【長編】戦(イクサ)林羅山篇
幸村と勝永
 豊臣勢の損失は多かったが、ほ
とんどの浪人が留まり、団結力が
強くなり、かえって統率がとれる
ようになったからだ。
 大坂の民衆は圧倒的な大軍の徳
川勢に一歩も引かず和睦に持ち込
んだ秀頼に拍手喝さいし、おおい
に盛り上がった。また、秀頼がキ
リシタンを受け入れたことで幕府
に弾圧されていた宣教師や信者が
集まり、食糧などの物資の支援も
途絶えることがなかった。
 戦続きで殺し合いに麻痺してい
た民衆は、この戦を祭りの喧嘩程
度にしか思っていなかったのだ。
 その様子に毛利勝永は顔を曇ら
せた。
(地獄でも暮らしていれば慣れる
のか)
 勝永は子の勝家と供に大坂城に
入っていた。
 関ヶ原の合戦では毛利秀元の与
力として南宮山に布陣したが毛利
部隊は動かず、これが豊臣家の立
場を悪くしたと後悔していた。
 秀頼の招きでこの戦に加わった
が、秀頼の側近からはその忠誠心
が真田幸村と同じように疑われて
いた。その幸村も子の幸昌と来て
いて、戦いに対する考え方などで
意気投合し、行動を供にしてい
た。
 幸村より十歳年下の勝永は弟の
ようでもあり、唯一の理解者とし
て打ち解けた。それはまるで大谷
吉継と石田三成が復活したよう
だった。
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