不器用な僕たちの恋愛事情





 六月二週目の日曜日。

 昨夜、晴日からラインが届き、今日の十三時に迎えに来ると連絡があった。

 ストリートライヴをする前に、簡単な音合わせのため謙人の家に集合するようだ。

 軽く昼食を済ませ、時間まで自室で過ごそうと席を立とうとした十玖に、一人泊まった萌がストップをかけた。

「せっかく萌が泊まったのに、今日も出かけるなんて有り得ないし」

 母に、晴日と出かけることを昨夜のうちに話していたのを萌が聞いていて、今朝からすこぶる機嫌が悪い。

 萌が泊まったのは、ひとえにこの大好きな従兄といる為だったのだから、無視されて面白いはずがなかった。

「四年ぶりにこっちに帰ってきたのに、とーくちゃん全然構ってくれな~い。萌も連れて行ってよ」
「ダメ」

 今日のライヴのことは、家族の誰にも言ってない。

 続けるつもりはないから、変に面白がられても困る。とくに亜々宮(あーく)は、年が近いせいか十玖に対抗意識が強く、十玖の嫌がることをするのが、何よりの好物だ。

 そこに母 咲の助っ人が入る。

「萌ちゃん。これからずっとこっちにいるんだし、また機会があるから、今日は伯母さんと遊んでくれない?」

 息子ばかりで、家に花がないといつも嘆く咲は、やっぱり甥っ子ばかりの中で数少ない姪っ子の萌が可愛くて仕方がない。お陰で彼女が増長しているのだが、女の子至上主義のこの母にしてみれば、それが当然のことで、男は肩身が狭いばかりである。

 しかし今日ばかりは、母グッジョブだ。

 夢はとーくちゃんのお嫁さん、と言って憚らない萌は、咲の言うことに従順である。

 今のうちに退散しようと、ダイニングを出かけた十玖を萌の一言が追いかける。

「そう言えば、美空って誰?」

 思いもしなかった問いかけに、十玖が硬直する。そろそろと振り返った。

「昨日、黄色い人が言ってた」

 黄色い人というのは、もちろん晴日のことだ。

 ここで“好きな人”なんて言ったら、この上なく面倒くさいことになりそうで、考えただけでも恐ろしい。

「黄色い人の妹」
「その妹がなんなの?」
「同じクラスだから、連絡の伝達」

 嘘じゃない。美空からの伝言を受け取った。

 ふぅん、とやや訝しんでいるようだが、萌はそれ以上突っ込んでは来なかった。

 萌は、十玖が自分に嘘をつかない隠し事しないと、端から疑っていない。

 それはすごく助かる。

 咲と楽しそうに笑う萌を背中に、十玖は今度こそダイニングを出た。



 JR駅前広場。夕方の行き交う人並みを尻目に、晴日たちが着々と準備を進める。

 誰も気に止めない。よくある光景。

 ここで五曲だけ歌う。そのうち二曲だけA・Dの曲をやる。

 十玖の歌がどれだけ通用するのか、小手調べだ。どのくらい観衆の気を弾けるか、派手な出で立ちの彼らで、バレないように変装までしていた。

 A・Dだから足を止める、のではなく、十玖の歌だから足を止めてもらわないと、今回のストリートライヴの意味がない。

 十玖は武者震いした。

 晴日のリクエスト、“スタンド・バイ・ミー”の前奏が流れ始め、十玖は瞑目して深呼吸する。

 聴き覚えのある曲に、ふと足を止める人。そのまま行き過ぎようとする人の流れを目の端に留めながら、十玖は歌いだした。

歌は大好きだ。

 感情を表に出すのが苦手で、唯一それを表現する方法だった。

 二曲、三曲と歌うに連れ、人垣が大きくなっていく。

 そしていよいよA・Dの曲の前奏が流れ始めた。

 誰もが、上手いアマチュアがコピーしているくらいの感覚だったと思う。

 しかし彼らの本領発揮だ。

 小気味のいいビートにリズムを刻む人たち。このバンドの力量を見てやろうと注視する者たち。単純にA・Dのファンの者たち。

 シャウトから始まり、ハイスピードのリズム、マイク無しで響き渡る十玖の声。

 総毛立った。

 観衆だけでなく、そこにいる者すべての。

 晴日たちも正直ここまで期待していなかった。十玖の歌が上手いのは知っているし、下手に気負わせるつもりもなかった。ただライヴを楽しんでもらうだけで、最初から多くを求めてはいなかったのだ。

 バンドに有りがちの派手なパフォーマンスはないが、全身を震わす、十玖自身が歌であるかの様な一体感と声量に度肝を抜かした。

 引きずられる。

 ギターが、ベースが、ドラムが、十玖に引きずられて、走る、走る、暴れる。

 ギターが呻り、ベースが心臓を鷲掴む。ドラムが滾る。

 ヴォーカルとリズム隊のケンカだ。冷静でなんかいられない。

(バケモノかッ!?)

 メンバーたちが一様に感じた畏怖。

(何が性に合わないだ、ホザきやがって!)

 三人は心中で十玖を罵る。

 さっきまでは借りてきた猫のような優等生だったのに、シャウトして何かが弾け飛んだ様である。

 それを少し離れたところで見ている女性二人。一人は美空だが、もう一人はパンツスーツに髪をアップでまとめ上げたキャリア女子だ。

 植え込みの囲いの上に立った美空は頬を紅潮させ、ひたすらビデオを撮っていたが、キャリア女子は比較的冷静に見学していた。

 キャリア女子が、声を控えめに口を開く。

「昨夜いきなりハルに場所を押さえてくれって電話もらって、クソガキって思ったけど、イイの見つけたじゃない」
「あたしも驚いてます。お兄ちゃんの嗅覚ハンパないですよね」

 美空は振り返りもせず、キャリア女子、A・Dのマーネージャー筒井由希子に同意した。

 異常なほどの執着心の賜物だ。

 晴日がこれほど十玖に固執した理由が何となく分かった。ただ必死なプレイを見る限り、予想を超えていたようだ。

「あなたのお兄さんは、想定の範疇からいつもはみ出してるものね。はた迷惑なくらい」
「いつも兄が済みません」
「大人し過ぎる子より楽しいわ。次は何やらかしてくれるかワクワクする。たまにぶん殴りたくなるけど」

 これが筒井でなければ、投げ出されていたかも知れないこと数知れず、美空は乾いた笑いを漏らした。

 レンズ越しに十玖を見た。

 教室では有り得ない光景に目が離せなくなる。静かな印象しかない。誰がこんな十玖を想像しただろう。

 近くにいれば、いつもイライラする相手なのに、この時美空はもっと近づきたい、あの迸る感情に触れたいと思っていた。

 平時なら真っ向から否定する、有り得ない高揚感。

 曲は止まらないまま、次の曲へと変わった。

 メンバーも観衆もハイテンション。

 晴日のキャップが吹っ飛んだ。トレードマークのひよこ頭が顕になって、晴日の名が叫ばれる。ファンたちに応えるかのように、竜助と謙人も目深にかぶった帽子を脱ぎ捨てると、一層白熱していく。

 やがて曲は終盤に掛かり、晴日が十玖に耳打ちした。一瞬の間を置いて、十玖が頷く。

「ども。お久しぶりのA・Dシークレットライブにようこそ」

 つんざく様な歓声に晴日が手を振って応える。

「名残惜しいんだけど、次でラストなぁ。“Nobody Knows Me”」

 これまでと一変して、ギターが啼くようなバラード。

 十玖の切なげな声が、心を締めつけ震わせる。

 美空がこれまで見てきた十玖のようだと思った。

 深く心を探らせない線引きをしながら、心のどこかで壊してくれる何かを待っている。

 初めて十玖を知りたいと思った。

「夏休みには、ツアーに回れるかしら?」

 筒井の言葉で、急に現実に引き戻された。

「どうでしょ。今日のこれって、お試しみたいなものって言ってたから、三嶋がどう出るか分からないし」
「ちょっと。これでやらないなんて言ったら、あたし本気で暴れるわよ」
「あたしに言われても。朝な夕なと口説きまくってやっとお試しですよ? 三嶋、超頑固みたいだから。あのお兄ちゃんが泣き言言いましたもん」
「そりゃ強者だわね」

 筒井は苦々しい顔で十玖を眺めながら、A・Dの後方に見知った集団を見つける。

 事務所の撤収部隊だ。

「そろそろ引き上げるわよ。一足先にワゴンで待っていて」
「了解です」

 曲が終了するギリギリまで待って、ビデオのストップボタンを押す。

 美空は急いで荷物をまとめ、近くの車道にハザードを上げて停まっている黒塗りのワゴンに乗り込んだ。

 間もなく、揉みくちゃにされたメンバーがわらわらと乗り込んで、少し遅れて筒井が助手席に乗り込み、車は緩やかに走り出した。

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