不器用な僕たちの恋愛事情





 六月二週目の土曜日。

 快晴の天気と反して、十玖の気持ちは曇天だった。

 二階から降りてきた時ちょうどドアチャイムが鳴り、対応に出たところで、いきなり首に飛びついたものが、ブラブラとぶら下がる状況が発生した。

 そこにまた気分をダークにさせる晴日がやって来たのだ。

「なんだ、その子ザルは」

 首にぶら下がってる“子ザル”をしげしげと眺める晴日。

 答えようとした十玖の言葉を遮って、“子ザル”は嬉々とした声を発した。

「とーくちゃんとーくちゃん。萌ね、今度近くに引っ越してくるよ~っ! パパが転勤になったんだぁ。ねえ嬉しい?」

 ぎゅうっと首根っこにしがみついてくる“子ザル”は、小さな体で喜びを表現しているが、十玖はげんなりしていた。

「萌。離れて」

 絡ませる腕を解こうとした十玖に対して、今度は十玖の胴を足で挟み込み、必死の抵抗を見せた。

「やだっ」
「萌ひとりなの?」
「今来るよ。萌は走って来たから」

 十玖の肩に額を擦り付ける様は、喉を鳴らして擦り寄る猫のようだ。

 ほどなく門扉が開かれ、“子ザル”萌の両親が到着した。

「あら十玖のお出迎え? また飛びついたの萌。中三にもなって、恥ずかしい子ね」
「萌の愛情表現だも。これがないととーくちゃんも寂しいでしょ」
「バカ言ってないで降りなさい。伯父さんたちに挨拶が先でしょ。十玖、兄さん達は奥?」
「リビングにいると思います」
「そう。ありがと」

 ほれ、と萌の尻を叩く叔母は、さくさく家の中に入って行き、叔父は萌を引き剥がして、連れて行った。

 しばし言葉を失っしていた晴日が、ボソリと言う。

「小学生かと思った」

 話の流れで、十玖の従兄妹なのは察したが、中学生と言うにはあまりに幼い言動と、小柄さだ。おそらく百五十センチないだろう。十玖とは四十センチ前後の差がある。

 十玖は溜息をつき、不快を隠しもせずに言う。

「断った筈ですけど」
「そうだったか?」
「話はないんで、帰って下さい」
「そう言うなって。ささやかな朗報持って来たんだからさ」
「朗報?」
「美空がさ」

 晴日の話の途中で、ドンと背中に体当りされ、十玖の身体がわずかに傾いだ。

 萌がもう戻って来て、背後から抱きついている。

「美空って誰? ねえねえねえ」
「萌、邪魔」
「ねえ誰なの?」
「萌に関係ないよ。先輩、家じゃ話にならないんで、出ませんか?」
「そうだな」

晴日が背後に張り付く萌の頭をぽんぽんすると、萌が目を吊り上げて威嚇する。

 よくよく見ると十玖に似てる。彼よりも幼くして少しキツめの面立ちと、ストレートのセミロング。十玖よりは少し茶色い髪。

 大人しく座らせていれば、美少女だ。

「てんくーっ! これ引き取って」

 奥に声をかけると、間もなくして兄の天駆がやって来た。

 嫌がる萌をいとも簡単に引き剥がして、ひょいと肩に担ぐ天駆に、晴日が会釈する。

「ちょっと出かけるから。叔母さんたちに宜しく言っておいて」
「了~解」

 天駆の肩の上で、捕獲した相手を罵倒する萌を見やり、これから散々な目に遭うであろう兄に合掌礼する。

 二人はまた萌が舞い戻ってくる前に、近所の公園へ移動した。

「で、話というのは?」

 十玖が口火を切る。

「やっぱ諦めたくないなぁと思ってさ」
「断ったじゃないですか」
「うん。だからさ、少しでも気が変わるように、いろいろ考えてるわけさ」
「無駄だと思わないんですか?」
「全然」

 晴日は微笑んで十玖を覗き込み、軽く伸びをしてから、ジャングルジムを登り始めた。てっぺんから十玖を見下ろし、登って来いと合図する。

 ジャングルジムのてっぺんにただ登るのは、何年ぶりだろうか。

 十玖は隣に腰掛けた。

 閑散とした公園。遊んでいる子供は僅かだ。それをぼうっと眺める。

「たまにはよかろう」
「そうですね」
「俺、結構好きでね、この間も美空付き合わせて登ったばっか」
「……彼女も登るんですね。こう言うのしないかと思いました」
「今でこそ澄ましてるけど、あいつ木登りも上手いよ。塀の上平気で歩くし。ガキの頃から男連中に混ざって遊んでたから、あっちこち傷あるし」

「意外ですね」
「幻滅したか?」
「何故です? 彼女であることに変わりないですよね? 幻滅するほど、彼女を知らないし」

 二人は、シーソーを取り合ってケンカしてる子供たちをぼんやり眺めてる。

 晴日は、話があったのではないかと思い至り、十玖が口火を切った。

「さっきの、ささやかな朗報って何ですか?」

 ああ、と今更思い出したように、晴日が膝を叩いた。

「美空は別にお前を嫌っちゃないってよ。気まずくて嫌な態度取ってた事、気にしてたみたいだ。今更だけど、タオルありがとうってさ」

 振り返った晴日は、赤面してる十玖を目の当たりにして、吹き出した。

「愛い奴だのぉ」
「うるさいです」
「俺はそんなお前、嘘がなくて好きだけど」

 晴日の正直で純粋な気持ちだったのだが、十玖は自分の腕を抱いて後退った。その反応に慌てて反論する。

「だからソッチじゃないって」
「ほんとですか?」
「殴るぞ」

 拳を振り上げる晴日に、「冗談ですよ」と十玖が笑い、晴日もつられて笑う。

 ひとしきり笑って、晴日は改めて口を開く。

「やっぱダメか?」
「性分ではないので」
「俺はお前ならイケルと思ってるんだけど」
「買い被りですよ」
「そんな事ないって。いきなりハコでやれとは言わないよ。ストリートで試しに遣ってみないか? 別にウチの曲じゃなくてもいいし」

「僕がやったって、盛り下がるだけですよ」
「んなの遣らないで分かるか。自己評価が低いんだよ」

 パシっと背中を叩かれる。

「盛り上がるとか、そんなんどーでもいいから。十玖は歌好きだろ?」
「好きですけど」
「はい。決まり。明日、迎えに来るから」

 煮え切らない十玖に反論の余地を与えない。

「明日ですかっ!?」
「決定だから」
「逃げるなよ。男なら売られたケンカは買えよな」
「んな無茶苦茶な」
「無茶苦茶は俺の専売特許だ」

 ぐっ、とサムアップして満面の笑みをたたえた晴日。

 十玖に有無を言わせず巻き込んでいくあたり、本当に専売特許だと納得する。

 もう何も言うまい。

 明日、十玖の様を見て、本人に納得してもらうしかないだろう。でなければずっとイタチごっこだ。

「はぁ…。分かりました。明日、何時ですか?」
「そう来なくっちゃな」

 ジャングルジムから飛び降りて、晴日は十玖を振り返る。

「明日、めいっぱい楽しもうな」

 晴日は明日に思いを馳せて、心底楽しそうだが、十玖はどうにでもなれと捨鉢な気分だ。

 二人の温度差に、十玖は重いため息をついた。

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