不器用な僕たちの恋愛事情





 七月二週目の金曜日。

 十玖のA・D参入により活動を再開して三週間。週三のペースでこれまで八回のライヴをこなしてきた。今日で九回目になる。

 控え室で美空特性喉愛護ドリンクを飲んでいた時、筒井に呼ばれた。

「いま外でトークの従妹だっていう小学生が、補導員に食ってかかってるんだけど。用事があって来ただけで、遊んでるんじゃないから放せって」
「はぁあ?」

 それで誰だかは検討がついた。

 他のメンバーにもすぐ誰だかわかったようで、「子ザルか」と異口同音に呟いた。

「用事なんてないと思いますけど、補導されるのはマズイかな。一応受験生なんで」
「中学受験?」

 至極真面目に言った筒井に、十玖以外の全員が吹き出した。

 苦笑を浮かべた十玖。

「いえ。高校です」
「あ、あら」
「僕が行った方がいいですか?」
「いえ。一応確認したかっただけだから、あたしが行くわ。トーク行ったら騒ぎになるかも知れないし」
「済みません。お願いします」

 十玖が頭を下げると、「オッケオッケー」と筒井は萌を迎えに行った。

 重いため息を付く。

「大丈夫?」

 カメラの手入れをしていた美空が、手を止めて声をかける。十玖は微かに頷いた。

「ついにここまで来たかって感じ。悪い子じゃないんだけどね」

 とても素直だ。自分の感情に。

 その明るくて忌憚ない物言いはいっそ清々しくて、憎めないし、羨ましくもある。手は焼けるし疲れるが、嫌いだとは思ったことがない。

 ライヴ前から疲れきった顔をしている十玖の頭を撫でる。上目遣いで美空を見てその手を取った時、筒井と萌が入ってきた。

「とーくちゃん怖っかたよ~」

 言うが早いか抱きつくが早いか。

 瞬時に十玖の位置を認知して、行動を起こせるのはアスリートならではか。

 背中に張り付いた萌に、美空が固まったのを見て、十玖はぎゅっと美空の手を握る。

「萌。何しに来たの? 用事があるなんて嘘でしょ」
「嘘じゃないも。とーくちゃんに会うのが用事だし」

 十玖が握る手を見て、萌はあからさまに不機嫌になる。一瞬美空を睨み、抱きつく手に力を込めた。

「そんなのは用事とは言わないよ萌。受験生が何やってんの?」
「萌には一番大事なことだもん」
「はあ~……。叔母さんに来て貰うから、一緒に帰りな」
「ヤだっ!!」
「ヤじゃない。帰りなさい」
「絶対に帰らないーっ。ライヴ絶対に見るんだから」
「さっきも小学生に間違われたんでしょ。ホールになんて出せないよ」
「今日はたまたまだも」
「今日はたまたま?」

 十玖のオウム返しに、萌は失敗したと言わんばかりに顔をしかめた。

 背中に張り付いた萌を離し、横に立たせて向き直る。

「何回か来てるの?」

 普段見ない従兄の怒った顔に萌は後退る。

 十玖の怒りは当然だ。一回辺りのチケット代はメジャーのコンサートに比べれば安いと言えるが、ワンマンライブは頻度も多く、チケット代だって安くはない。

 中学生の小遣いで頻繁に来るのは、決して良い事ではない。

「友達と二回来た」

 おずおずと答える萌に、天井を仰いだ。

 十玖の怒りのオーラに誰も口出し出来ないでいる。間もなく開演時間だと言うのに、集中どころの話じゃない。

「萌の月の小遣いは?」
「五千円」
「もう大分オーバーしてるよね?」
「貯金から出した」
「そんな事して、よく来たって僕が言うと思う?」
「……言わない」

 しゅんとなる萌に筒井が助け舟を出した。

「とにかく今日はせっかくだし聴いて行ってもらいましょ。萌ちゃんとは私が一緒にいるし、トークは気を鎮めて」
「……わかりました」

 不承不承十玖が頷くと、萌もようやく安心したようだ。

 スツールに腰掛けて、筒井が出したペットボトルのお茶を飲み始めた。そんな萌の頭を鷲掴む晴日は、ぐいっと顔を仰向かせてさらりと嫌味を言う。

「筋金入りのグルーピーだな。しかもちゃっかり居座って」
「当たり前でしょ」

 チラリと美空を見やり、

「ポッと出の人に負けらんないも」

 ケンカ腰の萌を十玖が睨む。萌はあっさり怯んだ。

「強制送還されたい?」
「ごめんなさい」

 素直に謝った萌に嘆息し、嫌な思いをしているだろう美空に頭を下げる。

「美空。ごめん」
「いいよ。もぉいちいち気にするのやめたし」
「少しは気にしてよ」
「だって萌ちゃんだし。あたしポッと出の美味しいとこ取りだから」

 はははと乾いた笑いを漏らした美空に、十玖は不機嫌な顔になった。

 美空にそんなことを言わせたいわけじゃない。

 諦めた物言いをさせてしまう自分が不甲斐ない。

「そおゆーこと言わないでよ」
「う…ん。ごめん」

 言いながら、止めていた手がまたカメラの手入れに勤しむ。

 十玖はすっかり機嫌を直した萌に向き直る。

 真剣な十玖の眼差しに、萌は緊張を見せた。お茶をテーブルに置いて、上目遣いに彼を見る。

「萌が僕を慕ってくれるのは嬉しいけど、萌はずっと妹だよ。それは絶対に変わらない。萌は僕の性格をよく知ってるよね?」

「知ってる。でもヤダ。ヤなもんはヤダ! 絶対ヤダヤダヤダ!!」
「ダダこねたって変わらないから。僕は萌を選ばない。僕が選んだのは美空だから。周りに迷惑を掛けて、萌を嫌いにさせないで」

「とーくちゃん。嫌っちゃヤだぁ」

 小さな子供みたいにわんわん泣き出す。

 十玖は小さくため息をついて、萌の頭を撫でた。

「ライヴに来たいなら連れて来てあげるから、一人で来てみんなに迷惑をかけないこと。ただし、受験勉強は頑張ること。約束出来ないなら、叔母さんに報告するからね」

 叔母に報告すれば、当分外出禁止になり、小遣いは停止、貯金も凍結されるだろう。

 十玖にしてみればそれでも一向に構わないのだが、従妹に対してそこまで鬼にはなれなかった。

「……わかった」

 不承不承だろうが何であろうが、萌が頷いたのを見て、十玖はすぐ切り替えて立ち上がると、ストレッチを始めた。

 もう開演時間だ。

 晴日達も時間を確認して、それぞれがスタンバイを始めた。

 筒井に萌を頼んで、四人はステージに向かう。

 振り向きもしないで行ってしまう従兄に、萌はまたグズグズと泣き始め、筒井は困ったように宥めていた。

 美空は居た堪れなく、カメラを手にホールへ向かった。



 いつも通り首からスタッフのネームをぶら下げて、無心に写真を撮っていた。

 さっきまで筒井と一緒だった萌が、いつの間にか隣に並んでいるのに気が付いて、手を止める。

「ども」

 一応声をかけてみたが、萌は一瞥しただけでそれに応えなかった。

 気まずい空気のまま、カメラを構え直すと萌がボソリと呟いた。

「あんた嫌い」
「はあ。それはどうも」

 自分も嫌いだとか、十玖を煩わせるなとか、他にも有るんだろうけど、咄嗟に出た言葉はそれで、萌のお気に召す反応ではなかったのは承知だった。

「何それ。萌をバカにしてるの?」
「バカにしてない。ごめんね。話なら、仕事しながらでもいいかな?」
「……いいけど」

 美空の都合をついつい呑んでしまった萌のこの反応で、悪い子じゃないのが分かった。

 もっと美空の対応に腹を立ててもいいのだ。

 萌を気にしつつもシャッターを切る手は止めない。萌もしばらく美空の仕事を見ていた。

「何でとーくちゃんなの? あなた……美空さんみたいな美人なら、他にもいい人いるでしょ。萌にはずっととーくちゃんしかいなかったのに」

 美空は手を止めて、考えてみた。

 ステージの十玖を眺める。

「どうして十玖なのかな?」
「なにそれ」
「いろんな葛藤があって、お互いに口も利けない時期があって、なのに気がついたら後に退けないくらい好きだった。理屈じゃないと思うんだよね。だから萌ちゃんが十玖を好きなの止める権利はあたしにないし、あたしが十玖を好きなの萌ちゃんが止める権利ないよね」

 ステージではっちゃけてるメンバーに、知らず笑みがこぼれた。

 毎日、いろんな十玖を発見して、どんどん好きになっていく。

 今を切り取り、カメラに収める。

「十玖があたしを好きでいてくれる限り、絶対に誰にも譲るつもりないから」

 萌を振り返り、挑戦的な眼差しを向ける。

「それでも萌ちゃんが十玖を奪うつもりなら、受けて立つ」

 にっこり笑って宣戦布告。

 萌は息を飲んだ。

 美空に負けるつもりはないけれど、返す言葉が見つからない。

 十玖は美空を選んだ。

 ステージの十玖にあかんべをして、美空にダブルあかんべをする。

 美空は無意識のうちにシャッターを切ってしまった。

「ちょっ。なに撮ってんの?」
「ごめん。思わず」
「データ消してよ。消せるでしょ!?」
「け、消せるけど、いま無理。ほら彼ら撮らないとね」

 あからさまに話を逸らして、ファインダーを覗く。

 萌が隣で「消してぇ」と騒いでる。美空は「あとでね」と笑って取り合わず、萌からちょろちょろ逃げながら、シャッターを切っていた。

 そんな二人のやりとりに晴日が気づき、十玖に教える。そして十玖が謙人に教え、晴日が竜助に教える。

 十玖たちが見る限り、険悪そうには見えなかった。むしろ楽しそうだ。どちらも。

 そうなるとテンションも上がる。

 A・Dのテンションが上がれば、ファンのテンションも上がり捲る。

 そのうち萌も写真のことなんて忘れて彼らに見とれ、美空は心置きなく写真を撮りまくった。

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