不器用な僕たちの恋愛事情
4.守りたい
 
 七月四週目金曜日。梅雨の長雨真っ只中、夏休み五日目。

 間もなく開演の控え室で、すっかり馴染んで居座ってる萌に、イタズラをして怒られてる晴日。爆笑する謙人に、冷ややかな眼差しを向ける竜助。

 そんな中で十玖だけが落ち着きなく、控え室を出たり入ったりしていた。

 美空が、見当たらない。

 いつもならカメラの手入れをしている時間なのに、だいぶ前から姿が見えなかった。

 何故だか落ち着かなかった。

 ホールの状況を見て戻った筒井に訊ねる。

「筒井さん。美空見ませんでした?」
「クーちゃん? いえ。見てないけど」

 そう言いながら壁掛時計と腕時計を照らし合わせている。

「美空さんなら、さっきコンビニに行って来るって」

 逃げる晴日の足に、何度も蹴りを入れながら萌が言った。

「コンビニ?」
「うん」
「なんだ。美空いないとナーバスになっちゃうんかぁ?」
「……そうですよ」

 冷やかした晴日に臆面もなく答える。

 萌はぷうっと膨れて、今度は八つ当たりでバシバシと晴日を叩き始めた。

 晴日をここまで堂々とひっぱたいて、なんのお咎めないのは美空を除いて恐らく萌ぐらいなものだろう。晴日も
体張って楽しんでるようなので、誰も何も言わない。

(なんだろ。この違和感)

 さっきから付き纏う不安。

 美空なら、いつも自分に声を掛けて行くのに。

「ハルさん。なんか」
「みんな時間よ」

 筒井の声が被った。

 一斉に立ち上がり、それぞれの気合が十玖の声を掻き消す。

「なんか言ったか?」

 晴日が聞き返してくれたが、もう時間だった。謙人が先頭切って、二人に手招きする。

「ハル、トーク行くぞ」
「はい」

 四人は円陣を組み、気合を入れた。さらに晴日は十玖の背中に一発気合を入れる。

「美空ならじきに戻るだろ」

 眉を持ち上げて笑ってみせる晴日に頷く。

「ですよね」

 言ったものの一抹の不安を残したまま、十玖はステージに上がった。



 開演の四十分前、トイレに立った美空に声を掛けてきた女の子がいた。

 外に呼び出され、萌にコンビニに行くと言って、女の子とライヴハウスを出た。

 何度か見かけたことのある顔だった。

 トークのファンらしいのは知っている。

 何だか面倒な事になりそうだなとは思ったが、武闘派晴日の妹に下手なちょっかいを掛けてくる者が今までいなかったから、油断していた。

 通りは傘で溢れ、誰もいちいち覗いて歩いたりしない。

 それが例えば、気を失った女の子の顔を隠すように、背負って運んでいたとしても。



 萌は美空を待ちながら、ホールの片隅にいた。

 美空の待機位置。

 普段から過保護な従兄だけれど、それにしても十玖の気に仕方が、何となく引っ掛かっていた。今まで何度か似たような経験がある。

 十玖が意味もなく何かを気にする時は、無理強いしていい思いをした事がない。

 虫の知らせ的直感が子供の頃から長けていた。

(コンビニに行ったにしては長いよ)

 美空に何かあったのかもと思い至って、筒井の所に行こうとした時だった。

「何も知らないって、幸せだよな」

 クスクス笑って萌の顔を覗き込む者が、いつの間にか隣に立っていた。目を見開いて見入る萌を、下卑た笑みを浮かべる男が見返す。

「なんですか?」

 怪訝な顔をする萌に、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。

 ステージを指差して、そのままぐるりとホールを巡り、萌を指す。

「ねえ。一人足りなくない?」
「何なのあんた?」
「無事かなぁ。無事だといいねえ」
「それって、どーゆー意味!?」

 萌は男の胸ぐらに掴みかかった。

「放せよ」

 うぜぇな、と手を振り払う。それでも負けじとまた掴みかかった。

「美空さんがどうしたのよっ!?」
「放せよっ! ガキ!!」
「放さないッ。美空さんはどこ!?」
「放せってんだよッ! クソアマが!!」

 男は萌を殴り払った。観客の悲鳴が上がる。

「萌ッ!!」

 十玖と晴日が同時に叫び、ほぼ同じくらいに二人はステージから飛んだ。

「美空さんが攫われたッッッ!!」

 痛いだろうに必死に掴みかかり、萌は訴える。

「もえっ! 離れろ!!」

 十玖が叫ぶ。

 客をかき分け、逃げようとする男の襟首を十玖が掴まえ、振り回すように引き寄せた。晴日が顔面に殴りかかり、よろめいたところを十玖の廻し蹴りが横っ面を襲う。

 床に叩きつけられた男は勢いで滑って行く。

「コイツ、美空さんをどっか連れてった」

 顔面を殴られても放さなかった萌が痛々しい。

「よくも萌の顔を殴ったな!」

 晴日は男の腹に蹴りを入れ、

「美空をどこに連れてった!!」

 十玖は胸ぐらを掴んで、締め上げる。

 一足遅れて謙人と竜助、そして筒井が駆けつけた。

 男は鼻で笑い、シラを切る。

「美空はどこだ」
「知らねえな」

 床に抑えつけぎりぎりと首を絞め上げる。

 苦し紛れに十玖の手の甲に爪を立てる男の顔がうっ血してきた。

「美空をどこにやった!!」
「止めろトークッ。そいつ死ぬぞ!」

 謙人と竜介が二人掛りで十玖を引き剥がす。

「はーなーせえっ!」

 取り押さえられながらも暴れて、男に蹴りを入れ捲る十玖。これまで見たこともない形相の十玖を押さえ込むのに、二人は必死だ。

「俺らだってトークに本気のケンカを売らんのに、バカな事しやがって!」

 謙人が男を詰る。

 萌の怪我の具合を見ていた晴日が、寝転がって咳き込んでいる男の脇にしゃがんで、顔を覗き込んだ。

「これ以上トークを刺激して、本気で殺される前に美空の居所吐きな。取り敢えずお巡りに捕まっとけば、少なくともすぐにあの世を垣間見る事はなくなるぜ」

 男の頬を張りながら、晴日が脅しをかける。

 そう言った晴日の顔をもかなり凶悪だ。

「せ……先月閉めたライヴハウス(ハコ)…RED MOONにいる」

 恐怖で緊張した喉から搾り出す声。

 取り押さえられてるにも関わらず、十玖は連続蹴りを男に食らわせ、二人を振り解いてライヴハウスを飛び出した。

 胃液を吐いてうずくまる男に、更に三人が一発ずつ蹴りを入れ、十玖を追って走り出した。

ライヴハウスのスタッフが駆けつけ、男を取り押さえる。

 その間にも、筒井は警察に連絡し、オーナーに謝罪し、チケットの払い戻しの手続きを頼み、客に謝罪し、天手古舞だった。



 雨が降りそぼる中、人を掻き分けて走る形相は、見る者の恐怖を唆った。

 商業ビルの地下階段を駆け降り、閉まってるはずの店の重い扉を押し開ける。非常灯だけが頼りの店内で、複数の人影と下卑た笑い声、そして嗚咽する声。

 全身がざわりとした。

 十玖の身体が怒りに震え、床を蹴る。一気に間合いを詰め、囲っている輩を蹴り倒し、その中心に美空を発見した。

 衣服を破かれ、肌が顕になった美空が横たわっていた。

 顔面は殴られ腫れ上がり、無数の打撲痕と裂傷。

 そして、明らかにレイプされた痕跡。

 血液が一気に沸点に達し、怒りに任せた雄叫び。

 招かざる客の乱入に一斉に殴りかかって来たが、気が狂ったように手当たり次第殴り、蹴り上げる十玖に気圧され始め、やがて誰も動けなくなって床に転がると、ようやく十玖は美空に近付いた。

 十玖の指先が美空に触れる。

「…ッ!……いや――――ッ!!」

 半狂乱の叫び。十玖は思わず手を引っ込めた。

 身体を丸めガタガタ震えながら号泣する美空に、泣きそうな十玖の呼びかけ。そっと抱き起こし、自分のシャツを羽織らせると、暴れる美空を抱きしめ、嗚咽を漏らす。

「美空……ごめん。守れなくて、ごめん」

 全身のありったけで暴れる美空。

 駆けつけた晴日たちは、惨状に凍りついた。

 ひたすら美空の名前を呼び続ける十玖が、切なさを誘う。

 後から駆けつけた筒井と萌が悲鳴を飲み込み、十玖の腕の中で暴れる美空を、筒井は彼から引き離して抱きしめ宥める。

 美空を呼び、打ち震えて泣く十玖の頭を晴日が抱き寄せ、苦渋の色を浮かべた。

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