【長編】戦(イクサ)林羅山篇
大坂の役、初戦
 慶長二十年(一六一五年)四月
二十一日
 秀忠も二条城に到着し、諸大名
も次々に集結した。
 先に動いたのは豊臣勢で、大野
治房の部隊が、徳川勢に寝返り大
和郡山城を守っていた筒井定慶を
攻撃し落城させると、徳川勢の物
資調達地だった堺を焼き討ちし
た。
 これに対して徳川勢の浅野長晟
の部隊が反撃に向かった。それを
知った治房は長晟の部隊の背後で
一揆を起させた。民衆には徳川家
の強引なやり方に不満が募り、徳
川不人気が浸透していた。そのた
め劣勢の豊臣勢に味方したのだ。
 長晟の部隊はやむなく泉南、樫
井に留まった。
 治房は攻撃を試みたが戦法のま
ずさから部隊の統率が乱れ、岡部
大学、塙団右衛門、淡輪重政らが
先陣争いをおこない単独行動した
ため次々に討ち死にした。敗退し
た治房は大坂城に戻った。
 これを知った家康は豊臣勢の結
束の弱さを見て取り、この戦を短
期で終結させる自信をもった。
 家康は重たい甲冑を身に着ける
体力はなくなり軽装のまま五月五
日に二条城を発った。
 伏見城にいた秀忠も大坂、河内
に向かった。
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