【長編】戦(イクサ)林羅山篇
寛永通宝
 家光は旗本にも武家諸法度よ
り、さらに生活を規定した旗本諸
法度、二十三ヶ条を道春に起草さ
せた。そして十二月に旗本全員を
江戸城に呼び、大広間で年の瀬の
慰労をした後、道春に旗本諸法度
の全文を読ませた。
 これで幕府の体制が整い、より
緻密な政務が出来るようになっ
た。そして道春のような儒者が僧
侶に取って代わる先駆けとなっ
た。

 寛永十三年(一六三六年)
 この年は暴風雨から始まった。
思えば家光の代になって悪天候に
より農作物が育たない年が続いて
いる。そのたびに家光は質素倹約
を呼びかけ、諸大名が手本となる
ように命じた。農民には年貢を減
らし猶予なども行ったが、それで
も間に合わず。幕府の貯蓄米を放
出する事態となった。またこの
頃、銅銭は大名が自由に鋳造する
ことができた。そのため銅銭の価
値が下がり、物の流通にも悪影響
が出てさらに庶民の暮らしを悪化
させていた。そこで家光は江戸、
芝と近江、坂本だけで新たな銅
銭、寛永通宝を鋳造し、大名には
銅銭の鋳造を禁止して寛永通宝を
買い取らせることで銅銭の統一を
図った。
 またこの年は日光東照社に家康
の遺骸が久能山から改葬されて二
十年にあたり、以前から遷宮のた
め幕府がすべての費用を支払って
大規模な造り替えを行っていた。
これも困窮した庶民の救済となっ
た。
 こうした状況の中、朝鮮から通
信使がやって来ることになった。
これまでは征夷大将軍が代わった
ことを祝賀するために来ていた
が、今度は泰平になったことを祝
賀するためとの理由だった。
< 215 / 259 >

この作品をシェア

pagetop