揺蕩うもの
八 捜査・変化(二)
 昨日の失態、突然の直帰、どちらをとっても県警から捜査協力を受けている立場の人間にあるまじき行動であり、宮部はいつもより早く出勤すると、課長が出勤してくるのを事務作業をこなしながら待った。
「おはようございます」
 宮部の脇を通り過ぎる課長に声をかけると、課長の及川は何も答えず無言で返してきた。それは、定刻前に出勤し、率先して挨拶してくる宮部の姿に、課長の怒りを恐れての遁走出なかったことを確認したといった雰囲気だった。
 及川は席につき、仕事の準備を整えたのち、お茶を汲んで自席にもどると、始業開始時間を待って宮部を呼んだ。
「宮部」
 及川の声に、宮部は背筋を正して席を立つと、『はい』と返事をしながら及川のデスクの前に進んでいった。
「昨日は、自分の都合で大変失礼いたしました」
 及川が口を開く前に、宮部は昨日の直帰を謝罪した。
「それで、大事はなかったのか?」
 『誰に』とは問わないまでも、及川なりに真面目な宮部が電話一本で直帰の許可を求めたことに何らかの重大事が発生していたと理解してくれているようだった。
「はい、大事には至りませんでした。お心づかい、ありがとうございます」
 宮部は頭を下げたまま答えた。
「頭をあげろ。お前の頭のてっぺんを見ていてもしかたがない」
 生真面目な宮部に及川は言うと、一拍おくために湯呑に口をつけた。
「昨日、何があった」
 単刀直入な及川の問いに、宮部は何処からどこまでを話すべきか、改めて逡巡した。
「あちらさんは、怒髪天・・・・って怒り方だったぞ。お前のせいで、これまでの捜査が台無しになったってな」
 もし、同じことを県警にされたら、たぶん、宮部自身も激昂するであろうことをうかつにもやってしまったことは事実だった。
「これは、捜査資料にずっと目を通し、現場でいろいろと聞き込みをしてきた結果、自分の感といいますか・・・・・・」
「お前、当てにもならない感で県警の捜査を台無しにしたのか?」
 ギロリと及川の目が光り、宮部の事を見据えた。
「この件の糸を引いているのは父親だと、さらに、これは誘拐でも失踪でもないと、県警に捜査協力しながらの聞き込みで、更に、学校の先生への聞き込みからも確信的なものが持てたので、どうしても父親に確認したいことがあったんです」
 宮部はまっすぐに及川の目を見ながら続けた。
「ほう、最初は感で、今度は確信か・・・・・・。で、何を確認したかったんだ?」
「ディズニーリゾートという言葉に父親が動揺するかどうかです」
「はあ?」
 さすがに話の展開について行かれなくなった及川が素っ頓狂な声をあげた。
「この件にディズニーランドがどう関係してくるってんだ?」
「自分は、あの日、崇君を乗せた車が向かった先はディズニーリゾートで間違いないと確信しています。たぶん、近くのホテルに宿泊して滞在していたとも思っています」
「だから、なんで、ディズニーランドなんだ?」
「課長、ディズニーリゾートです。ランドか、シーかはわかりません」
「お前、正気か?」
 及川の瞳は宮部を心配するような目に変わっていた。
「じつは、学校の先生にも確認したのですが、事件の少し前、崇君の同級生がディズニーリゾートに家族で出かけて自慢話をしていたんです。それで、崇君もとても行きたがっていたと」
「それと、この件がどう関係するんだ?」
 及川は訳が分からないといった様子で頭を横に振った。
「先生の話では、崇君はお母さんが家に居れば友達とも遊ばず、まっすぐ家に帰る。入院すれば、毎日、病院に見舞いに行く。そんな子供が自分の意志で車に乗り込み、お母さんに連絡もしてこないとしたら、それは誘拐されたか、母親が自分の居場所を知っていると安心しているからです」
「だから、それで、なんでディズニーなんだよ」
 さすがに痺れを切らしてきたのか、及川が声を荒げた。
「思い出です」
「思い出?」
 おうむ返しに及川が問い返す。
「崇君は、お母さんとの思い出作りにディズニーリゾートに行きたかったんです。でも、お母さんの体はそんな遠出には耐えられないという事も気付いていました。だから、自分が行って、その話をお母さんに聞かせてあげることによって、一緒に行ったかのような思い出を作ることができる。だから、例えば、父親の友人と言う人が連れて行ってくれて、その事もお母さんが知っていると言われたら、何の疑問も持たずついていきます。そして、お父さんが迎えに来るまで、待っていろと言われたら、きっとそうするでしょう。それから、不自然なほどに拘束されれば怪しむかもしれませんが、欲しいものを買ってもらえて、自由にさせてもらえれば、子供だったら信じます。お母さんは病院にいると言われれば、家に電話をかけることもない。だから、父親が反応するか見たかったんです。もし、反応したなら、ディズニーリゾートのエントランスの録画テープを見せてもらい、崇君がいれば、裏付けが取れると思ったんです」
 一気に宮部が説明すると、及川は困ったように頭を掻いた。
「お前、それ、お前の感だよな? 裏付けのない」
「でも、あの狼狽ぶりは間違いありません」
「わかってるよな、証拠がなきゃ令状はとれない。ビデオも見れない。つまり手詰まりだ」
 及川の言葉に、宮部は『紗綾樺さんの協力があればすぐに白黒つけることができるのに』と思ったが、言葉には出さなかった。
「しかも、お前に気付かれたと、父親を警戒させてしまった。それこそ、崇君の身を危険に晒したことになるんだぞ。わかってるのか?」
「犯人は、絶対に崇君を傷つけたりすることはありません!」
「バカ! この世界に絶対はない!」
 及川の声がフロアーに響き渡った。
「お前、有給が溜まってたな。すこし休め。冷静なお前に戻るまで、頭を冷やせ」
「課長!」
「お前も刑事なら、感になんか頼らないで、地道に証拠を集めろ。いいな。話は終わりだ」
 それだけ言うと、及川は書類を取り出し、宮部の方を見ようともしなかった。
「失礼致します」
 宮部は一礼すると、仕方なく自席に戻った。

(・・・・・・・・紗綾樺さんの能力の事を話して信じてもらえるなら、一足飛びに事件は解決できる。もしかしたら、ディズニーリゾートに行くだけで、録画テープなんて見る必要もなく、崇君の事を見つける手がかりをつかんで、どこにいるかだって見つけてくれるかもしれない。でも、そんなことはできない。紗綾樺さんの身の安全のために・・・・・・・・)

 宮部はぎゅっとこぶしを握ると、一度深呼吸してから荷物をまとめた。『休暇を取れ』という事は、つまり謹慎していろという事だ。ただ、正式な懲罰ではないから有給消化と言う形で、数日自宅でおとなしくしていれば、すぐに仕事に復帰させてもらえるという事だ。
 いくつか手掛けている事件はあるが、強行犯係には優秀な先輩が揃っているから、宮部が数日抜けたくらいでどうこうなるようなこともない。
「タイミング悪いよ、部長は春の異動で本店狙ってるんだから、県警と揉め事起こすと課長の人事考査にもかかわってきちゃうんだよ」
 スッと椅子を寄せ、背中合わせで先輩が囁くのが聞こえた。

(・・・・・・・・結局、なんだかんだいったって、僕もいついなくなっても困らない組織の部品の一つなんだよな・・・・・・・・)

 日頃は感じたことのない組織の壁、官僚主義、そういったものをヒシヒシと感じながら、宮部は帰り支度を整え、引き継ぐ必要のある書類を手早く先輩方に手渡した。
「最近、頑張りすぎだから、恋人とデートでもして、リフレッシュして来いよ」
「めったに取れない休暇なんだから、ありがたく使えよ!」
「恋人だけやなく、お母さんにも孝行な」
 相変わらず、三人組の先輩達は軽口を叩きながら宮部を送り出してくれた。
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