【長編】戦(イクサ)林羅山篇
春日局
 家光が疱瘡を患い、福が懸命な
看病をしている時、京では深刻な
事態が起きていた。
 後水尾天皇と和子の間に産まれ
た高仁親王が急死。その後、九月
になって産まれた男子もすぐに亡
くなったのだ。
 秀忠の落胆は大きく、それにも
増して怒りが沸々とわいてきた。
 皇子が立て続けに亡くなったこ
とに朝廷の陰謀と疑う幕府に今度
は天皇が激怒し、再び譲位する決
意をした。

 寛永六年(一六二九年)
 病の癒えた家光は、朝廷が幕府
から疑われて弱気になっているこ
の時とばかり、紫衣着用の勅許の
件で幕府に抗議文を出した沢庵宗
彭、玉室宗珀、江月宗玩を処罰す
るため呼び出した。
 それを知った天皇は幕府に譲位
する意思を伝え、沢庵らの処罰無
効を訴えた。
 幕府で処罰の協議をおこない、
重い刑罰にするよう主張する崇伝
に対して天海は刑罰としては重い
が死は免れる配流とするよう主張
して、沢庵宗彭は出羽、上ノ山に
配流。玉室宗伯は陸奥、棚倉に配
流。江月宗玩は放免と決まった。
 この決定は天皇にも屈しない幕
府の姿勢を示した一方、沢庵、玉
室に新しい地での布教を促すこと
になり、朝廷から遠ざけるだけに
とどめたものだ。
 天皇は譲位する意思は固かった
ものの、和子が身ごもったこと
で、幕府の朝廷への圧力が薄れた
ため、子の誕生を待つことにし
た。
 八月に和子が産んだ子は女子
だった。男子でなければ仮に和子
の産んだ女子が天皇になったとし
てもいずれ徳川家の血縁が排除さ
れてしまう。
 秀忠はなおも諦められず、幾度
となく苦難を跳ね返した強運の福
を和子のもとに送り、男子誕生の
望みを託した。
 無位無官の福は、公家の三条西
家の猶子として天皇に拝謁するこ
とになり、この時、春日局の号を
賜わり名を改めた。
 天皇は決して春日局を喜んで迎
えたのではなく、秀忠の強引なや
り方に表向きは従うように振舞
い、密かに譲位の準備を進めてい
た。
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