【長編】戦(イクサ)林羅山篇
外国船国交禁止
 家光は自分と同じように病弱な
身体を薬草により体質改善して長
生きした家康に見習い、品川と牛
込に薬園を造ることを命じ、道春
を指南役とした。
 道春は和漢の薬草が集められる
と効能ごとに分類し記録していっ
た。

 寛永十六年(一六三九年)
 この年も凶作の影響が残り、家
光は諸大名、旗本にさらなる倹約
を命じた。そしてキリシタンに影
響力のあったポルトガルとの国交
を禁止して、海に面した藩には不
法入港を監視するように命じた。
また他の外国船も肥前、長崎を唯
一の入港先とした。
 このことで外国との交易を収入
源としていた大名の中で不信感が
わき、家光への信頼が失われてき
た。それを払拭するため、家光は
わずか二歳の長女、千代を尾張、
徳川義直の長男、光義に嫁がせて
義直との絆を深め後ろ盾とするこ
とを決めた。これには義直から私
塾に先聖殿を寄進された道春が間
をとりもった。これがきっかけと
なり江戸城、本丸の近くにあった
富士見亭御文庫が紅葉山に移され
整備された。
< 226 / 259 >

この作品をシェア

pagetop