揺蕩うもの
「降りますよ」
宮部さんは何もなかったように言うと、私の手を引いて立ち上がらせ、ホームに向けて大きく開いた乗車口をくぐりホームへと降り立たせた。
「すいません。あんな電車の中で、あんなこと言っちゃって・・・・・・。恥ずかしかったですよね。本当に、すいません」
謝るべきなのは私なのに、宮部さんは何度も私に謝ってくれた。
「でも、本当ですよ。紗綾樺さんが僕に釣り合わないんじゃなくて、僕が紗綾樺さんに釣り合ってないんです」
宮部さんの考えは、たぶん、世間一般的な女性の見解とは違っているようだ。
「じゃあ、行きましょうか」
少しくつろいだ表情に変わった宮部さんは言うと、電車を降りるときに手をつないだことを忘れているのか、私の手を握ったままホームを進み、階段を降りて改札口へと向かった。
お兄ちゃん以外の誰とも、こんなに長い時間肌を触れ合わせていたことはない。偶然、手と手がぶつかったくらいでも、流れ込んでくる思考や雑念に悩まされる私は、握手を求められても、手を引っ込めるのが常だ。それなのに、お兄ちゃんと同じ心の金庫を持つ彼とだったら、こうして手を繋いでいても・・・・・・。
そこまで考えた私は、ふと昨日の事を思い出した。
しっかりと私を抱きしめた彼の事を・・・・・・。
ずっと私の傍にいてくれると、友達でいてくれると約束してくれたことを・・・・・・。
不快ではなかったので、私は彼の手を振り払わなかった。しかし、改札を通ろうとした彼は、私と手をつないだままであることに気付いて慌てふためいた。
「す、すいません。手を握ったままで。・・・・・・不快な思いをさせてしまって、本当に申し訳ないです」
当然、私の心が読めない彼は、私の事を慮って謝りつづる。
「大丈夫ですよ。宮部さんなら。だって、昨日は私の事、抱きしめてくれたじゃないですか」
私が言うと、宮部さんは真っ赤な顔をして『すいません』と、さらに深く頭を下げて謝った。
どうも、私には彼の考えていることを理解できないようだ。
全然、不快でも嫌でもなかったのに・・・・・・。
「謝らないでください。別に、なにも悪い事なんてしてないじゃないですか」
「い、いや、でも。やっぱり、恋人以外の男性に抱きしめられたり、手を繋がれたりしたら、やっぱり、不快と言うか、不愉快ですよね・・・・・・」
宮部さんは、少し困ったような表情を浮かべて言った。
「でも、宮部さんと私は、結婚を前提にお付き合いしている事にしたんですよ」
彼の気持ちを楽にしようと言った一言が、逆に彼を苦しめてしまったようだ。
「それは、あくまでも、宗嗣さんに僕と紗綾樺さんが会うのを許してもらうための口実ですから・・・・・・」
酷く言いにくそうに、彼は答えた。
そうだ。私ったら、どうかしてる。
私みたいな、普通じゃない生き物の傍にいてくれる人なんて、お兄ちゃん以外にはいないってことを忘れてた。
不思議なことに、彼と一緒にいると落ち着くから、お兄ちゃんと一緒の時のように安心できるから、彼がずっと私の傍にいてくれると言ったから、なんとなくお兄ちゃんを安心させるためについた嘘が、いつか現実になるような気がしていた。
一気に押し寄せる寂しさと心細さに、私は彼が何を言っているのか聞き取ることができなかった。
そうだ、彼が私と一緒にいるのは捜査のためだ。
お友達になってくれると約束したからって、彼には私の他にも沢山の友達がいる。
宮部さんが本当に望んでいるのは、私が崇君の居場所を見つけること。
「紗綾樺さん?」
宮部さんの呼ぶ声が聞こえたが、それは私の耳がとらえた音の一部に過ぎず、油断した瞬間になだれ込んで来た数えきれないほど沢山の記憶と思考と感情の渦が私の中を吹き荒れる。
目を閉じて集中すると、私はその中に崇君に関わるものがないかを必死に探した。
ぐらりと体が揺れ、立っているのが辛いと感じた瞬間、誰かが私の両腕を掴んで体を支えてくれるのを感じた。
『ほんとうに、どっちでもいいの? じゃあ、僕、シーがいい!』
見つけた。
間違いない。これは、崇君の言葉だ。
ゆっくりと目を開けると、心配そうに見つめる宮部さんの顔がとても近くにあった。
そうだ、きっと相手が私でなくても、この人は具合が悪そうな人を見かけたら、優しく接するんだ。
「紗綾樺さん、大丈夫ですか?」
力に集中してしまったせいで、体は力が抜けたようになって彼の腕に支えられている。
「すいません。ちょっと、人が多くて立ち眩みがしてしまいました」
「具合が悪いんじゃないですか? べつに、デートなんていつでもできるんですよ。具合が悪いなら、このまま帰ってもいいんですよ」
心配そうな瞳に見つめられながら、私は頭を横に振った。
「もう大丈夫です」
おまけに、少しだけ微笑んで見せた。
「ここからモノレールに乗るんですけど、シーとランド、どっちにしますか?」
宮部さんの問いに、私は『シーにします』と即答した。
こんな遠くまで連れて来てもらって、捜査の役に立たないディズニーランドに行ったら、宮部さんに迷惑をかけるだけだ。
今の私の中には、家を出るときの浮かれた気持ちも、初めてのデートという楽しい気持ちも残っていなかった。
「じゃあ、切符を買ってくる間、ここで待っていてください」
宮部さんはモノレールの改札口近くで待っているように言うと、一人で切符を買いに自動券売機の方へと戻っていった。
これでいい。きっと、中に入れば、もっと沢山の手掛かりが見つかって、崇君にたどり着くことができるはずだ。手遅れになる前に。
☆☆☆
宮部さんは何もなかったように言うと、私の手を引いて立ち上がらせ、ホームに向けて大きく開いた乗車口をくぐりホームへと降り立たせた。
「すいません。あんな電車の中で、あんなこと言っちゃって・・・・・・。恥ずかしかったですよね。本当に、すいません」
謝るべきなのは私なのに、宮部さんは何度も私に謝ってくれた。
「でも、本当ですよ。紗綾樺さんが僕に釣り合わないんじゃなくて、僕が紗綾樺さんに釣り合ってないんです」
宮部さんの考えは、たぶん、世間一般的な女性の見解とは違っているようだ。
「じゃあ、行きましょうか」
少しくつろいだ表情に変わった宮部さんは言うと、電車を降りるときに手をつないだことを忘れているのか、私の手を握ったままホームを進み、階段を降りて改札口へと向かった。
お兄ちゃん以外の誰とも、こんなに長い時間肌を触れ合わせていたことはない。偶然、手と手がぶつかったくらいでも、流れ込んでくる思考や雑念に悩まされる私は、握手を求められても、手を引っ込めるのが常だ。それなのに、お兄ちゃんと同じ心の金庫を持つ彼とだったら、こうして手を繋いでいても・・・・・・。
そこまで考えた私は、ふと昨日の事を思い出した。
しっかりと私を抱きしめた彼の事を・・・・・・。
ずっと私の傍にいてくれると、友達でいてくれると約束してくれたことを・・・・・・。
不快ではなかったので、私は彼の手を振り払わなかった。しかし、改札を通ろうとした彼は、私と手をつないだままであることに気付いて慌てふためいた。
「す、すいません。手を握ったままで。・・・・・・不快な思いをさせてしまって、本当に申し訳ないです」
当然、私の心が読めない彼は、私の事を慮って謝りつづる。
「大丈夫ですよ。宮部さんなら。だって、昨日は私の事、抱きしめてくれたじゃないですか」
私が言うと、宮部さんは真っ赤な顔をして『すいません』と、さらに深く頭を下げて謝った。
どうも、私には彼の考えていることを理解できないようだ。
全然、不快でも嫌でもなかったのに・・・・・・。
「謝らないでください。別に、なにも悪い事なんてしてないじゃないですか」
「い、いや、でも。やっぱり、恋人以外の男性に抱きしめられたり、手を繋がれたりしたら、やっぱり、不快と言うか、不愉快ですよね・・・・・・」
宮部さんは、少し困ったような表情を浮かべて言った。
「でも、宮部さんと私は、結婚を前提にお付き合いしている事にしたんですよ」
彼の気持ちを楽にしようと言った一言が、逆に彼を苦しめてしまったようだ。
「それは、あくまでも、宗嗣さんに僕と紗綾樺さんが会うのを許してもらうための口実ですから・・・・・・」
酷く言いにくそうに、彼は答えた。
そうだ。私ったら、どうかしてる。
私みたいな、普通じゃない生き物の傍にいてくれる人なんて、お兄ちゃん以外にはいないってことを忘れてた。
不思議なことに、彼と一緒にいると落ち着くから、お兄ちゃんと一緒の時のように安心できるから、彼がずっと私の傍にいてくれると言ったから、なんとなくお兄ちゃんを安心させるためについた嘘が、いつか現実になるような気がしていた。
一気に押し寄せる寂しさと心細さに、私は彼が何を言っているのか聞き取ることができなかった。
そうだ、彼が私と一緒にいるのは捜査のためだ。
お友達になってくれると約束したからって、彼には私の他にも沢山の友達がいる。
宮部さんが本当に望んでいるのは、私が崇君の居場所を見つけること。
「紗綾樺さん?」
宮部さんの呼ぶ声が聞こえたが、それは私の耳がとらえた音の一部に過ぎず、油断した瞬間になだれ込んで来た数えきれないほど沢山の記憶と思考と感情の渦が私の中を吹き荒れる。
目を閉じて集中すると、私はその中に崇君に関わるものがないかを必死に探した。
ぐらりと体が揺れ、立っているのが辛いと感じた瞬間、誰かが私の両腕を掴んで体を支えてくれるのを感じた。
『ほんとうに、どっちでもいいの? じゃあ、僕、シーがいい!』
見つけた。
間違いない。これは、崇君の言葉だ。
ゆっくりと目を開けると、心配そうに見つめる宮部さんの顔がとても近くにあった。
そうだ、きっと相手が私でなくても、この人は具合が悪そうな人を見かけたら、優しく接するんだ。
「紗綾樺さん、大丈夫ですか?」
力に集中してしまったせいで、体は力が抜けたようになって彼の腕に支えられている。
「すいません。ちょっと、人が多くて立ち眩みがしてしまいました」
「具合が悪いんじゃないですか? べつに、デートなんていつでもできるんですよ。具合が悪いなら、このまま帰ってもいいんですよ」
心配そうな瞳に見つめられながら、私は頭を横に振った。
「もう大丈夫です」
おまけに、少しだけ微笑んで見せた。
「ここからモノレールに乗るんですけど、シーとランド、どっちにしますか?」
宮部さんの問いに、私は『シーにします』と即答した。
こんな遠くまで連れて来てもらって、捜査の役に立たないディズニーランドに行ったら、宮部さんに迷惑をかけるだけだ。
今の私の中には、家を出るときの浮かれた気持ちも、初めてのデートという楽しい気持ちも残っていなかった。
「じゃあ、切符を買ってくる間、ここで待っていてください」
宮部さんはモノレールの改札口近くで待っているように言うと、一人で切符を買いに自動券売機の方へと戻っていった。
これでいい。きっと、中に入れば、もっと沢山の手掛かりが見つかって、崇君にたどり着くことができるはずだ。手遅れになる前に。
☆☆☆