【長編】戦(イクサ)林羅山篇
大蔵一覧
 道春は駿府城の家康に呼ばれて
いた。
「道春、以前に崇伝が持ってきた
大蔵一覧は大蔵経の事項がよう整
理されて調べやすい。これを開版
して寺に寄進しようと思う。銅活
字は大方出来ておるからそれを
使って、百部か二百部を刷ってく
れ」
「はっ」
「わしはこれから大坂に向かう準
備をする。道春はそれに専念して
くれ」
「はっ、すぐに取り掛かります」
「以上じゃ。下がってよい」
「はっ」
 道春は一礼して下がった。
 二人の間には言葉を交わさなく
ても心に通じるものがあった。
(大御所様がいよいよこの世から
戦をなくされる。大坂は地獄にな
るが誰にもその意味が理解できん
であろう)
(道春め、何も聞こうとせんかっ
た。そなたを生かす、わしの心が
読めたか。小賢しい奴じゃわい)
 駿府城は大坂への出陣で慌しく
なった。それを横目に見ながら、
道春は版木衆の校合、字彫、植
手、字木切ら十八人と清見寺、臨
済寺の僧六人を集めて作業の準備
を始めた。
 道春も戦に加わりたいと思わず
にはいられなかったが、家康から
後のことを託された気持ちも痛い
ほど分かり、作業に専念した。
 銅活字やそれを使って刷るため
の道具は豊臣秀吉の時代に文禄の
役で朝鮮の漢城から持ち帰ったも
のがあったが、家康は慶長十年
(一六〇五年)から円光寺の元佶
長老や円光寺学校の校長となった
僧、元信を監督として、浜松海岸
に漂着した福建人、五官の貨幣鋳
造技術を利用して銅活字の鋳造を
始めた。
 道春が大蔵一覧の開版を命じら
れた頃には八万九千字余り活字が
出来ていたが、さらに一万三百字
余りを鋳造する必要があった。
 大蔵一覧は全部で十一冊あり、
一字一字活字を拾っていく地道な
作業が続いた。
 家康は慶長二十年(一六一五
年)四月十八日に京、二条城に
入った。
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