不器用な僕たちの恋愛事情


 高校入学前の春休み、皆が忙しい時間を縫って、渡来家の別荘に集まった時の事だった。

 この頃の謙人は、周囲の人間にかなり反抗的になっていて、別荘にも嫌々連れて来られていた。

 家族同士の団欒にも加わらず、一人部屋に籠もっている謙人を佐保が呼びに来た。

「謙人! ちょっと謙人ってば! 別荘に来てまでする事なの?」

 佐保に背中を向けたまま、黙々とギターを弾いていた謙人に、段々と苛立ちが募ったようだった。

「こっち向いて。お互いの親には仲の良い振りくらい見せて。一応許婚同士なのよ?」

 謙人は振り返り、珍しく頬を紅潮させて怒る佐保を一瞥した。

 そしてまたギターを弾き始め、

「無理すんなよ。どうせ形だけなんだから。ぬか喜びさせるだけ酷ってもんだろ。佐保にとったら俺なんて、弟であって男じゃないんだし?」

 許婚と言われる度に息苦しくなる。

 なのにそれに抗えない自分もいて、腹が立ってくるのだ。

 あら、と言って佐保が隣に座り、顔を覗き込んで来た。

「結婚はするわよ。もちろん謙人とね」
「え…?」

 思わず聞き返してしまった。

「子供の頃から結婚する相手は謙人だと思っていたし、その気になってる年寄りを落胆させるのも可哀想じゃない? それに謙人の事は好きよ」

「だから!! それが無理してるって言ってるの」

 好きであればある程、“愛なんて必要ない”そう言われたようで、彼女が憎くなった。

 それくらい彼女が好きなのに、気持ちが届いた感じがしたことはなく、いつしかそれを伝えることに疲れてしまった。

「弟として好きでも、男としては見てないだろ俺の事」

 佐保はモテる。

 通学路で待ち伏せして告白する者も多く、何人かと付き合ってみた話を、どういうつもりだか本人から聞いている。

「義理なんかで結婚決めるなよ。佐保の好きになった奴と恋愛して、そいつと結婚すればいい」

 佐保は「や~だぁ」とコロコロ笑う。

「恋愛と結婚は別物でしょお。渡来の家なら勝手知ったるだし、姑問題で苦労したくないもの私」

 自分との結婚は、何をしても許されるための免罪符なのか?

 そんなやるせなさが付きまとう。

「それってさ、別に俺じゃなくてもよくない? 兄さんだっていいじゃん。二十七でフリーだし、金持ってる」

 片やこの春やっと十六の子供だ。

 比べ物にならない。

「ダメよ。祐人ちゃんは跡取りだもの。私には荷が重いし、年も離れ過ぎて子供扱いしかしてくれないわ。それこそ妹としか見てないもの。謙人と結婚するのが一番自然じゃない?」

 悪びれなく言った佐保。

 ――――壊したい。

 謙人の気持ちを無視して、どこまでも傲慢な彼女を壊したい。

 手が付けられない破壊衝動。

 二度と自分の前に姿を見せたくなくなるくらい、ボロボロにしてしまいたかった。

 佐保の頭を鷲掴み、引き寄せ、唇を奪った。

「いやっ!!」

 佐保は謙人を突き放し、彼は冷ややかに笑った。

「何で逃げんだよ」
「い…いや」
「どうして? 可笑しなこと言うね。佐保は俺と結婚するんだろ?」

 佐保の顎を掴むと、小さな悲鳴が漏れた。

 謙人は喉の奥でクツクツ笑い、震える佐保に迫る。

「なに怯えてるの? まさか結婚の意味知らないとか言うわけ? ままごとの延長とか思ってないよね? それとも俺じゃ不服なの?」

「謙人…変よ。らしくない」
「俺らしいって何? 佐保のいう事に黙って従ってれば俺なの?」
「ち……がう。違う」

 佐保の両肩を掴み、押し倒した。

「じゃあ、何が佐保のいう俺なの? 佐保にとって都合のいい奴って事?」

 佐保に跨ってシャツのボタンを引き千切った。

 露わになった白い肌を指でなぞる。

 彼女は必死に逃げようとし、勢いで謙人の頬を叩いた。怯んだ隙に身を返し、這って逃げようとした彼女を謙人が取り押さえる。

 シャツを剥ぎ取り、背後から彼女の口を塞ぎ、抱き寄せた肩に口付けて薄く笑う。

「無神経なんだよ佐保は。俺がどんなに佐保を愛してるか知ってる?」

 佐保を組敷き、暴れる彼女の衣服を剥いでいく。

「他の男とデートしてんの見て、何も感じないと思ってた? こんな結婚、籍さえ入れりゃ、たとえ何人の男と寝ようが許されると思ってる? 俺は、少しも俺のコト愛してない女と結婚する気ないよ」

 必死に抵抗する佐保の腰を引き寄せ、無理やり捩じ込んだ。

 佐保の短い悲鳴と嗚咽。

 強引に捻じ込まれ、かなり痛かっただろう。抵抗することを諦め、身を委ねながら、脱がされた服を握り締め、今をやり過ごそうと震える背中。

 それでも何度も突かれれば、体を守るために嫌でも濡れてきて、女が濡れれば、男の感度も上がり、佐保の声が出なくなるまで執拗にいたぶり続けた。

 佐保の中で何度もイキながら、彼女を解放してやらなかった。

「お願………い。もう…やめ……て」

 ぐちゃぐちゃに混じり合って溢れ出した液体に混入された赤。

 佐保の内腿を伝って流れ落ちていく。

 無理やり抱いた謙人を罵倒するでもなく、散乱した服をかき集め、切ないほど静かに泣いていた。

 謙人はこの時初めて、愛情を持って佐保を抱きしめた。

「俺を愛してよ」

 こんな酷いことをしておいて、言える立場じゃないのを承知しながら、口走っていた。

「どうしたら愛してくれんの? 佐保の心をくれよ」

 彼女の肩に顔を伏せた。

 佐保は恐る恐る謙人の頭を抱き、頬を寄せる。

「…ごめんね……ここまで…追い詰めて」

 佐保は、ゆっくりとした口調で、心情を吐露した。




 子供の頃は無条件で、お互い「好き」と言えた。でも年を重ねる毎に、謙人が言ってくれる「好き」の言葉の意味を測り兼ねていた。

 祐人に甘えると、謙人の反応で安心する。お気に入りの玩具を取られた時のような幼い嫉妬でも、謙人が自分に愛情を示してくれた。

 けれどそんな手がいつまでも通用するわけない。

 高学年になると、謙人に一線を引かれ始め、どんどん心が離れていくようだった。

 ヤキモチを妬かせようと、好きでもない人とデートしたが、謙人の反応は冷ややかなもので、状況は悪化するばかり。

 なのに変なプライドが邪魔をして、素直に好きと言えなくて、憎まれ口ばかり利いてしまう自分に嫌気がさした。

 本当は今日だってケンカするつもりはなかったのだ。

 関係を修復するつもりで別荘に来たのに、謙人を逆撫でばかりしてしまった。

 どこまでも冷たい謙人。

 たとえ謙人にその気がなくても、未来の妻は自分だと誇示したかった。

 そうまでしても謙人を手に入れたかった。

 けれど謙人は佐保の思惑通りに受け取ってくれず、嫌がらせのように乱暴に抱いた。

 謙人と結ばれることを望まなかったわけじゃないけど、思い描いていたものとはあまりに違い過ぎて、謙人を受け入れるのが嫌だったのだ。

「初めてだったのに…酷い」

 それを言われると返す言葉がない。

 思い出してぽろぽろ泣く佐保を抱きしめた。

「少しは俺の事、好き?」
「大好き」

 そう言った佐保は、その二か月後、何も言わず突然謙人の前から姿を消した。



 ようやく気持ちが通じ合ったと思っていたのに、何も言わず連絡先も教えず、黙って留学した佐保を恨んだ。しかもどちらの身内も示し合わせて教えてくれない状況に、苛立たしさが増すばかりだった。

 好きと言った言葉も、その場凌ぎだったのかも知れない。

 おおよそ愛とは言い難い行為だった。謙人を恨んでいてもおかしくない。

 佐保がいなくなって、一か月が経とうとしていた。

 応接間の前を通り過ぎようとした時、ふと聞こえた話し声に謙人は足を止め、聞き耳を立てた。

 佐保の母親が来ているようだった。

 母親同士の会話。

 そんなものに興味がないので、立ち去ろうとしたが、気になるフレーズが耳に飛び込んだ。

「謙人のせいで、佐保ちゃんには本当に申し訳ないことを…。その後、変わりない?」
「ええ。やっと気持ちも落ち着いたみたいで、私も帰国出来ました」

 謙人は眉を寄せた。

(俺のせいで、何だって…?)

 佐保に何かあったことは察しがついた。

(気持ちも落ち着いたって…?)

 そっと扉に近付き、耳を澄ませる。

「今度の事で、後々佐保ちゃんが苦しまないでくれると良いのだけれど」
「ええ。でも仕方なかった事ですもの。二人には早過ぎますから」
「謙人の不始末を佐保ちゃんだけに押し付けて、本当に良かったのかしら?」
「佐保が望んだことですから」

 思い当たらないわけじゃない。

 ただ“不始末を佐保に押し付けた”と母親に言われた理由を、知るべきだと思った。

 立ち聞きしていた無礼も忘れ、謙人は荒々しく扉を開けた。

「今の話、どういう事? 俺の不始末って?」

 母親たちは言葉を濁す。

 とぼけようとする母親たちの間にあるテーブルをひっくり返した。

 二人の悲鳴。

 手あたり次第に暴れる謙人に手を焼いて、ついに母親が白状した。

 佐保に口止めされていた事を。

 佐保は、謙人の子供を中絶し、謙人に隠し通すつもりでロンドンに留学した。心の整理も必要だったのだろうと母は言った。

 避妊もせずに激昂するまま乱暴に犯した結果が、佐保の妊娠と聞いて頭の中が真っ白になった。その後、すーっと冷たいものが心に落ちてきた。

 こんな男の顔なんて見たくないだろうし、子供なんて以ての外だ。

 逃げたくなるのは当然か。

 自分の事なのに、蚊帳の外に放り出された。

 勝手に始末されてしまった子供。

 一言の相談もなく、葬られてしまった。

 聞いたところで、謙人も未成年だ。どうする事も出来なかったかもしれないが、これは違うだろうと思う。

 この人たちは本気で全てを隠すつもりでいたのか?

 佐保は自分勝手だ。

 知った時、謙人がどんな思いをするかなんて、これっぽっちも考えていない。

 いや。考えたからこそ、この仕打ちなのか。

 佐保にとって憎い相手であっても、頼れる相手ではなかった。それだけだ。

 その日から、謙人は部屋に引きこもるようになった。


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