不器用王子の甘い誘惑
 紗良はやっぱりあの紗良で、俺のお姫様の紗良だった。

 小さく肩を震わせて泣く紗良を抱きしめる。

 王子様を信じられなくなる何かがあったんだと思うと、想像に難くないことが浮かんで心の中に黒いものが広がっていく。

 練習でもなんでもいい。
 紗良の側にいられるのなら。

「好きな子を口説く時……今みたいな時はどう言えばいいのかな。」

 甘い声で囁きたいのに、わざと明るい声で紗良の元気が出るように言った。

「泣かないで?かな。ううん。笑って?」

「そう?じゃ紗良。笑って。
 紗良の可愛い笑顔が見たい。」

 フフッって俺の腕の中で笑った紗良が「笑うなんて無理です!」ってちょっと怒ったように俺を見上げた。

 涙で顔に張り付いた髪をどけてやって、キスしたいのは我慢する。
「紗良、可愛いよ」とおでこをくっつけた。

「さぁ。帰ろうか。
 俺も終電がやばいかも。」

 無理矢理に体を離して、紗良の手も離した。

 また離れられなくなりそうで踵を返したところでふと気づいて、急いで手帳にメモを書いた物を破いて渡した。

「終電やばいからもう行く。」

 顔が見れなくて渡すだけ渡して逃げるように戻った道を歩く。
 俺は……こんなに意気地なしだったかな。

「待ってください!」

 駆け寄って来た紗良からも何か破いたものを渡された。

 渡された物をみて驚いた。
 手帳の自分のプロフィールが書かれた表紙の部分だった。

「え。これ。」

「いいから早く行かないと!」

 言われて駆け出した。

 書く暇も惜しくて手帳の表紙を破るなんて……。

 おかしくて、でも可愛くて。
 駅について、まだ時間が大丈夫なことを確認すると、その手帳の表紙にキスをした。

 名前:天野紗良
     :
     :
 好きな食べ物:ケーキ
 将来の夢:お姫様になること

 まだこの手帳を買った時はお姫様になりたかったんだ。
 そう思うと胸が痛んだ。




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