咲くはずだった花
誰かの痛み

第四話 誰かの痛み

「…痛いよ…苦しいよぉ……」

…誰だ?

「痛い…痛いよぉ……」

誰かが、泣いてる……

これは、誰かの過去だろうか

幼い女の子が広い部屋の真ん中で、しゃがみこんで泣いていた

「私…何で生まれてきちゃったのかなぁ…」

…どうして、そんな事を言うの?

「私は…いらない子なのに…」

…そんな事ない

それが一体誰なのか、顔は思い出せない

だけど

生まれてきちゃいけない、いらない子なんていない

大丈夫だよ

そう声をかけたくて、思わず手を伸ばすがー

何故か自分の手は空を切り、その子に届かなかった

「…っ、」

見ているのも、とても辛かった

何とかしてあげたい

そう思ううちに、部屋に誰かが入ってくる

「…ビービー泣けば済むとでも思っているのか、全く……

だから女は嫌いなんだ…」

やって来たのは父親らしき男

「いい加減、泣き止まんか!この馬鹿女!!」

男は泣き止まない少女を、横から蹴り飛ばした

「ーっ、!!」

小さな少女の体は一瞬で遠くへと落ちる

「…っ、……」

助けてあげたいのに、

何故か、体が動かない

「…俺の仕事の邪魔をするな
お前の泣き声が部屋まで響いて集中出来ん」

気が済んだのか、男は部屋を出ていった

「…うっ…ひっく……」

少女は静かに、声を殺して泣いていた

「…ちゃ、まお、…ちゃ……」

微かに、名前を呼ばれた気がした

「ーーー!」

自分も少女に声をかけようとしたが…


「…、……っ」

やはり声は出ず、気付けば目の前には見慣れた天井が広がっていた

「……夢、か…」

微かに空いたカーテンの隙間から、外の光が差し込んでいた


「真緒!おはよう!」

学校へ着くと、同じクラスの田代(たしろ)と南海(みなみ)が声をかけてきた

「少しは、眠れたか?」

「昨日のお前、めちゃくちゃ顔色悪かったからさ…心配してたんだぜ?!」

「あぁ、何とか…」

二人は高校で出来た友達だが、とても仲がいい

昨日の真緒を見て、話を聞いて…

二人とも、真緒を気遣ってくれていたらしい

「…ありがとな」

真緒の笑顔はぎこちなかったものの…

二人は、少しほっとした表情を浮かべた


「…遅くなってわりーな、奈千」

学校が終わって、今日もお見舞いに来た真緒

あいも変わらず、奈千の両親はあれから一度も来ていない

「…しばらくは、楸もまだ入れる状態じゃないらしい

俺だけで、ごめんな」

少し容態は落ち着いたものの…

まだ、近親者以外の面会は許可されていなかった

「…奈千、寂しいかもしれないけど…俺、毎日来るからさ

俺だけは必ず、お前の側にずっと居るから」

奈千の額に手を触れる

「…あったかい、じゃん……」

真緒の視界がじわぁと滲む

「…俺も、寂しい、よ……!」

今まで我慢していた涙が一気に溢れ出す

「…っ、…ふっ……」

泣くつもりじゃなかった

笑顔で、ずっとそばに居るつもりだった

…奈千の前では、泣かないって決めてたのに

「…お前が見てなくて、助かったよ」

ニッと口角を上げ、笑ってみせる真緒

「…また明日も来る。じゃあな」

そう言って、真緒は病室を出た


「……」

真緒が去った後

物陰からそれを見ていた英治が奈千の病室へと入る

「……」

「……」

「………」

「………」

無言で奈千を見下ろす英治は、ゆっくりと側の椅子へと腰掛ける

「…困ったもんだな」

苦笑いをそっと浮かべ、手に持っていた一枚の資料に目を落とす


ー…日南奈千、十六歳

病名・脳内出血

現在、容態は回復してきているがいまだ意識は戻らず

最悪の場合、遷延性意識障害を合併するリスクが挙げられる…

「…みんな、お前待ってるんだ
このまま目を覚まさないとか、やめてくれよ?」

スヤスヤと、気持ちよさそうに寝ている…

そんな風にしか見えない、奈千

「…真緒を任せられるのは、お前だけなんだからな」

英治は静かに、病室を出た


真緒が病院を出る頃、外は日が沈みかけていた

「…綺麗だな」

うっすら赤い目を気にしながら、とぼとぼと家路につく真緒

「…っ、真緒くん!」

「……え?」

しばらく歩いた所で、聞き慣れない声にばっと振り向く真緒

「……夏目さん?」

振り向いた先にいたのは…

「…」

泣き腫らした顔で、奈千の母親である夏目がそこにいた


「…えっと、取り敢えず…どうぞ」

夏目が真緒を家にあげ、紅茶を差し出す

「あ、いえ…お構いなく」

どことなくぎこちないこの二人

それも無理もない

小さい時から、ほとんど顔を合わせたことが無く…

奈千はほとんど、真緒の家にいたので真緒にとって奈千は家族のようなものだった

「…俺を呼んだ、って事は…」

おずおずと、真緒が切り出す

「…奈千の事、なの」

やっぱり、そう来るか…

「…奈千の事、実際はどう思っているんですか?」

ずっと聞きたかったことを、今聞くべきなのかもしれない

「…奈千は、私にとって大切な娘よ」

大切な娘…

「それなら何故、あれから一度も面会に行かないんですか?」

「……え?」

何故か真緒の言葉に、夏目はきょとんとしている

「…え、って…いや、え?」

真緒も混乱し、整理が追いつかない

「いや面会って…あの子、面会謝絶じゃなかったの?」

…面会謝絶?

「いや、俺毎日あいつの所行ってますけど一度もそんな事言われたことは…

ただ、近親者以外はまだ面会出来ないってだけで、謝絶じゃないっすよ」

「…っ、?!」

真緒がそう告げると

ひどく、衝撃を受けたようだった

「…私、また嘘をつかれていたのね」

夏目は、悲しそうに目を伏せる

「…真緒くんは小さい時からずっと奈千の側に居てくれてたし…知ってもらっても、いいかな」

夏目は、ぽつりぽつりと話し始めた


まだ奈千が生まれる前…奈千が、夏目のお腹にいる頃の話

「…もうすぐ、この子と会えるわね」

夏目が愛しそうにお腹をさする

「…ふん、男じゃないならどうだっていい」

智之は変わらず新聞から視線をあげない

「もうっ!女の子だって、可愛いものよ?

…あなたが子供好きじゃないのは知ってるけれど、産まれたらまた変わるわ」

「…どうだか」

夫婦仲は悪くなかったものの…

どうやら智之は男の子が欲しかったらしく、この頃から機嫌はあまり良くない事が多かった


「おめでとうございます!元気な女の子ですよ!」

奈千が生まれた日

小さな彼女の存在が

小さなその手が

夏目の心を、これでもかというほどに満たしていった

「…初めまして、私の赤ちゃん」

横に並べられてその手が私に触れた時…

涙が出るほど、嬉しかった

…だけど

奈千が生まれてから、智之はほとんど家に帰らなくなった

「…ねぇ、ママ。パパはいつ帰ってくるの?」

幼い奈千が夏目の膝に頭を預ける

「…パパね、お仕事で忙しいみたい
そのうち落ち着いたら、帰ってきてくれるわ」

夏目も心のどこかで、智之が帰ってくることを待っていた

数年後

ようやく家に帰ってくるようになった智之

しかし、その頃から夏目の仕事も忙しくなり…

今度は夏目があまり家に帰れなくなっていた

そしてその頃から

奈千の表情が、明らかに暗くなっていくのを夏目は感じていた

「…奈千、パパと何かあった?」

夏目が聞いても、奈千は首を振るばかり

「…何かあったら、ママに言うのよ?」

そんな言葉を奈千にかけたくせに

まともに家に帰れなくなり、奈千が夏目に助けを求めることは無かった


「…面会謝絶だそうだ」

奈千が倒れた日

珍しく智之が先に病院についており、後からやって来た私はひどく衝撃を受けた

「面会謝絶?!
あの子は…奈千は、どうなっているの?!」

取り乱した私をなだめるように智之が言う

「取り敢えず、話を聞きに行こう」

先に着いていた智之はある程度の話を聞いていたらしく、夏目も楓から現状と今後の話を聞いたくらい

面会謝絶だなんて言葉は出てこなかったけど…

智之の言葉を鵜呑みにし、会いに行きたい奈千に会えないまま、その後を過ごしていたらしい


「…智之さん、何でそんなに奈千を嫌うんですか」

真緒は、怒りを隠せなかった

「ごめんなさい、真緒くん。

…でもお願い、あの人を責めないであげてほしいの」

「…どういう事っすか」

真緒の眼つきは明らかに鋭くなっている

「…智之さんね、実はバツイチなの

その時の奥さんとの間に女の子を妊娠していたらしいんだけど…流産、しちゃったらしくて。

女の子が“ひ弱”ってイメージが強くなっちゃって…男の子が欲しかったみたいなの」

「…奈千の事が嫌いなわけでは無いんですか」

真緒の言葉にこくこく、と頷く

「奈千…私が体が弱かったのが移ったのか、小さい時から体が弱くて。

だから、強い子になって欲しくて…わざと冷たい態度をとったりしたんじゃないかしら」

「…扱い方が分からなかった、って事ですか?」

「そういう事、になるわね」

そう言うと、夏目は小さく笑った

「…失うのが怖いのよ、あの人
誰だってそうかもしれないけど…一度経験すると、その重みがさらにくるんだと思う」

失う、痛み…

「だから昔から奈千が泣いてると、少し感情的になったりしたこともあったの」

あ…

夏目のそれを聞いて、真緒はある事と話が繋がった

…今朝見た夢の内容

あれはきっと、幼い頃の奈千

そして

どうしていいのか分からない

そんな表情をして奈千を蹴り飛ばしたあの男…

あれは、智之さんだったんだ

「…」

どうして真緒がその夢を見たのかは分からない

だけど

きっと、奈千が見せてくれた…

真緒には、全部知って欲しかったから


真緒には、そう思えた

「…すっかり遅くなっちゃってごめんなさいね」

一通り話し終え、真緒が靴を履いて出ようとする

「…あなたみたいな子が居てくれて良かった

ありがとう、真緒くん」

会った時よりも夏目は、少し晴れやかな表情をしていた

「…あの人とも、もう少しちゃんと話をしてみるわ

だって、奈千もあの人も、私の大事な“家族”なんだもの」

「…奈千も喜ぶと思います」

そう言って、真緒は家を出た


「…ふう」

家に帰ってお風呂から出た真緒

冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出し、自室へと戻る

「…あれ、電話入ってる」

スマホを見ると、見たことの無い番号からの着信履歴があった

「…まあ、用事があればまた連絡してくるだろ」

ベッドにどかっとダイブすると、枕に顔を埋める

「……」

…早く、目を覚まさないだろうか

「…伝えたい事がこんなにあるとか…
なんで今、気付くんだよ…思い出すんだよ…!!」

当たり前に隣でずっと笑っていた奈千

ちょこちょこと周りをうろついて、うっとおしいと思うこともあった

だけど

今思えばそれが、どれだけ幸せな毎日だったか

幼馴染みという関係だったが、それ以上に大切な存在だった奈千

「…大丈夫、…大丈夫…」

自分に大丈夫だと言い聞かせるうち、

いつの間にか眠ってしまった


「…あー、そういう事」

電気のついていない暗い室内

たくさんのモニターに囲まれ、机の上は山積みになった資料で溢れている

「しっかしこんなデータ…どこで手に入れてくるんだ、あのちゃっかり」

キィ…と椅子の背もたれに持たれ、大きくため息をつく白衣の青年

「…これは、なかなか面倒な事になりそうだ」

楓は椅子の背もたれに体を預け、天井を仰ぐ

「…彼に、この試練は耐えられるものか……」
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