【長編】戦(イクサ)林羅山篇
秀忠の死
 寛永九年(一六三二年)
 秀忠は生死をさまよい正月二十
四日の夜に息をひきとった。
 家光は秀忠の表情を見て、病か
ら開放されて穏やかに眠っている
ように感じた。そう思いたかった
のかもしれない。
 秀忠の葬儀を準備する一方で、
天海、崇伝、道春、東舟が集まり
追号を協議した。
 天海はかつて家康の神号を崇伝
と争い、自分の提案した権現と決
まったことで今度も主導権を握っ
ていた。
「大御所様は明正天皇の祖父。太
上天皇の尊号がふさわしく衡岳院
とするのが良かろう」
 太上天皇とは上皇のことで天海
は秀忠も家康に続いて神とするこ
とを構想していた。それに東舟が
反対した。
「大御所様には権現様のように神
になるおつもりはありませんでし
た。ましてや太上天皇となれば権
現様を超えた存在になるではあり
ませんか」
「それは違いますぞ。権現様の子
なれば興子姫を明正天皇とするこ
とができたのじゃ。その功績を考
えれば太上天皇の尊号こそがもっ
ともふさわしいではないか」
 道春が反論した。
「それは天下を乱すもとにござい
ます。上様は常日頃から民のこと
をお考えです。もし大御所様が太
上天皇となれば民は徳川家が帝を
落とし入れ、御譲位させたという
噂を事実と受けとめましょう。中
にはキリシタンのようにひどい目
にあうと考える者たちもおりま
しょう。それが朝廷を勢いづかせ
てしまいます」
「それはそなたの思い過ごし、民
は今の天下泰平の世を喜んでお
る。それを築いた大御所様を神と
崇めるのは間違いのないこと。朝
廷が反対すれば孤立するだけ
じゃ」
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