【長編】戦(イクサ)林羅山篇
大地に生きる者
 不満のハビアンは信澄に八つ当
たり、
「儒者は自分たちが信じる太極と
我らの天主を混同している。この
ようなこと若僧に分かるはずはな
い。私は太極についてもよく分
かっている」
 信澄はその挑発にはのらず、ハ
ビアンの動揺をみて優越感で言っ
た。
「怒り狂っているようですが、太
極はハビアン殿が分かるようなも
のではありません」
 ハビアンは羅山の弟でさえ落ち
着き、全てを見極めているような
態度に肝をつぶす思いで黙った。
 外は急に大雨になり雷も鳴り始
めたので、集まっていた者たちが
そそくさと帰りだした。
 しばらくして羅山が戻り、
「これ以上論争を続けても私たち
に有益なだけで、ハビアン殿には
何も得るものがないでしょう。よ
いですか、私たちは何千年もこの
考え方を洗練させて生活してき
た。それでこそ真理なのです。ハ
ビアン殿の言われることはまだ新
しい。洗練されて真理になるには
まだまだ時間がかかるでしょう。
それを今すぐこの地に広めようと
するのは国を乱し、無駄な血を流
すことになります。それはハビア
ン殿も望んでいないはず。ここは
ひとつ怒りを静め、今を生きてみ
てはどうですか。学問は知識だけ
詰め込んでも意味がない。実際に
役に立ってこその学問です」
 この言葉はハビアンだけでなく
信澄や貞徳の心にも響いた。
 人間が空を飛べるようになるの
はまだ先のことで、異国はその開
拓精神で知識だけがはるかに先を
いっていた。しかし、羅山は大地
に生きる者としての限界を素直に
受け入れようとしていた。それは
羅山の中にある小早川秀秋の生き
方でもあった。
 雨がやむのを待って三人はハビ
アンに見送られ南蛮寺を後にし
た。
 この後、ハビアンは棄教してキ
リシタンを批判するようになって
いった。
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