不器用な僕たちの恋愛事情





十玖のクラスに、養護教諭に有るまじき美貌と、匂い立つ色気を漂わせた鈴田有理が来たのは、ホームルームが終わってすぐの事だった。

クラスの男子がどよめいたのは、無理からぬ話だ。

一度はお願いしたい女性の一人として、ランキング一位の教諭が、何の用か知らないが自分たちのクラスに来たのだから。

鈴田有理は、目標を確認すると、つかつかと歩み寄った。

「顔貸してくれる?」
「何ですか?」

上から目線の有理に、不機嫌な十玖が応える。

「用があるからに決まってるでしょ」
「僕には有りませんけど」
「三嶋の都合なんて聞いてないわ。いいからいらっしゃい」

そう言って、十玖の腕を取る。

十玖が抗うと、何やら耳打ちをした。

有理の不遜な笑みを見て小さく舌打ちをし、席を立った。

十玖と腕を組んで、教室を出ようとした有理が振り返って美空を見る。茫然としている美空に「借りるわね」と妖艶な笑みを浮かべ、二人は教室を後にした。

教室は大騒ぎである。

「何なんだ、ありゃ!?」
「なんで三嶋!?」
「何か入ってけない雰囲気じゃなかったか!?」
「ちょっと美空。あんた彼女でしょ!? 一体どーゆー事か説明しなさいよ!!」

すごい剣幕の女子たちが、美空の周りに集まってくる。

説明を聞きたいのは、美空の方だ。

親密に見えた。

自分よりも、ずっと近い存在のように感じた。

当たり前のように腕を組んで、十玖も振り解くことなく行ってしまった。

昨夜の気まずさを思い出し、涙が浮かんでくる。

「どうしたの?」

きょとんとした苑子が、ハンカチを手にして入って来た。

「苑子どこ行ってたの?」
「トイレ。ちょっと我慢限界だったんで。何か賑やかだけど?」
「いま養護の鈴田が来て、三嶋を攫ってったんだけど!」

苑子は、数回瞬きをして「ああ」と呟いた。

今にも泣き出しそうな美空を見て、肩を竦める。

この様子だと、美空は知らされていないようだ。

苑子はどうしたものかと思案し、美空に微笑む。

「心配しなくても大丈夫。浮気するような器用さはヤツにはないから」

慰めになってない慰めの言葉で、ケラケラ笑う苑子は教室の空気を完全無視だった。



一方、保健室に半ば引き摺られるように連れて来られた十玖は、完全に不機嫌だった。

「学校では、馴れ馴れしくしないでって言いましたよね」
「あら。冷たいのね。十玖とあたしの仲で」
「人が聞いたら誤解します」
「他人行儀なもの言いね」

言いながら、十玖の手を取った。

手の甲を見て、有理は嘆息する。

「ほんとバカじゃないの、あんたって」

こんなになるまで、と言って手の甲に湿布を貼る。包帯を巻きながら、ブスったれた十玖に肩を竦めた。

「一晩中、壁を殴ってたんですって? それで何か変わったの?」

手は腫れ上がったわね、とそっぽを向く十玖に苦笑する。

「まあ。お陰で、ケンカは中断したけど」
「まだケンカしてたの?」
「アイツがガキなのよ」
「嫌ならやめたらいい」

有理は十玖の頭を叩いた。

恨みがましい目で有理を見返す十玖。

「少なくとも、あたしが知ってる十玖は、何かに八つ当たりするヤツじゃないわよ」

包帯を巻き終え、手の甲を叩く。

十玖は一瞬顔をしかめ、ため息を漏らした。

「アイツ等、全員ぶっ殺してやりたい」

うなだれて呟いた十玖に、今度は有理がため息をついた。

十玖がここまで深く傷ついた理由を全て知っているわけじゃないが、恋人が傷つけられた現場を目撃した時の衝撃は、第三者には計り知れない。

その上、更に傷ついた恋人を見守っていくと決めた以上、精神的負荷は半端ないだろう。

自分たちに出来ることは、傍にいて話を聞くことくらいだ。

心の傷を癒すのは簡単な事じゃない。

目の前の少年の頭を優しく抱く。

「ねえ十玖。時間はかかっても癒えない傷はないわ。あんたが弱気になっちゃダメ。守ってあげるって、決めたんでしょ? 担任にはあたしから言っておくから、少し寝なさい」

十玖の頭を撫でる。

かた…っ。

廊下で物音がして、走り去る足音。

「あらあら」

有理は独りごちて、去って行く足音の方に視線を向ける。

困ったわね、と言いながら有理はどこか楽しそうだった。



それは瞬く間に広まった。

美空の耳にも届き、教諭たちも騒然としていた。

そんな中、校内放送で有理と十玖が、校長室に呼び出された。

「もしもし。苑子だけど、有理ちゃんと十玖、ちょっと困った事になったかも。学校に来れる? てか来てくんないと困る。速攻で来て」

一方的に捲し立て、苑子は通話を切ると、美空の手を取った。

「行くよ」
「どこに?」
「校長室に決まってるじゃない。十玖に口止めされてたから言わなかったけど、二人の潔白を証明しないと。呼び出されるような色っぽい関係じゃないし」

太一拾っていかないと、と言い様ぐいぐいと美空を引っ張り、教室を出た所で太一と鉢合わせた。

三人は校長室に走り出した。

その頃保健室では、有理に叩き起され、呼び出された旨を聞いて、青褪めた十玖がゆらゆらと校長室に向かい始めていた。

「だから関わり合いたくなかったんだ」
「遅かれ早かれバレるんだから、ごちゃごちゃ言わないの」
「卒業するまでバラして欲しくなかったんだけど」
「うるさいわね。黙らないと抱きつくわよ」

言いながら、視線を送ってくる生徒たちに手を振る有理を一瞥し、肩を落とした。

きっと美空の耳にも届いてる。

苑子と太一には口止めをしていたが、美空にも話しておくべきだった。

苑子が機転を利かして話してるかとも思ったが、十年以上も前の天駆との約束を律儀に守るような子である。きっと十玖の了承もなく話さないだろう。

二人が校長室の前に立って、有理がノックをしようとした時、走り寄る群れに十玖は絶句した。

美空、苑子、太一、晴日と竜助までいる。

「あらま。お揃いで大変ねぇ」

クスクス笑う有理を睨む十玖を尻目に、ノックして入室する。

「鈴田、三嶋。釈明に参りました」

あっけらかんとした有理に、十玖以外の居合わせた者すべてが呆気に取られた。

二人の後をぞろぞろと付いてくる生徒たちに、教頭は教室に戻るよう追い返そうとしたが、苑子の「私たち証人です」の言葉で、立ち会うことを許された。

校長は咳払いをし、言いにくそうに口を開いた。

「保健室で抱き合っていたという情報が耳に入りましたが、事実ですか?」

十玖に集まる視線が痛い。

心底嫌そうな顔をする十玖に、有理は素早い蹴りを入れた。

あまりの素早さに、偶然目撃してしまった美空たちは愕然とする。

「事実ではありません。確かに三嶋の頭を抱き寄せましたが、おとうとを慰めて何か問題でも有りますか?」
「…おとうと?」

美空、晴日、竜助は校長のオウム返しに同様の疑問を抱いた。

姉が居るなんて聞いたことない。

「厳密に言うと、これから義弟になるんですけど。ここの卒業生の三嶋天駆が私の婚約者ですが、彼から義弟がナーバスになってるから宜しくと頼まれました。心身のケアは養護教諭の仕事でもありますが、この義弟は昔から泣きついてこないので、無理やりしょっ引いて、強制的に泣き言を言わせたところです。以上」

有理が言い切ったところで、けたたましい足音とともに、校長室のドアが開いた。

「天駆!?」

十玖と有理の異口同音。

お互いに顔を見合わせて、首を振る。その疑問はすぐに晴れた。

「天駆兄ちゃん早っ!」
「苑子が早くしろって言ったんだろ。で、どういう事?」

有無を言わせなかった苑子の呼び出しに、自宅からバイクですっ飛んできた天駆である。

予想してなかった大人数に今頃気づいて、一瞬たじろいだ。

「相変わらず賑やかだね、三嶋会長」

苦々しい笑みを浮かべる校長と教頭に、へらっと笑う天駆。

「ご無沙汰してます。校長先生、教頭先生。お変りないようで…と思ったら、教頭また少し薄くなりましたね」

悪びれもなく言い切った天駆に、怒りを堪える教頭。

打ち震える拳を手のひらに隠し、平静を装いながら嫌味を吐く。

「なんで君が生徒会長だったのか、今でも不思議だよ」
「人気者だったからに決まってるじゃないですか。分かりきったことを。で、何で呼び出されたんでしょうかねぇ?」

ぐるりと見渡し、呼び出した張本人で視線を止めた。

苑子はさっき聞いたままを天駆に伝えると、天駆は咽(むせ)るほど爆笑した。

「あー腹いてぇ。有理とそんな噂たったんか?」

目尻の涙を掌で拭う天駆を睨みつけ、

「天駆も有理も最悪」
「変に隠すからだろ。いっそ美人な姉さんを自慢しときゃ良かったのに」
「ヤだ。付け上がってやりたい放題になるじゃんか」
「どっちにしろバレたんだから、結果は一緒だな」

にこりと微笑む天駆に、苦虫を噛み潰したような顔をする。

有理との出会いは、中学一年の冬だった。

その年の夏、大学のオープンキャンパスで、天駆が三つ上の有理に一目惚れし、押せ押せで迫りまくって一度は玉砕したのだが、少林寺の道院と大学のサークルの練習試合で、選手として参加していた有理と、大人に混じって参加した十玖の応援にきた天駆が再会した。

大学生を相手に勝ち上がる十玖に興味を持った有理が、兄の天駆と仲良くなるのは、差して時間がかからなかった。

二人が共通の楽しみを見出したならば、尚更のことだ。

有理は二人姉妹で、弟という存在に憧れるが故に愛情が暴走しがちで、そこが天駆と同調した。

二人はかなり傍迷惑な存在だった。

「十玖は俺たちのキューピッドなんで、ついつい有理も構いすぎるきらいはありますけど、あくまで弟なんで、そこんとこ宜しくお願いします」

さり気なく有理と肩を組んで、「この際、籍入れちゃう?」と軽口を利く天駆の額をぺしっと叩く。

「大学卒業したらね」
「え~~~」
「えーじゃない。お義母さんにシメられるわよ」
「それはイヤ」

真顔で言った天駆に、三嶋家の母を知る者は一様に吹き出した。

三嶋家の法である母は絶対だ。

振り返った天駆に、一同は愛想笑いを浮かべる。

「お前らヤロー全員、あの人にとっちゃ息子同様だからな」

女子は天国、男子は地獄。

天駆の有り難くもない忠告は、他人事じゃなくなる可能性大である。

特に晴日は。

「校長、二人にお咎めなしってことで、いいですよね?」
「そうですね。咎める理由もありませんし、戻って結構です」

天駆は十玖、有理の肩に腕を回し、後ろに控える晴日たちに「行くぞ」声を掛け、校長室を後にする。

校長室の外で状況を伺っていた生徒たちに、愛想よく笑う。

「鈴田先生は俺の奥さん予定で、十玖の姉さん予定だから、もう騒ぐなよぉ」

言われた傍からどよめいた。

特に男子が……だ。

校内一の美人教諭が、お手つき宣言されたわけだから、騒ぎたくもなる。

十玖は、天駆の腕を戻し、後ろから付いてくる美空たちの元に行く。

なんだかんだとイチャ付きながら、天駆たちはそのまま来客専用玄関へと向かった。

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