咲くはずだった花
置いていかないで

第十一話 置いていかないで

年が明けて二ヶ月が過ぎた頃

病室の窓の外で、雪が降っていた

「うー…さんむっ…」

身体を縮めながら鼻を赤くした真緒が奈千の病室へと入る

「…今日は雪も降ってるし、一段と寒いな」

そう言いながら着てきたジャンバーを脱ぎ、奈千の布団を掛け直す

「さっき英治兄ちゃんに会ってきたんだけどさ〜

兄ちゃんのやつ、まーた今日も千尋さんの家でご飯食べるって言い出してさ!

俺は今週三日連続で楓さんとメシ!
…いや、嫌じゃないけどさ?
なーんか…寂しいっていうか?!」

出来るだけ明るく振る舞うように、真緒は笑う

「…」

いつになったら、目を開けてくれるだろうか

「…痛かった、よな」

パジャマで今は見えないが…

奈千の胸元には恐らく、痛々しい傷がまだ残っているだろう

「…大丈夫。大丈夫、だよな」

まるで自分に言い聞かせるように、真緒は奈千の額を撫でた


「…あったかい」


奈千は、普段と変わらずただ寝ているだけのように見えた

「外はあんなに寒かったのに…

俺の手、冷たくないか?」

そう、冗談交じりに真緒が奈千の頬に触れたー

その時だった



「ん…」



奈千の指先が微かに動き、顔を顰めた

「…っ、奈千!!」

突然の出来事に、真緒は椅子からおもむろに立ち上がる

背後でガタン!!と大きな音を立てて椅子が倒れたのにも目をくれずに


「……ま、お…?」


奈千が目を覚ますと…

今にも泣き出しそうな、真緒がいた




奈千が深い眠りについていた二ヶ月

奈千は、暗い世界をさ迷っていた

「…ここ、どこ……?」

光も何も無い、ただ暗いだけの世界で

奈千は白いワンピース姿で、ただただ歩いていた

「…」

ぺたぺたと歩く自分の足音すら聞こえない、暗い世界

「…いつまで続くんだろう、これ」

不安で胸の前で両手をギュッと握る奈千


そんな時

ふと脳裏に浮かんだのはー…



真緒の笑顔だった



「…」

あの人、結局あれからほとんど来なかった…

やっぱり、記憶が戻らない私が嫌になったのかな…

「ーあんたなんか、消えちゃえばいいのに」

「…っ、?!」

どこからか、そんな声がした

「……誰?」

キョロキョロと辺りを見回しても誰もいない

「…?」

再び歩みを進めると、また聞こえてくる

「あんたがいるからー…!」

「あんたのせいで、私は…!!」

「あんたなんか、あんたなんかー…!!!」

段々と大きくなる誰かの苦しそうな声

「や、やめ…」

「あんたなんか、いなくなっちゃえばいいの!!!!」

「やめて!!!!」

より強く聞こえたその声に

気づけば同じ…いや、それ以上の声で奈千は叫んでいた

「はぁ…はあっ…」

歩みを止め、その場で息を整える奈千

「わた…わた、し…は……」

私は、いらない子なの?

『もう一人でも充分だろう』

『何言ってるの?!あの子はまだあんなに小さいのにー…!』

『お前は過保護なんだよ!そんなんじゃ、また…!』

…何?

これは…誰の記憶?

奈千の中に、波のように次々と誰かの記憶が流れ込んでくる

『あら、……ちゃん!おかえりなさい!』

この人は…誰?

『こーらっ、…お!あんたはまーたこんな泥だらけにして!』

『仕方ねーだろ!な…の練習に付き合ってたんだからよ!』

男の子…?

見覚えのある、どこか懐かしい光景

『ったく…本当、…ちはトロいなぁ』

もしかして、これって……

奈千は目を見開き、

そして…

はっきりと聞こえた



『奈千、置いてくぞ!』


「…っ、……!!!!」

その瞬間

パリン…!と暗い世界が壊れ、辺り一面が真っ白になった

「…ちゃ、真緒…ちゃ…!!」

奈千の瞳から、大粒の涙が零れる

「真緒ちゃん…真緒、ちゃん…!!」

思い出した

全部、全部思い出した

「…っく…うっく…ひっ…く…」

真緒ちゃん

真緒ちゃん…

「ごめん…ごめん、ね…!」

私のせいでいっぱいいっぱい、辛い思いをさせてしまった

「ごめんね、真緒ちゃん…ごめん…!!」

記憶が無い間も、出来る限り側にいようとしてくれた真緒ちゃん

「真緒ちゃん…真緒ちゃん…!!」

早く、早く会いたい

会って、真緒ちゃんの温もりを感じたい…

「…真緒ちゃん。今から、戻るよ…!」

そう言うと…

奈千は、ゆっくりとその瞳を閉じた




「…奈千ちゃん!」

しばらくして、担当していた看護師と楓、歩乃華たちが慌ただしく入ってきた

「…自分のこと、分かるかい?
今ここがどこだか、分かる?」

楓が真緒を押しのけるように奈千に向かう

「……はい」

涙ながらに、奈千は一言頷くと


「……真緒、ちゃん」


「…!!」

「……ずっと、居てくれた、の…?」

真緒の方をじっと見つめ

更にしゃくりあげる奈千

「…お、ま……き、記憶…!!」

真緒の瞳も、涙でいっぱいだった

「……いっぱい、いっぱい…待たせて、ごめんね…真緒ちゃん…!」

「…っ、……!!」

真緒は

ただただ、奈千を強く抱きしめた


「「記憶が戻った?!!」」

英治と千尋は電話の向こうで鼻をすする楓からの吉報に、思わず声が大きくなった

「…楓、あんだけ冷静だったお前が泣くとか( 笑 )」

「…英治、あとでコ○ス」

ズッ、と鼻をすすり、不機嫌そうに答える楓

「あははっ…もう、英治ったら…」

英治も千尋も、目にうっすらと涙を浮かべて笑った



「…」

「…」

その夜

奈千は真緒と病室で二人

何を話すわけでもなく…ただただ窓の外を見つめていた

「…長かった?」

「…そう、だな」

奈千の柔らかい声に、また涙が溢れる

「…当分お見舞いに来てくれなかったけど…何してたの?」

奈千の言葉にドキッとする真緒

「…てた」

「…ん?」

「……」

真緒にも聞こえていないんじゃないかというくらい小さい真緒の声

「…笑わないって、約束するか」

「…笑わないよ」

奈千がそういうと

真緒は照れくさそうに髪をかきあげて。


「…俺、英治兄ちゃんや楓さんみたいに、医者になろうと思って

それで…期末テストが終わってからもずっと、楓さんたちに勉強見てもらってた」

「…!」

「…もう、何も出来ないのは…嫌だから」

「真緒ちゃん…」

嬉しさで視界がぼやける奈千

「…お前の転院の話があった時、側で支えてやれないのは嫌だって思った」

「うん」

「…だけど、今の俺じゃあ結局何も出来なくて」

「…うん」

「だから…兄ちゃんたちみたいに、俺にも出来ることを増やしたくてさ」

「う、ん…」

「…大丈夫。お前には、俺がずっとついてる」

「…っ、…っく……」

真緒は顔を手で覆いしゃくりあげる奈千の頭を優しく撫でた


…あぁ、なんて私は馬鹿な事を考えていたの

真緒ちゃんはこんなにも、私との未来を考えていてくれたのに

「…ひっく…まお…ちゃ…!」

言葉にならない感情が、奈千をひどく混乱させた

…それでも

「…ひっく…真緒ちゃん」

真緒だって、頑張ってくれたんだ

私も…言わなくちゃいけないことがある

「…聞いてほしいことがあるの」

真緒の手をゆっくりと自分の手に重ね、深く深呼吸をする

「…あのね」

三日月が薄い雲に見え隠れする夜

静かな病室で、二人はお互いの声に耳を済ませた
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