咲くはずだった花
裏切りの幕開け

第十話 裏切りの幕開け

「はぁっ…はぁっ…!」

十二月三十一日

寒空の下、早朝から真緒は全速力で住宅街を走り抜けていた

「はぁっ…は…ぁっ…!」

なんで…なんでなんだよ…!!

その面持ちは険しく…

どんなに叫んでも、収まらない怒りが真緒を支配していた


それは約一週間前の事だった

「奈千が…転院?」

平日の昼休み

教室にやって来た結花から真緒はそれを聞いた

「そうなの。
結局、まだ記憶も戻ってないし…大分スムーズに言葉も喋れるようになって、身体の状態も良くなってるからって…」

「そっ、か……」

テスト期間真っ只中の真緒は

ここ一週間ほど、奈千の元へ足を運べていなかった

「…ねぇ、真緒くん」

結花が申し訳なさそうにおずおずと切り出す

「私のクラス、明日のテスト数学があるの。…私すごい苦手で。

真緒くん、数学得意だったよね?
良かったら教えてくれないかな…」

縋るような瞳で真緒を見つめる

「んー…まあ、いいけど」

「ほんと!?」

結花の表情が一気に輝く

「それじゃあ放課後、図書室で!」

そう言い残し、結花は走り去った


「…」

何か、高校生っぽい…?


いつもは隣に、奈千が居たから

ほかの女子とああやって話す機会も少なかったし…

ましてや、一緒に勉強なんてしたことが無い

「…何か、新鮮」

照れくさそうに髪をかきあげ、自分の席に集まる田代たちの元へと戻った


「…あれ、どしたの真緒
なーんか嬉しそうな顔してんじゃん」

「なになに?何かあった?!」

「…別に?何も無いよ」

「え〜つまんねー!」

田代と南海がいつものようにはしゃぐ中心で、真緒は笑っていた



「…で、ここをこの式で解いて…」

放課後

真緒は約束通り、結花の勉強をみていた

「…あ、そうそう。そしたら次は…」

今日は職員会議があるらしく、図書室には真緒と結花の二人きり

「…うん、正解」

真緒の声と結花がシャーペンをはしらせる音だけが図書室に響いた

「…少し、休憩しようか。
続け過ぎても疲れるだろうし…」

「…だね」

「ん?」

ん〜と伸びをする真緒に小声で結花が呟く

「…んだね」

「…?」

俯く結花の声が聞こえず、結花の方に耳を近づける真緒

「…っ、!」

次の瞬間



「ー…!」



結花の唇が、真緒の唇に触れた


「……え?」

「…」

「…っ、!」

「……」

一瞬

何が起きたのか、分からなかった

「…ひ、楸?」

「…だった」

「…え?」

「…私ずっと、真緒くんの事が好きだった……!!」

「…っ、!!」

頬を赤らめた結花が

目に涙を溜めた結花が

気づけば真緒を、見上げていた

「…真緒くんが奈千しか見てなかったのは、近くにいた私もよく分かってる

でも…っ!!」

想いを振り払うように、真緒の胸に顔を埋める結花

「…お願い、私だけを…見て……!」

「…っ、……」

震えるか細い腕で

今にも消え入りそうな声で…

結花は、真緒から離れなかった


ザー……

「…」

天気予報は大幅に外れ、午後六時を指す夕方には大雨が降っていた

「…なんで……」

靴箱には、結花一人

「…なんで、なんで……」

唇をギュッと噛み締めて

傘も無い結花は

目の前で降りしきる雨を

恨むような目で見つめていた

「…なん…で……!」

涙の代わりに結花の中に生まれてきたのは、全く別の感情だった

「…っ、!!」

先ほどの出来事を、嫌でも思い出した


『…』

ぐい、と結花を無言で引き剥がす真緒

『真緒、くん……?』

どんな顔をしているのかと、真緒を見上げる結花

しかし…

現実は、上手くいかなかった

『…あんた、もしかして俺目当てに奈千に近付いたの』

『…っ、!!』

真緒の冷たい眼差しが、結花を射抜く

『…お前、何を企んでるんだ』

『ち、ちが…私は、ただ……!』

慌てて首を振り、真緒の袖を掴む

『私は本当に、あなたの事が…!』


パシン!!!!


『…!』

『…なら、何でそんなに動揺してんだよ』

真緒の声色は、今まで聞いたことのないほど低く…

結花は、動揺せずにはいられなかった

『…そ、そりゃぁ…動揺するよ!
いきなりそんな事、言われたら…』

振り払われた右手を庇うように左手を覆う結花

『…あんた、何か隠してない?』

『…っ、?!』

『…奈千の事で、まだ俺に言ってないこと…あるよな?』

『……』

真緒が自分から距離を取り、警戒し始めたのが分かる



…どうしよう

…どうしよう、どうしよう

…どうしよう、どうしよう、どうしよう……!!!!


このままじゃ、真緒くんに嫌われちゃう

折角、あの女から引き離せるチャンスだったのに…!

『…っあ…あのね、真緒くん!…』

落ち着こうと、一旦落ち着こうと真緒に笑顔を向ける結花

まずは、この状態を立て直さなきゃ

そう思い、何か別の話題を振ろうとする

しかし…

『…』

依然、真緒の表情が崩れることは無かった

『…もう外も暗いし、今日は帰る

あんたももう帰りな
…本当はもっと聞きたいことあるけど』

『…』

そう言うと

そのまま、真緒は無言で図書室を去っていった




「…本当、ありえない」

悲しみを通り越して、最早笑いすら出てくる

「…もう、いいよね?」

まるで全身の力が抜けたように、結花はその場に座り込む

「…もしもし?」

そして、制服のポケットからスマホを取り出して電話をかける

「…うん。それじゃあ、よろしく」

用件を済ませると、仰向けに倒れる

「…もう、どうでもいいや」

結花はそのまま目を閉じて…

時間が過ぎるのを、ただただ待った



そして、運命の十二月三十一日

真緒の元へ、一通の着信があった

『…っあ、真緒か!』

電話の相手は英治だった

「…何?これから楓さんに勉強みてもらおうとしてたんだけど…」

最近の真緒はある事のために、楓に勉強を教えてもらっていた

奈千のリハビリに支障をきたしてはならないと、テストが終わってからも、奈千の元へは行けていなかった真緒

…そろそろ、奈千の所へも行かなくちゃな

そう思いながら、準備をしていた

『…っ、それも大事だろうけど!!
今はそれどころじゃねんだよ!!』

珍しく、電話の向こうの英治は焦っていた

「?…何かあったの?」

不審に思った真緒は英治の声に耳をすませる

『奈千ちゃんが…!』

「…え、」



『ーー…』



気づけば

真緒は全速力で走っていた

「…っ、はあっ…はぁっ…!!」

久しぶりの全速力で、足がもつれそうだった

「…はぁっ…はぁ…っ!!」

頭では分かっているものの…

この状況を、素直に呑み込めなかった


「…!真緒!!」

病院に着いた真緒の元へ、エントランスで待っていた英治と楓が駆け寄ってくる

「…詳しい話は上でする。
取り敢えず、お前は落ち着いて俺たちに着いてきてくれ」

「…そういう英治が一番落ち着いて無いんだけど」

「…っ、うっせ!!
そりゃあ…お前だって落ち着いてらんねーだろ?!」

「…英治、深呼吸」

英治同様、真緒も冷や汗が止まらなかった

「…真緒、これで汗拭きな。風邪ひく」

「…あ、ありがとうございます」

楓は自分の持っていたタオルで真緒の頬を拭く

「…状況を説明すると。

奈千ちゃんの親友…だったはずの結花ちゃん?
あの子が今朝一番に、奈千ちゃんの面会に来たんだ」


そして…


「…彼女は自分のコートから、包丁を取り出して…

奈千ちゃんの胸を貫いたんだ」


ガシャン…!

「…っ、…!!」

吐き気が、止まらなかった

「っ、…真緒!」

エレベーターに乗っていた三人

空気が、張り詰めていた


真緒はその場に座り込み、必死に口元を抑える

「…っは…く…は…っ……!!」

「……大丈夫。大丈夫だ、真緒」

英治が千尋のように、真緒の背中を優しくさする

「…流石に、俺たちも見逃していた
まさかあの子が…あんな事をするなんて…」

楓の話によると

奈千の担当をしていた看護師がそれを最初に見つけたらしいが…

「き…っ…きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」

悲鳴をあげた看護師は、その場から動けなかったという

それもそうだろう

彼女の目の前に広がっていたのは…

ベッドの上で血まみれになった奈千と

それを無言で見つめる、立ち尽くした結花が居たのだから


「…っは、ち…は……」

「いい、真緒。
…無理に喋らなくても、いい」

英治が辛そうな顔で真緒を見つめる

「…ぐっ…っ…!!」

悔しかった

あの時、どうして結花を帰してしまったのだろう

暗くなるから?

そんなの、関係ない

関係、なかったのに…

「お…おれ、の…せいだ…!!」

俺があの時、結花からちゃんと聞き出して居れば…!!

結花の企みに、少しは気づいていたのに…

どうして、どうしてあの時気づけなかったんだ…!!

「…真緒」

楓が真緒の前に立つ

「…」

エレベーターのドアが開き、楓が扉を背にして立った

「…もう、自分を責めるな」

立て、と真緒を立たせる楓

「…現実を見たくなければ、見なくてもいい

だけど

それで後悔するなら、目を背けずに、ちゃんとその目で見ろ。真緒」

「…はい」

楓の言葉で、少しだけ我に返った真緒

英治に肩を借り、ふらふらと歩き出した


「…さて、それじゃあ事情を聞こうか

散々事情聴取された後だろうけどさ」

真緒は、病棟のカンファレンスルームに通された

「…!」

「…」

中には警察官が三人と、結花がいた

「山本先生!ちょっと…」

中に入ろうとすると、後ろから楓は誰かに呼ばれてその場を去ってしまった

「…行けるか、真緒」

「…うん」

英治に付き添われ、真緒は部屋へと入った


「…そうか」

一方、その頃の楓はというと

「えぇ、何とか。
だけど、まだ状態は危ないのに変わりはないの」

楓と同じ、オペ科の医者である深山歩乃華(ふかやま ほのか)が何台ものパソコンモニターを展開していた

「全く…女って怖いのね、つくづく思うわ」

「怖いって…先生も女じゃ」

「何か言いました?」

間入れず、座っていた歩乃華が楓を睨みあげる

「い、いや…」

おずおずと下がる楓

「…」

見かねた歩乃華はふう、と大きくため息をつく

「…冗談はさておき、あの子…結花ちゃん?
やってくれたわね…」

頭を抱えて手元の資料に目を落とす歩乃華

「…本当、馬鹿な子」

「…」

歩乃華は、遠い目で目の前のモニターをただぼうっと見ていた
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