不器用な僕たちの恋愛事情

五月三週目の火曜日。

斉木晴日はベッドの上に胡座をかき、腕を組んで唸っていた。

見つからない。

四日前、たまたま耳にしたあの歌声の主を、夜な夜な捜し歩いている。

が、歌声はおろか、それらしき姿さえ見かけない。

「あの日だけだったんかなぁ……?」

だとしたら、見つけるのは絶望的だ。

声の張りからしてまだ若い。伸びの良いバリトンは、とても声通りが良かった。しかも上手い。きちんと発声訓練を受けている歌だった。

(スタンド・バイ・ミーだったよな、あれ)

どんな時でもそばにいて欲しい、そんな歌詞。

相手は恋人ではないけれど、今の晴日の心境に近い。

晴日はベッドに立て掛けていたアコースティックギターを爪弾き始めた。

スタンド・バイ・ミー。

(一体、どこのどいつだろう)

ちゃんと聴いてみたい。

発声訓練をしているくらいだから、バンドには興味がないかも知れない。もしかしたら、取り付く島もないほど無下にされるかも知れない。

しかし一縷の望み。

曲の間奏に入った頃、軽快なノック。程なくして扉が開き、妹の美空が顔を覗かせた。

「お兄ちゃん、ご飯だよ」

夕飯の支度が整ったことを妹は告げに来た。

「おうっ」

チラリと時計に視線を走らせる。十九時を少し回ったばかり。

晴日は手を止め、ギターをベッドの上に置き、立ち上がる。

「今日も捜しに行くの?」

少し心配げな面持ちで美空に問われた。

家族は全員知っている。

バンドの事となると聞く耳を持ち合わせていない長男を、言いくるめるのは無理と承知している両親は、インディーズデビューを期に何も言わなくなった。

特に母親は日米ハーフで、少女時代をアメリカで過ごし、大らかな両親の元で育ったためか、基本アバウトである。それを嫁にしている父親も大概アバウトだ。

「行く。もお藁にも縋りたい気分だもんよ」

「早く見つかるといいね」
「ほんとにな。今日は飯食ったら、公園辺りで張ってみるわ」

後ろ手に扉を閉めて、先に階段を下り始めた美空に続けざまに言う。

「涼、明後日手術だって。声聞けるの最後になるけど、明日一緒に行くか?」
「行く」

美空は、涼に可愛がられていた。

病気のことを知らせた時、二人で一晩泣き明かした。

「そうだ。お兄ちゃん。今日はあたしも付き合おうか? いつ現れるか分からないし、退屈でしょ?」
「妹と公園で過ごすって、可哀想な奴じゃん俺」
「付き合ってくれる彼女いないんだから仕方ないでしょ。あたしが嫌なら、竜ちゃん誘う?」
「竜助、今日いねぇもん」
「ああ、今日だっけ。如美(なおみ)お姉ちゃんの婚約者の家族と会食」

竜助と同様、二人の幼馴染で、竜介の六歳上の姉。

二人にとって実の姉にも近い存在だった。

「結婚しちゃったら、気軽に遊んでもらえなくなるなぁ」

美空は、心底残念そうに呟いた。

女同士の内緒話をしていたのを晴日は知っている。いくら兄妹仲が良くて、晴日が美空を猫可愛がりに可愛がっているとしても、男には話しづらい事もあるのだろう。

「なお姉は結婚したって変わらないよ。心配すんなって」

晴日の大きな手が、ポンポンと優しく妹の頭を叩く。

見上げた美空に歯を見せて笑った。

「……うん」
「どれ、飯だ飯っ」

リビングダイニングへの扉を開け、「腹減ったあ」と言いながら、晴日は自分の席に着く。それに続いて美空も席に着いた。




食べたものが、ようやくこなれ始めた二十一時過ぎ、十玖は日課のランニングに出た。

これから十キロほど走る。コースはその日の気分。

ウォークマンの再生ボタンを押すと、間もなくヘッドホンから音楽が流れ出す。

軽くストレッチをして、軽快に走りだした。

音楽に合わせて口ずさむ。

マイ・フェイバリットソング。ジャンル関係無しで、好きな曲だけ延々と流している。そのせいかノってくると熱唱してることも多々有り、母に騒音公害だと言われるので、極力気をつけてはいるが、音楽を聴かずに走ろうという気はさらさらない。

十玖にとってストレス発散法の一つだから。

走り出してかれこれ十分。

身長百八十六センチのストライドは大きく、十分でかなりの距離を稼ぐ。

一定の速度を保ちながら、淡々と走る十玖の歌が不意に止んだ。前方に人影を発見したからだ。

男女の二人連れ。

近付くに連れ、その一人が美空だと気がついた。

(……男連れ)

何となく面白くない。

十玖はムッとした面持ちでスピードを上げると、通り過ぎざまに晴日を睨みつけた。

美空は十玖の視線に気が付いたようで、あっという顔をしたが、十玖はそれに気付きもしなかった。

隣の男がムカついた。かと言って美空にそれを問い質す権利もなければ、軽く尋ねられるほど仲がいいわけでもない。

彼だろうか、と脳裏をかすめる。

美空に兄がいることは知っているが、会った事もなければ見かけたこともない十玖には知る由もない。

それから彼は悶々としたまま五十分弱を走り続けて、イライラを翌日まで持ち越すこととなるのだった。




美空は脇を走り抜けた十玖を振り返って、その姿を知らず追いかけていた。

「何だ、知ってる奴か?」
「あ〜。同じクラスの奴」
「ふーん」

特に気にかけた風でもなく、さくさくと晴日は公園に歩いて行ってしまう。

美空はもう一度振り返って、十玖の消えた方を見た。

いつもなら、美空を見るはずだった。何か言いたげに。

一度も視線が絡むことがなかった。

それが妙に腹立たしい、と気が付いて美空は大声を張り上げた。

「なっ、なんだ急にっ!?」
「……何でもない。ごめん。気にしないで」
「驚かすなよ」
「だからごめんて」

たった今の腹立ちを忘れたかのような笑顔で、兄の腕にしがみ付く。

目が合ったら合ったで腹が立つくせに、無視されたらそれも腹が立つ。

(…あたしって、何様よ!)

夜道だし、単に気がつかなかっただけかも知れない。

しかし彼は晴日を睨んでいなかったか? と思い至り、そろそろと兄を見上げる。

晴日は十玖の事を知らない。一方的に恨みを買っている可能性がないでもない。

(お兄ちゃんなら有り得る)

良くも悪くも目立つ兄は、よくケンカを売られる。バンド仲間にも暴れん坊将軍と仇名されるくらいだ。しかも四割くらいは美空が原因だったりする。

子供の時から、美空に近付いて来る男子を蹴散らしてくれるのは、父の洗脳の賜物だ。その目を掻い潜って出来た彼氏には酷い振られ方をしたが、結末が分かるだけに兄には教えていない。

(受験前だったしね)

兄を浪人させるわけにもいかなかったし。

晴日は、公園入口の車よけに腰掛ける。

「早く来ねぇかなぁ」
「もう行ってなければいいけどね」
「ヤなこと言うなよ」
「すぐ出るって言ってたくせに、テレビにハマってたのは誰よ」

公園入口から一番近いブランコに腰掛けた美空が、溜息混じりに言う。

「すいません。俺ですね」
「ほんと捜す気あるのかなぁ?」
「あるぞっ。兄ちゃん頑張って必ず見つけ出すから、安心しろ」
「はいはい」
「信用してないな」
「お兄ちゃんたまにザルだから」

肝心な事をスルーしている時があるのは、直情的な性格ゆえか。

バリバリとひよこ頭を掻きむしる晴日を眺め、美空はまた十玖の走り去った方向を見つめる。

この時二人はニアミスをしていたことに気づかず、二時間近く公園で遊ぶ羽目になった。


< 3 / 69 >

この作品をシェア

pagetop