのは分かっていたけど、自分の選択一つで、いともあっさり変わってしまうんだと気付かされた。

 晴日、美空、竜助と連れ立って、校門に向っている途中、黒山の人だかりに気が付いた。

 ここもか、四人はちょっとげんなりした。

 見つかる前に逃げるが勝ち、と踵を返した背中に、甲高い声が猛ダッシュで近づいて来るのが分かった。

「十玖。子ザルがすっ飛んでくる」
「マジですか!?」

 振り返ると、見覚えのある制服を着た従妹が、チョロQヨロシクすっ飛んで来る。萌は陸上選手で走ることを何より得意としていた。

 条件反射で逃げようとした十玖の背中に、貰ったばかりの教科書が詰め込まれたカバンが飛んできて、そこに隙ができた。

「とーくちゃんっ」

 例外に漏れず、萌が首に飛びついてきた。ぶら下がる萌に、豆鉄砲食らった美空と竜助。

「俺の攻撃は軽く躱すくせに、なんでこんなチンケな攻撃に遭う?」
「面目ない」
「あ、とーくちゃん奪った黄色い人だ」
「うるさい。子ザル」
「子ザル言うな。萌だもっ」
「もーえっ! 何でここにいるの?」
「愛しのとーくちゃんに会いに来たに決まってるじゃん」

 えへへと笑って、十玖の後頭部に頭を摺り寄せて、マーキングする萌。

「昨日も一昨日もツレないし。なんかとーくちゃん有名になってるから、心配で来ちゃった」

 満面の笑みで、さらに強く抱きつく。

「十玖。そちらは誰かお尋ねしても?」

 冷静に振舞おうとするが、怒りで震える美空の声。

 表面では笑っているが、目が完全に怒っている。一気に十玖の血の気が失せていく。

 付き合い始めて二十四時間も経たないうちに、爆弾を投下された気分だ。

「従妹の相原萌(あいはらもえ)。ハルさんは家で会ってる」
「将来、とーくちゃんのお嫁さんになりますっ」
「ばっ! 萌!!」

 出てしまった言葉は取り戻せない。

 十玖の顔が土気色に変わっていく。

「ふぅーん。嫁。それは何よりですわね。み・し・ま・くぅん」

 完全に怒っている。

 首から萌を引き剥がそうとしたが、また足で締め付けにかかってきた。

「誤解だから」
「十玖のバカ。大っ嫌いだぁ!」

 いい様、美空は校門の人だかりに向かって走り出した。

「ハルさーん。お願いします。これ引き剥がしてくださぁい」

 晴日に背中を向けて、哀願する十玖。

 妹が暴言を吐いて走って行った元凶を慌てて引き剥がしにかかるが、敵もさるものでがっちり挟んで離れない。天駆はいとも簡単にやって見せたのに。

「セクハラーっ! 放せ痴漢」
「誰が小学生まがいに手を出すか。竜助、手伝え」
「あいよ」
「お願いですから早くしてくださぁい」

 すでに涙声の十玖。

 二人がかりで萌を剥がすと同時に、十玖は人だかりに向かって走り出した。

 美空はスルー出来ても、標的がそう容易く通り抜けられるわけない。

 十玖を見つけて一目散に集まってくる他校生を大きく回避し、校門にまだ残る人だかりを避け、二メートル以上ある塀をヒラリと飛び越えた。

「すげぇ跳躍」

「あいつは忍者か?」

 感嘆の声を漏らす晴日と竜助。その二人に囚われてる萌はジタバタと暴れてる。

「ちょっと放してよ。なんで萌の邪魔するの!」
「子ザルがカレカノの邪魔してるから」
「なっ! とーくちゃんは萌の恋人だもっ」
「十玖、こっちが赤面するほど美空にベタ惚れだけど、それ言っちゃう? うちの美空、いい女だけど勝てんの? 子ザルちゃん」

 美空がここにいたら、シスコンの過大評価と言うだろうが、晴日はそんなこと微塵も思っちゃいない。正当な評価と言って憚らない。

「美空!? とーくちゃんクラスメートだって言ってたのに。萌に嘘いったのぉ?」

「嘘じゃない。彼女って言わなかっただけ」

 本当は彼女と呼ぶに至らなかっただけだが、ご丁寧に教えてやる義理はない。

 プルプルと打ち震えて、萌の目に涙が溢れる。

 この後、十玖の名前を呼びながら号泣する萌に、二人は翻弄される事になるのであった。




 塀を飛び越えて、人だかりに捕まる前に全速で走り出した。

 美空がどっちに走って行ったかなんて分からない。

 美空の行動パターンなんて分からない。

 でも走らずにはいられない。闇雲であろうと何であろうと、いまは走らなきゃ。

 ただ感じるままに走った。理屈なんてない。

 ――――ビンゴ!

「美空っ!!」

 彼女は一瞬振り返ったが、そのまま走って行く。

 十玖は些かムッとして、更にスピードを上げ、美空の手を掴まえた。引き寄せ、抱きしめる。

「捕まえた」
「なんで直ぐに追いつくのよ」
「さっきはごめん。萌のこと面白くなかったよね」

 腕の中の美空が一瞬強ばった。美空の髪を撫で、頬を寄せる。

「うちって男系一族で、女子は死んでも守れってのが家訓なんだ。その中で甘やかされて育ってるから、美空を怒らせること平気で言うと思う。ホント申し訳ないと思うけど、僕が好きなのは美空だから、それは信じて?」

 切実な声。

 やっと想いが通じたばかりなのに、失くせない。

 美空を抱く腕に力がこもる。

「将来のお嫁さんなんでしょ」
「マジやめて。萌が勝手に言ってるだけで、挨拶みたいなものだから、受け流して欲しいんだけど。萌にはちゃんと言い聞かすから」

 お願いだから、消え入りそうな声。

 ずっと見つめてくれてた十玖に嘘はないと知っている。

 十玖を抱きしめ返した。

「分かった。でもまたキレるかも知れない」
「その時はまたこうしても?」
「ふふ。じゃあまたキレなきゃ」
「寿命が縮む」

 抱き合ってゆらゆら揺れる。それだけで心が満たされていく。

 通行人が二人を一瞥していくが、気にならない。

 しばらくそうやっていたが、十玖のスマホが鳴って現実に戻された。

「苑子だ」
「苑子ちゃん?」
「うん。なんだろ?」

 苑子が電話を掛けてくる時は、大概急用の時だ。

「もしもし。どうした? ――――うん。分かった。ありがとう。美空、代わってって」

 訝しげに電話を受け取る。

「もしもし」
『美空ちゃん。萌なんか気にしなくていいからね。あの勘違い娘、いちいち気にしてたら負けよ。みんなが認める彼女は美空ちゃんだからね』

 校庭で十玖の名前を連呼しながら、号泣する萌に気付いた苑子の応援電話だった。

「あ、ありがとう。……うん。また明日」

 通話終了を確認して、スマホを十玖に返した。

「苑子ちゃんて、萌ちゃんと仲悪い?」
「うん。いつも僕の分まで怒ってくれてた」

 当時の苑子を思い出し、優しく笑う。

 帰路につきながら、十玖は家訓にまつわる話を話し始めた。

 三嶋家では、家訓は絶対であった。

 一緒にいる女の子に、かすり傷ひとつでも負わせようものなら、母の鉄拳制裁があること。

 天駆とは年が離れすぎていて接点があまりなかった事、亜々宮は自分が遊ぶことに没頭してしまう事、そのせいか十玖が萌を任せられることが多く、先に先に回って萌が怪我しないように努めてきた結果、お姫様扱いを受けてきた彼女が、十玖に執着するようになってしまった事。

 それを近くで見てきた苑子は、自分なら怒られないのを知った上で、よく萌を引っ張り出したのだが、その度彼女に振り回されて散々な目に遭ってきた。

 しかし子供の限界などたかが知れている。

ある日苑子はぶちきれて、それから彼女と萌は犬猿の仲になったのであった。

「苑子って、今は三人の中で一番小さいけど、生まれは一番早くてデカかったし、姐御肌だからほっとけなかったんだと思う」

 子供心にも、女の子に庇われている自分が情けなくて、たまたま近くに住んでいた先生の紹介で、少林寺拳法を始めた。

「お陰で、未だに苑子に逆らえない」

 肩をすくめた十玖に、美空は吹き出した。

「苑子ちゃんてカッコいいね」
「カッコいいんです」
「ぶっちゃけ苑子ちゃんが女の子として好きだった事ってある?」
「ないよ。姉? 同士? そんな感じかな。苑子や太一もそんな感じだと思う」

 確かに苑子も似たような事を言っていた。

 幼馴染みが必ずしも恋愛関係になるとは限らない。かく言う美空と竜助もそうだが、兄妹に近い。

「萌には注意するけど、また迷惑かけたら言って。本当の意味で守りたいのは美空だから」
「エヘヘ。なんか照れる」

 特別な存在として扱われることの優越感。

 胸の奥が暖かくて、優しく鼓動を打つ。

 指を絡めて手をつなぐ。

 照れてる十玖の頬が赤い。美空がくすくす笑う。その頬も赤い。

 二人はゆっくり時間をかけて帰宅の途に着いた。



 このしばらく後、十玖は守りたくても守れなかった、やるせない現実を突きつけられる事となる。

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